とこしえにわたしがうめた春のこと

「………ていうかさ、みょうじ先輩ってなんでマネージャーやってるんだろうね」

 ああ、これは久しぶりだぞ。
 どこか他人事のように冷静な頭でそう思いながら、スクイズボトルを抱えて立ち尽くした。
 時刻は午後16時半を過ぎて、17時に近づき始めている。
 6月と言えどもう夏本番なのではと思うほど暑い夕方、冷えていく頭とは裏腹に頬を汗が伝って落ちていく。

「1年の頃からずっとやってるんでしょ」
「いっつも真顔で楽しくなさそうなのによく続くよね」
「あんな怖い顔で応援されたら部員も萎えるわ」

 悪かったな、仏頂面で。生憎生まれた時からこの顔だよ。
 ウチのバスケ部は強い。
 特に、今の代は2年の氷室くんと1年の紫原くんをダブルエースとして迎えて、鉄壁の守りを持つ東北有数のチームとして名を馳せている。

 そんなバスケ部の実力はさておき、彼らはその類稀なる顔面から多くのファンを持つ。あえて俗な言葉で表現するのなら、彼らはちょっと驚くくらい長身のイケメンなのだ。
 多少その性格に謎を残そうとも、顔の良さと実力で彼らは大層女子からの人気を誇っている。初めて彼らを目にした時は、それはもうとんでもない後輩が入ってきたものだと仰天したのをよく覚えている。
 そのスーパーハイスペック後輩ズの存在を前提として、だ。

「よくずっとあんな真顔で仕事続けられるよね」
「イケメンには興味ありませんってアピール?」
「それにしてはいっつも紫原くんにひっついてるよね」

 彼女達の推測は事実半分嘘半分といった割合だ。
 真顔で仕事をしているのはまあ、逆にずっとニヤニヤしていたら怖いだろと言い訳をしておく。
 昔それを気にして笑顔を心がけたら福井くんに「熱でもあるのか」と大層心配されたので、もう笑顔の安売りはしないと心に決めているのだ。
 そしてイケメンには人並みに興味はある。友達のようにイケメンアイドルを追いかけてライブに行ったりグッズを集めたり、そこまでの熱意はないけれど。紫原くんは、………気がついたらついてくるからとしか言いようがない。
 背の大きい彼の威圧感に負けて軽率に餌付けをしていたのが良くなかったのか、多分無限お菓子供給機とでも思われていることだろう。
 ついたあだ名はカルガモの親子だ。

「別にめっちゃ可愛いわけじゃないのに、すご〜って感じ」
「いつか氷室くん過激派に刺されそうだよね」
「そしたらマネージャーやめてくれるかな」
「え〜それなら刺されてほしい〜」

 おいおい、そんなこと笑いながら言うもんじゃないぞ。
 今も背後の体育館でボールを追いかけている彼らに向けられる感情が大きければ大きいほど、そのそばにいる私への敵意も膨らんでいく。
 それについて特にリアクションをしたことはないけれど、やっぱり見知らぬ人から一方的に敵意を向けられたら、悲しいものは悲しい。

 というか、そんなに私がマネージャーしていることが気に入らないなら君達も同じ土俵に上がればいいんだ。おいでよ陽泉男子バスケットボール部。
 手荒れと疲労を共有しよう。ハンドクリームもおすすめがあるんだ。

 どうして、みんなそんな簡単なことが出来ないんだろうな。
 ────羨ましいなら、この輪に入りたいなら、こっちに来ればいいのに。
 勝手に境界線を引いて、それを超えた私を叩くなんて、そんなこと。



「ゴー敦。はいドーン」
「どーん」
「ヴッッッ」

 背後、というかもはや頭上からの突然の衝撃に体勢を崩す。
 おっとっととかいうそんなかわいいものではなく、本気で足を踏ん張って倒れないようにするレベルの重みだ。

「な、なに、敵襲…?」
「ハハハ、ごめんねみょうじさん。びっくりした?」
「それはもう……」
「みょうじちん、なんでもっと小さくなってんのー?」
「それはね、紫原くんが重いからだよ」

 正面に回り込んできた氷室くんにスクイズを半分取り上げられた。
 頭上を見上げると、いつも通りのゆるーい笑顔の紫原くんが私を見下ろしている。うん、さっきも思ったけど今日も大きいね、紫原くんは。

