結局譲らない浦原隊長の肩を借りて、身長差から宇宙人連行のようになりながら尸魂界に戻った頃には終業時間を過ぎていた。
 先に搬送されていった隊士達を追いかける形で四番隊の綜合救護詰所へと運ばれ、いくつかの擦過傷と切創、それと右肩の脱臼と診断を受けた。脱臼でよかったと私は心底安心したけれど、四番隊の隊士からは「いいわけないじゃないですか」とお小言を頂いた。仰る通りです…。

 治療が終わってもすぐに解放はされなくて、様子を見に来た卯ノ花隊長からは「せめて一日はここでお休みなさい」と笑顔で布団を叩かれてしまった。
 それを聞いた浦原隊長がじゃあひよ里サンと涅サン呼んできますねと言い出して、隊長二人に挟まれた私はとうとう頷く以外の選択肢を奪われたのである。

嫌いだと言いながら傷ついてみる


「ええと、ご心配おかけしてすいませんでした…」

 一時間ほど前に浦原隊長に言った言葉を繰り返してみる。
 ひよ里ちゃんと涅さんの反応はどちらも薄く、それぞれ呆れ顔、盛大な舌打ちといった感じだ。ちなみに涅さんの舌打ちはここにきてその強さを秒単位で記録更新していく勢いである。
 居た堪れない空気のなか、誤魔化すように右腕を三角巾で吊ったままぺこりと頭を下げた。

「……私が。よりにもよって君を心配していると、まさか本気で思っているのかネ?」
「いや、涅さんに関してはまったく…ひよ里ちゃんがちょっとくらい心配してくれてたらいいなぁくらいで…」
「ちょっとでええんか」
「正直無茶をした自覚はあるので多くは求めない…」

 あはは、と何が面白いのか備え付けの椅子に座った浦原隊長が笑う。

「無茶って言うのは、現場の判断で隊長ボクの許可なく穿界門を使ったことっスか? それとも複数対一っていうどう考えても厳しい戦況で応援を呼ばなかったことっスか?」
「どっちもですけど――強いて言うなら前者です。結果的に浦原隊長にご迷惑をかけることになってしまいましたので…」

 一部の席官や隊長格が現世に赴く際には、現地の霊なるものに影響を及ぼさないよう限定霊印を身体の一部に打って霊圧を抑える規則があるのだけど、今回私は限定霊印どころか上からの許可を待つことなく完全に自己判断で現世へ飛び出した。
 事態が事態だっただけに、多分限定霊印のくだりは誤魔化せると思うけれど、現世での物的破損や部下の管理教育等でのお叱りは免れないだろう。
 そしてそれを受けるのは私ではなく上司の浦原隊長であり、今回の私の無茶の代償は浦原隊長へと流れてしまうのである。
 とは言え事が済んで冷静になった今でも馬鹿正直に規律を守って誰かを見殺しにするよりはマシだと思っているので、最早私にできるのは誠心誠意これから始末書を書くことになるだろう浦原隊長に頭を下げることくらいだ。

「ボクですか? そんなの気にしなくていいですよ、迷惑なんて言ったらボクが隊長になってから乙子サンには迷惑しかかけてないですし、始末書もなんか"隊長になったんだなァ〜!"って感じしてちょっと楽しいです」
「アホか。そないなこと言ってられるのも今のうちやで」
「ひよ里ちゃん隊長に向かってアホとか言わないの」
「うるさいで怪我人」

 思っていたよりずっとひよ里ちゃんが辛辣だ。黙ってしまっている涅さんの分まで辛辣な気さえしてくる。

「いやでも、感謝してるのは本当っスよ。これ以上十二番隊から除籍者が出るのはボクとしても悲しいですから」
「十二番隊から…?」

 除籍、と浦原隊長は不謹慎なことを口にした。その様子と言葉に表せないひっかかりを感じて首を傾げる。
 十二番隊からの除籍と言うのは、つい最近の現世で駐在任務に就いていた池田くん達の一件のことだろう。衰弱し錯乱した彼のことは今でもはっきり思い出せる。
 けれど、そのことと浦原隊長が口にした「これ以上十二番隊から除籍者が出るのは」と言うのが結びつかない。これ以上の"これ"は池田くん達のことで、だとすれば除籍者と言うのが誰なのか、私には心当たりが無かった。

 眉を顰めた私を見ても、浦原隊長はあまり表情を変えることなく会話を続ける。

「乙子サン、卍解を修得してたんスね。隊長格はともかく席官では珍しいんじゃないですか? 結構びっくりしたんですけど、十二番隊って皆それくらい優秀なんですかね」
「……」

