「…ああ。隊舎の空き部屋を占拠していた開発局側の備品、全部運搬終わりましたね。ようやく」
「アレッ、思ってたよりすぐでしたね。じゃあ、新しいモノ追加で買い付けましょうか」

 静かに眉を顰めた私に浦原隊長は気付いていない。
 このところ死覇装の上に実験着を被って、隊首室に隊長羽織を置き去りにしているこの人は、水を得た魚のように研究に没頭し始めている。

 壁も床も無機質、最低限加工がされているだけのいろんなものが剥き出しの室内で、雰囲気は秘密基地のよう。
 そんな雰囲気から他の隊の面々に「十二番隊が怪しげなものを作っている」「夜な夜な生き物を解剖している」なんていう怪談話じみた噂を立てられるのは、もう仕方ないとしても、してもだ。

「――水月四席、少しいいですか、ご相談が…」

 技術開発局と十二番隊舎の境である戸口から死覇装姿の隊士が顔を覗かせている。
 手元に持った書類と局員の間で忙しなく動く隊長の後頭部を何度か見比べてから、溜め息を飲み込んで隊舎側に戻った。

もっと大きな傷を隠しているのかもしれない


 誘われて、久しぶりにお昼の時間にご飯を食べることになった。

「最近どうなん? 少しは落ち着いた?」
「うーん……まあ、てんやわんや期は過ぎたかな。今は秘密基地を得た隊長をどうすべきかって感じ」
「よぉわからへんわ」

 首を傾げたリサちゃんから視線を逸らしつつ、私も、と頷く。何だ、秘密基地を得た隊長って。あんなの秘密でもなんでもないし、戦うための基地じゃないし。あくまで十二番隊の付属だし。
 美味しそうに焼かれた魚の身をほぐしつつ最近の十二番隊に思いを馳せた。

「別に目立った問題があるわけじゃないんだけどね。でも何と言うか…開発局、本当に十二番隊の下位組織なのか? っていう気持ちが時々顔を出す」
「ひよ里は何て?」
「毎日いろんなことに怒ってるよ。でも怒りながら開発局でお手伝いしてるし、多分あの感じだともう浦原隊長に懐柔されちゃってると思う。言い方悪いかな?」
「ええんちゃう。言うとることはわかるし、あんたとひよ里の仲やろ」

 そう、問題があるわけじゃない。ただ困っているのだ。
 当初十二番隊の傘下として創立されたはずの技術開発局に、今は隊長格二人が揃って顔を向けてしまっている。
 もちろん隊の仕事をしていないわけではないのだけど、それも開発局に居る二人を隊舎に居る隊士が訪ねるか、不在の隊長を捜して私を訪ねてくるかという何とも効率の悪い状態なのだ。
 十二番隊と技術開発局の間にはまだ構成員同士の心の隔たりが大きいし、けれど隊士として指示を仰がなければならない隊長が開発局側に居るとなると隊士達が頼る先が私かひよ里ちゃんになってしまうのは当然と言えば当然なので異論はない。
 けれど不満がないわけではない。

 浦原隊長は、あくまで十二番隊隊長、であるはずなのだから。

「何もかも急造だし、お金のこととか書類のこととかも急いでかき集めてでっちあげたから、今になってその余波が襲ってきてるんだと思う」
「そう、ずっと気になってたんやけど、十二番隊の隊費と開発局の予算って別扱いなん?」
「残念ながら別です…」
「うわぁ……」

 途端に哀れみの眼差しになったリサちゃんがよしよしと頭を撫でてくれるので、柔らかいその手に頭を預けながら懐から手帳を取り出す。

「浦原隊長が予算持ってきた時点で嫌な予感はしてたから、一応隊費の帳簿とは別に開発局の帳簿を作ってはいたんだけどね。私やっぱり十二番隊側の隊士だから、正直開発局がどんな感じで動いてていつ何に予算が使われてるのかわからなくて」

 予算は重要だ。
 前年度のお金の動きをしっかり考慮して支給される隊費を、年度計画に従って大まかに振り分け、残ったもので備品等をやりくりする。
 もちろん技術開発局創立に応じて予算が下りたと言うことは総隊長や中央四十六室にその価値ありと見なされたことに他ならないのだけど、お金があるからと言ってすぐに使い込まれてしまうと次年度の予算の目途が全くつかないのだ。
 予算がどれくらい足りなくて、あとどれくらいあれば次年度は足りそうなのか、そもそもどんなものに予算を使ったのか、それはどれくらい重要なものなのか、そういうことを含めて報告しなければ、次の年の予算がどうなるかわからない。

