書類を胸に抱えたまま戸を叩く。ややあって開かれた扉の向こうで、優しげな眼差しが私を迎え入れてくれた。

「ご苦労様。いま平子隊長は留守だから、代わりに僕が目を通すよ」
「ありがとうございます、藍染副隊長」

 室内に促され、ぺこりと一礼してから五番隊隊舎・隊首室に踏み入った。

「十二番隊、今は忙しい時期なんじゃないかい? わざわざ君がこんな離れた隊まで来るとは思っていなかったから少し驚いたな」
「ああ、そうですね。普段ならお遣いは隊士に任せて机にいますけど…」

 ずっと座っていると脚がどうにかなりそうになってしまうので、と若干げっそりしながら呟くと、藍染副隊長は苦笑いで応えてくれた。
 わかる、と顔に書いてある。

天秤はいつだって正義に傾く


 せっかく来てくれたから、と藍染副隊長はお茶とお菓子まで出してくれた。
 五番隊の平子隊長は特別変わっているわけではないのだけどそれなりに自由奔放で、それに比例するように藍染副隊長はしっかりとした良心の権化みたいなお人だ。

 熱いお茶とお饅頭をありがたく頂きながら、持ち込んだ書類に目を通す藍染隊長の質問に答えていく。

「ああ、例の新しい機関は建物ごと十二番隊舎と併合したんだね」
「はい。詳しくは書いてある通りですが、如何せん建物が地続きでまだしっちゃかめっちゃかなので、もうしばらく隊舎にご用事の際は注意して頂ければ…」
「注意?」
「ええと…局員が結構個性強めと言いますか…作りかけのとんでもないものが突然爆発したりそこら辺に放置されていたり……」
「その言い方だとすでに水月くんは被害を受けているみたいだね…」

 藍染副隊長の哀れみの眼差しを苦笑いで誤魔化した。
 今の隊舎は隊務を中心に回っており、かつ『技術開発局はあくまで十二番隊の付属機関』という線引きが生きているので安全が確保できているが、開発局の敷地内は正直言って魔窟だ。
 建物はしっかりあるのにまだ何をどこに配置するといった決まりが曖昧で、しかも局員それぞれが勝手に研究や開発を空きスペースで始めてしまうので、収拾のつかないお化け屋敷のような様相を呈している。
 ちょっと足を踏み入れただけで謎の液体に浸かった謎の生物の標本が足元に行列をつくっていたり、精巧な人体模型と目が合ってしまったり、謎の爆発でしばらく耳がイかれたり……。
 これは根気強く局員と話し合いを続けつつ隊長に圧をかけるしかあるまい。

「ともあれ、今までの護廷十三隊には無かったものだ。僕達も期待しているよ」
「恐縮です……と言っても、私はあまり技術開発局の方には参加してないですけど」
「そうなのかい?」
「私、科学も化学もちんぷんかんぷんなので。差し入れとか雑用のお手伝いで顔を出すことはありますけど、今のところは事務屋って感じです」

 もとは隠密機動に所属していた浦原隊長だけど、もしかしたら実戦で体を動かすことよりも研究室に籠っている方が性に合っているのかもしれない。
 ひよ里ちゃんも色々文句を言いながら開発局の方を手伝っているので、隊舎で仕事をしている席官は私だけになってしまった。
 それでもまあまあ隊務は滞りなく回っているから、案外やれるもんだな、と自分を褒めてみたり、励ましてみたり。

「実戦からは退いてしまった感じだね」
「そうですね。もともと斬魄刀の性質的にも戦いに向いていないので…」
「そうなのか」

 藍染副隊長が意外そうに目を瞠ったのを笑って誤魔化しながら、内心口を滑らせてしまったと自画自賛していた自分を一転批判する。軽いのは頭だけにしておいてほしいものである。

「そう言えば、水月くんが斬魄刀を使って戦っているところを見たことは無かったな…鬼道と白打が強いことは僕も耳にしているけれど」
「ただの噂ですよ。所詮しがない四席ですから、席次に相応しい程度の力しか無いです、ほんとうに」
「そこまで言われると逆に気になるな。戦いに向いていないと言うことは鬼道系かい?」
「勘弁してください……」

 この手の話になると私はいつも困ってしまう。
 腰に挿したままの斬魄刀を見る藍染副隊長の眼差しから、思わず隠すように腰を引いてしまった。
 でも確かに、藍染副隊長の言う通り、私はしばらく戦いに参加した記録がない。流石に要請がかかったり必要とあれば出撃はするだろうが、その必要もないくらいには平和が続いているから。
 他の隊士達に経験を積ませてやりたい気持ちもあるし、大抵のことは鬼道で何とかなってしまうし、と内心言い訳をする。
 もちろん戦えと言われたら戦いますけどね。もちろん。お仕事だから。

 とにかく彼の意識を私の斬魄刀から逸らす為に、急いで別の話題を考えた。

「戦いと言えば、藍染副隊長は知ってますか? 最近噂されている仲間割れの噂」
「ああ、隊士から聞いたよ。仲が良かったはずの隊士同士が任務中に突然…ってやつだろう?」
「そうですそうです」

 ここ最近連続しているらしい、奇妙な事件の話だ。
 何でも、現世で虚退治をしていた死神が、突然怒りや憎しみといった負の感情に負けて、虚そっちのけで仲間割れをしてしまうとか。しかも、四番隊に運び込まれ卯ノ花隊長直々にお叱りを受けるほど酷い怪我を互いに負わせた隊士達は、その事件以前はとても仲が良く、仲間割れとは縁遠い良好な関係だったと言う。
 ――不思議なことに、その事件の時のことを記憶として持ち合わせているはずの当事者達は、けれども当時の記憶や感情を自分のものとして実感できないらしい。
 彼らは口々にこう言うのだそうだ。
 「まるで何かに操られていたように感情が制御できなかった」「普段の好意が反転してしまったようだった」と。

「不思議ですよね、虚と戦っていたはずなのに味方に剣を向けて、しかもそんな異常事態に違和感すらないまま戦闘不能になるまで傷つけ合うなんて」
「そうだね。今までは運よく死者が出ていないからいいけれど、相応の実力がある者同士がそうなったらタダじゃ済まないだろうし。原因は今も不明だと聞いたけれど…」
「卯ノ花隊長もさっぱりだって仰ってました」
「…水月くん、詳しいね」
「あちこちの隊でお遣いついでに世間話してるので…」


 そうして喋っているうちに平子隊長が戻ってきた。
 お互い仕事が山積みだし、これ以上お邪魔しているのも申し訳ないので、平子隊長と入れ替わりに席を立つ。

「なんや、もう帰るのん? 逃げられてるみたいやわ」
「逃げてませんよ…ご覧の通り、まだ届けなきゃいけない書類がありますから」
「隊長もお仕事溜まってますよ」
「真面目眼鏡二人揃うとええことないわ〜。乙子さっさと行きや、俺の隊やのに肩身狭くて敵わんっちゅーねん」
「さっきと言ってること違うじゃないですか」

 平子隊長にせっつかれて隊首室を後にした。
 ひよ里ちゃんに対してほどじゃないが、平子隊長は私の扱いもそこそこ雑だ。これでも他隊の席官なのに…。


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