 とうとう私は度肝を抜かれてしまって口を閉ざした。
 卍解をした記憶は確かにある。けれどその場に浦原隊長はいなかったはずだ。
 浦原隊長が現世に来たのは、殲宮水母がその領域を解除した頃だった。私が斬魄刀を使っている様子を見たことがない浦原隊長が、たったそれだけのことで私が卍解まで修得していると確信するとは思えない。
 混乱している私を見て、ひよ里ちゃんが一言「乙子、手帳」と助け船を出してくれた。

「あ、そうだ手帳…水浸しになっちゃって、中身があんまり読めないんですけど…」

 ベッドの側にある小さなテーブルに置かれたスペアの眼鏡をかけて、中身がしわしわになってしまった手帳を手に取った。
 とは言え現世に渡る直前は慌しく動いていたので手掛かりになるようなことは何も書いていないはずだ。最後に書き残されているのは現世に向かう前の――

「…"駐在任務再配置の書類、未提出。期限は来週"……"前山さん達の署名が必要。"…?」

 そこには覚えのない過去と、覚えのない名前が滲んでいた。
 急に身体の真ん中に穴が開いてしまったような空虚な気持ちが湧いてくる。その穴を風が吹き通る底の無い寂しさを私はずっと知っている。
 手元に残された数十文字の過去はわからなかったけれど、私がまた何かを失ったことだけはすぐにわかった。

 浦原隊長が私に何を理解させようとしているのかも、わかってしまった。

「……あの人達は、先に運ばれていったあの人達は、………そう。そうなんですね」
「…自分の文字で記憶を読んでも、思い出せませんか?」
「はい。…これは記憶じゃなくて記録ですから、理解と納得以上はありません」

 言いながら、堪えきれずに微笑んでしまう。

「あの人達が十二番隊の隊士なら、尚のことよかったです。駆けつけてよかった…」

 端っこが切れていて、ようやく血が止まった唇から"後の祭り"が洩れ出した。
 そうですね、と浦原隊長は静かな表情で同意する。
 涅さんはますます顔を歪めて、心なしか尋常じゃないくらいの怒気を孕ませた視線で私を睨んでいる。また何か彼の地雷を踏んでしまったのだろうか。
 それに関して心当たりがないのはいつものことなので、大人しく手帳に視線を戻した。

「卍解のことに関しては、乙子サンが途中まで自分で持っていた涅サンの超小型観測機からの映像で開発局に居た人達は全員ばっちり見てるんスけど…覚えてませんか? 乙子サン、落とした観測機を一回拾って、それからまた遠くにぶん投げてるんスよ」
「…すいません。その観測機に関しては全く覚えが…でも、手帳と一緒に落ちたものを投げた記憶はあります。あの、こう…蟲みたいなデザインの?」
「そっス」

 ははあ、と形ばかり頷く。それからもう視線すら合わせてくれない涅さんを見る。
 そんな重要な物の記憶を食われた理由がわからなかったのでもう私にはどうしようもないけれど、だから涅さんは怒っているのかな。
 忘却は意識できない。他人に指摘されても穴の存在を認知するだけで、それを本当は何が、はたまた誰が埋めていたのかなんてことはもう私にはわからない。

「思い出せはしませんけど、その観測機を通してずっと見ていたんですね。作ったのが涅さんなら、見ていたのも涅さんですか?」
「全員で見てたけど、まあずっとモニターしてたんはこいつやな」
「ああ――涅さんが見ていてくれるなら、外見はともかく持っていた方が安心ですね。びっくりして投げちゃいましたけど、勿体ないことをしました…」

 私は心からの信頼でそんなことを言った。
 道徳観や倫理観、必要最低限あると生きやすいだろう他人への思いやりの欠如は度外視すれば、涅さんは実力も頭脳も頼もしい直近の上司だ。
 彼は私に対して冷たいことばかり言うけれど、私は彼のことを好ましく思っている。人となりはともかくとしても、涅さんの作り上げるものはすべて私なんかでは理解が及ばないくらいすごいものだから。

 外見はともかくですよ、と苦笑して立ち尽くしている涅さんを見上げる。
 いつの間にかこちらに顔を向けていた涅さんの瞳には、人間性というものがなかった。凍り付いてしまったような表情の中で、瞳だけが私を責めている。
 その理由さえわからない、空いた私には懺悔も叶わない。
 唯一、何をどう謝ったところでますます彼を怒らせるだけだろうということだけはわかっていた。


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