きみが首無しならよかった

 全身あちこちくまなく痛い。そう言うと看護師さんには「ちゃんと治ってきてますよ」と軽くあしらわれてしまうことがほとんどだが、痛いものは痛い。
 私以外の患者はそこそこ頻繁に入れ替わりを繰り返していて、なかなかくっつかない骨を睨みつけて三週間も過ごしているのは私だけだ。
 今はというと大部屋にも関わらずベッドを使っているのは私だけで随分広い個室のような状態になっている。
 なんでも、私は以前と比べて傷の治りが遅いのだとか。まあそうだよな、中の人が違うからな、とひとり頷いておく。


 こんな怪我をするまで、私はこの体の持ち主(それも私なんだけども)がジャパニーズニンジャとしてお仕事に励む姿を長いこと見守ってきた背後霊的な存在だった、と思う。
 自分でもよくわからないけれど、私は普通の会社員で、そこそこ働いて食べて寝て、普通の生活を送っていたはずなのだ。
 会社員私の見守り背後霊活動が行われるのは私が寝付いた時で、寝ながら私は職業ジャパニーズニンジャのみょうじなまえという同姓同名の人間が『努力・友情・勝利』の基本理念のもと仲間達と切磋琢磨する様を背後をふよふよ漂いながら眺めている夢を見ていた。ちなみに我が社の基本理念は『健全な事業活動・人間尊重・社会貢献』。
 ニンジャ私はそれはもう夢と希望に満ち溢れた素直で真っ直ぐな少女だった。歯はレフ板を仕込んでるのかと問いただしたくなるくらい綺麗だったし、手足は細くて長くて顔は小さかった。会社員私はむくんだ足と不規則な生活のおかげで不健康を体現した感じのOLだったけれど、まあそれはさておき閑話休題。
 ともあれニンジャ私は人生の紆余曲折を経て仲間達とそれはもう仲良く過ごして、無事中級だか上級だかのニンジャになっていった。けれどその一方で、何やら悩みがあったらしい。
 流石の見守り背後霊の会社員私にも不可能はあるので、ニンジャ私の思考までは読み取れずその悩みが何なのかはわからなかったが、仲間とわかれてひとりになった途端に表情が抜け落ちなにも出来なくなるところを見て、なんとなくニンジャ私の気持ちはわかっていた。
 ニンジャ私がヨチヨチのニンジャ学校に通っていた時からずっと見守りをしてきた私にはわかる。ニンジャ私と会社員私、似ても似つかない顔と性格をしているが、多分本質は同じなのだ。
 本質が会社員私なら、きっとニンジャ私は表で天真爛漫純粋培養の人気者を演じることに疲弊していたのだと思う。そりゃそうだ、いつものニンジャ私の人物像は私達の地の性格からは遠くかけ離れすぎているものな。
 そして仲間とお仕事中、突然ニンジャ私であるみょうじなまえはいなくなって、代わりに背後でふよふよしていた会社員私が空っぽになった体に吸い込まれて、今は病院にいる。


 いなくなったというのは言葉通りで、突然ニンジャ私は飛び移った木から足を滑らせて、そしてそれを追いかけた私も仲間に囲まれたニンジャ私を見てはわわと焦っているうちに意識を失って、気がついたら会社員私はニンジャ私にすり替わっていた。
 確かに、あの時木から落ちた私の体は空っぽだった。空だったから中身を求めて、近くにいたタイプは違うものの同じみょうじなまえを中身として引っ張り込んだのだと思う。
 ちなみに木から落ちたニンジャ私の体は、会社員私が入るまでの数秒間心臓が止まっていたらしい。必死に心臓マッサージしてくれた仲間、ありがとう。今もなまえはなんとか生きています。

