燃やし尽くした後の世界
サソリくんはあの暗くて冷たい部屋を飛び出した。やってはいけないことをしてしまったらしい。この世界の在り方も、私が相変わらずサソリくんのそばで漂っている理由もいまいちわからないままだけど、今も私は彼の背中を見守っています。
「うわ、ほんとにひんやりしてるね」
「そりゃそうだ。人間の皮膚とは違うんだ」
ぺたり、ぺたりと彼の頬に手を当ててじっくり眺める私を、サソリくんは恥ずかしがることもなくじっと見つめ返している。
あれから彼は、自分の体をも傀儡へと作り変えた。作業工程は私にはとても見ていられるものではなかったので詳細は省くけれど、とにかく彼は生身の人間であることをやめようともがいている。
最初は腕を、その次は足を。次々と温度をなくしていく彼の体に寄り添いながら、私は相変わらず彼以外の前では実体化することもなくそこらへんを漂っている。
あれからサソリくんに再び体をぶった切られるようなこともなく、あの部屋を飛び出した後も彼のそばにいても特別怒られるようなこともなかった。
人外判定の私は、あまり彼の逆鱗に触れることはなかったのかもしれない。
「痛くはないの?」
「そんなのとももうおさらばしたんだ。そういうモンだ」
「そういうもんか……」
サソリくんは暁とかいうお揃いのコートを着る組織の仲間になった。流石に仕事場まではついていかないので詳細は知らないけれど、あまり良いことはしていないんだろうなと思っている。
ここに来てからサソリくんの目は据わっていく一方で、ひんやりしていた指先はついに温度までなくしてしまった。それは多分、人としてはあまり良くないことなんだと思う。
「これで同じ体だな」
そう言って私の手を握ったサソリくんの横顔を眺めながら、私は自分の空っぽさを痛感する。職業背後霊になってから、私はどんどん以前の私からかけ離れた生き物になっていく気がしてならない。
いつまでも変わらない私の肉体をサソリくんが時折うっとりしながら眺めていることも知っている。あまりそばにいては良くないはず、と一定の距離を保つようにはしているけれど、彼が自分でその距離すらも詰めてくるのだからやるせない。
「同じじゃないよ、私こんなに固くないもの」
「じゃあもっと精度を上げないとな」
「……まるで恋だね。そんな必死に追いかけられたら照れちゃう」
「そうだな。多分、お前に恋をしている」
軽い冗談のつもりが、静かな声でそう断言されてしまっては返す言葉もない。
地面から数センチ浮いたままの私の手をまるで縋るように握って、俯くサソリくんはそう言った。言っていることは至極照れくさいものなのに、その姿はさながら神の前で懺悔をする信徒のようでもあった。
どんな顔をしたらいいんだろう、なんて声をかけてあげればいいんだろう。頭はやたらそう思ってはぐるぐる回るのに、私の口はぴくりとも動きやしない。
「お前よりも美しいものを、俺は今までも、これからもきっと見出せない。なまえだけを、この世界のなかで美しいと思うんだ」
美しいもの。造形が整っているもの。精神的に価値があると感じられるもの。心を打つもの。深い感動を起こすもの。
――時が止まったもの。不変のもの。永遠に変わらない命。
それらだけがこの世界で唯一美しいものだと言うなら、きっと世界はもっと寂しいものになるだろう。
別に変らないことを批判するわけじゃない。変わらないものが尊ばれることだって、時にはある。それは気持ちだったり、心だったり、目に見えないものが当てはまる時が多い。
ああ。この子は、きっと。
移り変わる世界が彼を置いていったから。目まぐるしく回る世界が、この子の大事なものばかりを置いて逝ったから。
「………綺麗かどうかはわかんないけど、私もサソリくんが好きだよ」
せいぜい私にはそれくらいのことを言って笑うくらいの機能しかない。彼の言葉とその意味の深いところまでを考えるには、私の中身は欠けすぎている。しかもその欠損は日々大きくなる一方で、私はどんどん人の心がわからなくなっていく。
きっと私には、永遠に彼のことをわかってあげられる日なんて来ないんだろうけど。
「サソリくんがいなくなっちゃうまで、私が見ててあげるね」
冷たいばかりではなかったはずの思い出が、いつか彼の中で動かなくなって、永遠の彫像に成り果てるまでは。
(title by 天文学)