 いくら瀞霊廷に役立つものが開発されようとも、財政の管理が全くできていない状態では総隊長もいい顔はされないだろう。
 という訳で、まず悩みの種その一としてお金問題が挙がる。

「領収書はきってくれてるから一応遡ればちゃんとわかるだろうけど、隊務を抱えながら月末でも年度末でもないのに会計はしたくないよねぇ」
「めずらし。乙子が弱音らしい弱音」
「だって本当に困ってるんですもん……」

 隊長に進言してもいいけど、任せてくださいと言い出したのは私だし。
 それにこうして新体制が動き出すまでは浦原隊長には肩身の狭い思いをさせてしまったから、やっとのびのびお仕事ができる環境になった今はしばらく好きにさせてあげたい。

 変な意地です、と項垂れながらすみっこの大根おろしの山に醤油を垂らすと、リサちゃんはパチパチと瞬きをして眼鏡の向こうの瞳を丸くした。

「…意外。乙子、もっと距離保ちながら隊長とジリジリお見合いしてるかと思っとったのに」
「お見合いってなに」
「前の隊長とも打ち解けるまで長かったやんか。浦原隊長のどこがよかったん、顔?」
「あのねえ…あくまでお仕事の関係だし、忙しすぎて恋とか愛とかそれ以前の問題なの」
「ほな、ときめいたことはあるの?」
「ないよ。…リサちゃんどうしちゃったの? まさか私に春が来るとでも? よりによって私に?」

 私の顔があまりに訝しげだったからか、リサちゃんは真面目に私の質問を考えているらしい。
 真央霊術院からの同期であるリサちゃんは美人でスタイルがよくて、私などとは比べ物にならないほどおモテになる才色兼備副隊長である。京楽隊長との掛け合いもテンポがよくて、ちょっとキツい物言いも様になってしまうからすごい。
 私とリサちゃんの共通点なんて眼鏡をかけているところくらいしかない。

「……確かに、乙子に惚れた男が次々約束守られへんのに愛想尽かして離れていくのは最早恒例と言ってもええ部類やけど。あんただってちゃんと綺麗な顔してるんやからもう少し自信持ちや」
「いいんです。私には仕事以外に割ける脳の容量ないから」
「どんな拗ね方やねん」

 全て事実なので反論の余地もない。よって拗ねるしかない。
 院生時代の私は今よりももっと忘却癖が酷く、ほとんど毎日何かしらの記憶を失くしては色々な人に叱られたり失望されたりしてきた。
 だから他人とも仕事以上の付き合いをしたいと思わなくなったし、そうすることで人に迷惑を掛けずに済む。合理的だ。実際家に一人でいる時間よりも職場で仕事をしている時間の方が長いわけだし、孤独感はあまりない。
 私を好きだと言ってくれる奇特な人も、一週間程度で私の記憶の脆さを知って離れていくし、これは私が死神である以上仕方のないことなのだ。

「けど、せやからこそ意外って思うよ。いつもすぐ忘れるから〜って一線引く乙子が自分から進んで誰かの為にって動こうとしとんのは」
「そうかな…? やっぱり私ってそんな冷たい人間?」
「や、冷たいとは思ってへんけど」

 流し目でちらりと私を見たっきり、リサちゃんはうどんを食べるのに集中してしまったので、彼女の言葉を脳内で反芻しながら考えてみる。
 私自身は私にできる範囲で人の為に働いているつもりなんだけど、最終的にはいつも"冷たいんだね"とか"もっと優しいと思ってた"とか言われてしまう。それはつまり私が冷酷な人間だと言うことにならないだろうか? でもリサちゃんは違うって言うし。
 ……。

「…よくわからないけど、でも確かに、今の十二番隊には積極的になっているかもしれない」
「隊長には?」
「隊には。……何で隊長が出てくるの」

 大体、仲は良好とは言え私は未だに浦原隊長がほんの少し苦手だ。考えていることをほとんど当てられてしまうし、いつも見透かされているような気がしてそわそわしてしまう。

「多分期待してるんだと思う。色々新しいことが始まって、長いこと変わらなかった十二番隊が変えられていくのがちょっと嬉しいって言うか……」
「うん」
「………私も、もしかしたらちょっとくらいは変われるかなって、思ったり思わなかったりね」

 私の小さな呟きを聞き届けて、リサちゃんはいつもの無表情の中にほんの少しだけ微笑みを織り交ぜて小さく頷いた。
 こういう彼女だから、私も同期の友達として長いこと交流を続けていられるのだろう。何度彼女との思い出を失くしても、私は優しいリサちゃんが好きだった。


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