「みょうじちんいっつも小さいけど、今もっと小さいよ」
「え、ほんと…? 縮んだのかな、なんでだろ」
「嫌な縮み方だったよね」
「ね〜」
「な、なるほど……?」

 横にスクイズを持った氷室くんと背後の紫原くんに促されて、半ば引き摺られるようにシャトルドアから離れ、水道に向かう。
 まるで私が躊躇っていたのをわかっているかのような確かな足取りで進んでいく。
 ああでも、水道までの道中には、私と境界線を引く見知らぬ彼女達が。

「みょうじさん、俯かないで」
「え」
「大丈夫、俺達がついてる」

 そう言った氷室くんに肩を抱かれて、これもっとやばいんじゃないかと震え上がった。明日の教室に私の席はないかもしれない。
 その予想通り、現れた私達に中庭で私の攻撃に勤しんでいた女子生徒達の視線が刺さった。

「みょうじちんはさ〜、元から小さいんだからこれ以上小さくなったらダメだよー」
「す、すいません」
「小さくなる必要なんかないのにさ〜」
「そうだね、みょうじさんは小さくなっちゃダメだね」
「なんで私怒られてるの…」

 そのまま固まる女子生徒を通り過ぎて、水道まで辿り着いた。促されるままにスクイズを下ろして、冷たい水で濯いでいく。
 氷室くんと紫原くんは傍で待ってくれている。

「もしかして練習中断させちゃった?」
「いや、大丈夫。福井さんが行かせてくれたんだ」
「あぁ〜、気を遣わせてしまった〜」
「良いんだよ、みょうじさんが固まるくらい一大事だったんでしょう」
「…」

 氷室くんが言うならそうなんだろうな、と紫原くんにチョコレートを手渡しながら頷いた。
 表情に出ないとは常々言われるけれど、別にどうとも思っていないわけではないのだ。
知らない人達から一斉に同じ敵意を向けられたら、そりゃショックだし、傷付く。

「心ない言葉なんて気にしなくて良いんだよ。もちろん、俺は許せないけどね」
「そう言ってもらえるだけでありがたいな」
「敦なんか今にも飛び出していきそうだったな」
「え」

 小さなチョコレートを頬張りながらぼーっと空を見上げている姿からは全く想像出来ない。
 でも、氷室くんがそう言うのなら、誇張表現はあるかもしれないけど多分嘘ではないのだろう。

「ていうか聞こえてたんだ」
「声大きかったからね、あの子達」
「いや〜、私思ってるより好かれてるんだなあ」

 冗談半分で言ったその言葉に、氷室くんだけでなく紫原くんも反応を示した。思わず驚いてスクイズを取り落としそうになった。
 紫原くんの長い腕で子供のように抱き上げられて、思わず濡れた両手から滴る水がかからないように腕を上げる。氷室くんが小声で「ライオンキング…」と呟いたのははっきり聞こえた。

「そーだよ、俺、みょうじちんのこと普通に好きー」
「あ、うん、ありがとう」
「だからさー、あんまり小さくならないで。いなくなっちゃわないか心配になるしー」
「こ、心得た…」
「武士だね」

 ぶんぶん頷くと「絶対ね」と言って地面に下ろしてもらえた。流石に200cmの視界は怖い。
 放っておくと私のポケットに手を突っ込んでチョコを全て食べてしまいそうな紫原くんを迅速に練習に戻すため、急いでスクイズを洗って立ち上がった。

「敦は素直じゃないけど、いっつもみょうじさんのこと心配してるんだよ」
「いつもなんてしてねーし!」
「なるほど」
「なるほどじゃねーし!!」

 戻りの道にもう見知らぬ彼女達はいなかった。
 「練習やだ」とごねる紫原くんを氷室くんが引き摺りながら、私もスクイズを抱えて2人のあとをついていく。

「寡黙さと忍耐強さはみょうじさんの美徳だけど、我慢し続けて潰れるくらいなら俺達にも少しくらい教えてほしいな」
「氷室くん……なんか先生みたいだね」
「ハハハ、let's go back to class!」
「はーい先生」

 最終的に3人で手を繋いで体育館に戻った。
 皆には「随分デカい幼稚園児連れてるな」と笑われたけど、助けてもらったのは私の方だ。
 境界線の向こうに戻りたくなる私を、いつも引き戻してくれる。
 こういうことをしてくれる優しい皆だから、私はもっとここにいたくなってしまうのだ。
(title by Hinge)


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