 まあそんなこんなで中身が入れ替わった、というか空の体に吸い込まれて夢から醒めなくなってしまった会社員私は、記憶喪失という設定のもとなんとかニンジャ私を演じている。
 ちなみに木から落ちた時に受け身もなにも取らなかったので、右足の骨が折れたらしい。ニンジャ私が中に入っていた時の私は怪我の治りが早かったけれども、今の中身が貧弱会社員私のなまえはなかなか骨がくっつかず、退院が思ったよりも遅れている。もっと日頃からカルシウムを取れと怒られたのは記憶に新しい。
 とは言え私は貧弱会社員なので、折れた足だけではなく全身が痛い。流石に泣き喚いたりは中身が大人なのでしないけれど、麻酔がかかっていても鈍い痛みが全身を支配している。
 別に寒くもないけれど掴むものが布団しかないので布団に包まってひたすら瞑想していたら、開きっぱなしの扉をノックする音が聞こえた。
 ご飯の時間でもセクシーダイナマイト首相先生(この世界では火影というらしい)の巡回の時間でもない。
 一体誰だろうかと顔をそちらに向けると、気遣いを全面に押し出している心臓マッサージをしてくれていたお仲間ちゃんが立っていた。

「よかった、起きてたのね。調子はどう?」
「めっちゃ全身痛い。瀕死寄りの瀕死って感じ」
「元気そうじゃない」

 遠慮なく歩を進めるサクラちゃんの背後に続いて病室に入ってきた男の子と目が合った瞬間、自然と上体を起こして身構えた。
 そんな私を見て首を傾げながら、サクラちゃんはその男の子を指さした。

「わかる? 我愛羅くん。一応なまえの恋人なんだけど」
「こ、こいびと………」
「そうそう」
「………らばーず…………?」
「なんで言い直したのよ」

 そ、そう言えば確かに。なんか両片思いから甘酸っぱい青春に頭を抱えて顔を掻き毟った記憶が、あるようなないような…。あんなところまで見守りしなくてもいいと逃げた気もする。
 でも、そうか。一緒になったんだな。でもそれなら尚更、どうしてこんな可愛い子を残して消えるような真似したんだ、ニンジャ私。

「とにかく、なまえが記憶喪失だって聞いて心配してわざわざ来てくれたのよ。……もしかして、我愛羅くんも覚えてない?」

 隈に縁取られた丸い目が、縋るように私を見ている。君にとっては、大切で唯一のなまえだったんだものな。きっと、私みたいなパチモンが中に入っていると知ったら悲しむだろう。
 さてどういうリアクションをしたものか。そう思いながら、ドラマを流し見ていたような朧げな記憶の中を彼、我愛羅について探る。基本的に何かを集中して見ることは苦手だから、同じドラマもアニメも何度か見ないと内容も入ってこないし覚えられない人間なもので、あれだけ見守っていたのだから言われれば思い出すだろうけど、今私の総復習に付き合ってくれる人はいない。
 とはいえ、変なリアクションをして記憶喪失どころか人格喪失がバレてはことだし、出来れば先に何かしらのアクションを起こして先手を打っておきたい。

「……… なまえ、俺がわかるか」
「…ア………えっと…」

 私の決意は浅はかだった。
 ニンジャ私はまだピチピチの10代だったが会社員私はガッサガサのアラサー、こんな可愛い童顔青年にこんな声音で話しかけられたら無条件で優しくしたくなってしまう。
 私が対人関係についての記憶を特になくしているという設定を予め聞いていたのか、あまりにも悲壮感溢れる表情でそっと伸ばされた手に、指先でちょんと触れた。気分はE.T.だ。もちろん私が宇宙人の方。

「………可愛いたぬきちゃん、…………だっけ……?」

 対して私が浮かべたのは薄っぺらい愛想笑い。こればかりは営業でもなかった私には上手く出来ない。作り笑いをして「なにを企んでるんだい」と上司に言われた経歴がある。
 それでも目の前の彼には効果があったらしい。中身が違えども被っている皮はなまえのものだ。下手な作り笑いでも面影があったのか。それとも、彼女の笑顔は元々そうだったのか。私は常に彼女の背後で浮いていたから、なまえがどういう表情をしていたのかはわからない。

「なまえ、わかるのか」
「あ、いや、その…」
「なまえ」
「………ごめんなさい、覚えてはないです…そんな気がしただけっていうか…すいません……」

 うん、本当です。でも確かそう、ニンジャ私ことなまえは時々彼をそう呼んでいた。確かに目の辺りとか顔の可愛い感じとか、たぬきちゃんだな。いいあだ名だと思う。
 そんなことを呑気に考えていたら、触れ合っていただけの指先を伝って私より大きな、けれど白い手がぎゅうと私の手を掴んだ。イテテテテ。可愛い顔してるけど意外と力強いのね。

「…顔を見た時、やはりお前はもうなまえではないんじゃないかと、思った」
「ご、ごめんなさい…」

 その通りです。

「しかし、その笑い方も、呼び方も。どうしようもなくなまえだ」

 まあそりゃ外面は同じだから…。でもいずれ彼も中身がアラサーのおばさんにすげ替わっていることに気付くことだろう。
 空っぽの体を放置して再び心停止させるわけにもいかないし、夢から醒める方法もわからない。かと言ってこのままニンジャとして生きていくには私はひ弱すぎる。端的に言って無理だ。オブラートに包んでも無理。完全アウト。
 私がこの体で無難に生きるためには、やっぱりなまえを知っている彼ら彼女らとはほどほどの距離を取っていく以外にないだろう。

「いっそお前が首でもなくしていれば……」

 なんか怖いこと言ってるけど、残念ながら私の首は無事です。
 そう言って私の手を握ったまま俯いた我愛羅くんに困り果ててサクラちゃんを見上げると、サクラちゃんも悲壮感溢れる表情で俯いていた。ごめんなさい空気読めなくて。でも空気は読むものじゃなくて吸うものなんです。

 ぽろりと我愛羅の右目から溢れた涙にぎょっとした私は、精一杯気を遣って片手を握る彼の手に空いている手を重ねて小さく揺らした。出来れば離してほしいと願いを込めて。

「あの…私、必要だったら別れてもらって構いませんので……」
「ちょっとなまえ何言ってんのよ!?」
「だ、だって……」

 予感とかそんなあやふやなものでなくて、これは事実だ。ニンジャ私ことなまえは消えた。逃げたのかもしれない。
 いくら見守っていたとは言え私は我愛羅に愛情は感じていないし、きっと彼もこんな中身アラサーのなまえは嫌だろうて。
 そう思っての気遣いだったのだけれど、サクラちゃんにはとんでもない形相で怒られてしまった。
 もう片方の薄い浅葱色からも滴が溢れた。もうどうしろって言うんだ。なんだか私がいじめているみたいだ。けれど彼は涙を流しながらも困った顔をして微笑んだ。

「──いいや、俺はなまえが好きだ。だから別れない」
「え、ええ……」

 あからさまに落胆した私を見て、我愛羅は更に微笑みを深くした。泣いているのに随分綺麗に笑うんだな、彼は。

「今までのなまえとまるきり同じなまえでなくてもいい。今度は俺が、なまえを支えよう」

 そう言ってやわやわ微笑んだ我愛羅はサクラちゃんに目配せをして、それを受けたサクラちゃんは困ったように笑って部屋を後にした。いやなんでや。置いてかないで。
 近くにあった椅子を持ってきて、本格的に腰を下ろした我愛羅はどうやらこれから私に長話をするつもりでいるらしい。

「忘れてしまったなら何度でも教えよう。失くしてしまったならまた埋めればいいんだ。命があれば、何度でもやり直せる」

 ヒ、ヒエー。

ニンジャ私のイメージ→ビターチョコデコレーション参照


(title by 天文学)


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