堕ちるならひとりでどうぞ

「…あ、起きたの。雨降ってるよ」

もぞり、と背後で動いた気配に窓の外を見たまま声をかけると、ゆっくり腰に腕が回った。
何も言わないまましがみつく腕に手を添えながら振り返る。てっきり起きているのだと思ったけれど、私の腰に抱きついたままで顔は力なく布団に押し付けられていた。まるで行き倒れた死体のようだ。

「伏黒サン」

振り返って倒れ込んだままの頭を抱え込んで黒い髪を撫でる。そのまま私も寝転んでまだ暖かいシーツに足をするりと擦り付けた。
丁度良い大きさだと色々な人から定評の胸に伏黒サンの顔が埋められて、くすぐったさに息を吐くとようやく伏黒サンは片目だけを開けて私を見上げた。

「…よく喋る枕だなおい」
「ただの枕をご所望なら他を当たってよね」
「冗談だよ」
「どうだかなー」

そもそも枕と思っている女に金を出すほどこの人の財布は緩くないだろう。それこそ、ただその日のイライラのようなもの達を発散させたいだけならそこらへんで適当に女を引っかければいいだけだ。伏黒サンは顔と体だけは良いから。
それをしないでわざわざ金を払ってまで私を呼びつけるところを見ていると、段々かわいい人だと思えてきてしまう。

「…あったけェ」
「そうでしょ。人と寝るってすごいよね。私もこないだあまりに限界すぎて出張先で蹲ってたお姉さん拾って一緒に寝たけどあったかくて安眠だった」
「は?女と寝たのかお前」
「言い方よ。普通に同じベッドで寝ただけだよ」

あれも雨の日だったなあ。
仕事終わりに急な虚しさと鬱の波に襲われてフラフラ歩いていたら、ネオンの中で路地の影になっているところで蹲っているお姉さんを見つけたから、声を掛けたのだ。
なんでも貢ぎまくっていたホストが別の(しかも自分よりずっと年上の曰くババア)女と歩いているところを見て胸に穴が空いてしまったのだとか。多分彼女は胸だけじゃなくてお財布にも穴が空いていると思う。
お互いにどうしようもなく寂しくて、誰でもいいから側にいて手を握ってほしくて、私から「一緒にあったかいお風呂入って昼まで寝てようよ」とお姉さんをお持ち帰りしたのだった。

「伏黒サンも一緒にお風呂入る?すぐほかほかになれるよ」
「なまえ、その女に金払ったのか」
「入んないの?」
「うるせェな入るよ」

お湯を張って、俯いたままのお姉さんの服を脱がせて、体を洗って湯船に浸かった途端、お姉さんはさめざめと泣き出した。私は鼻歌を歌いながら、でもお姉さんを見ていたら釣られて泣いてしまった。何も悲しくなんてなかったのに。
1つも会話はなかったけれど、お風呂から上がって前もってコンビニで買い込んでおいたサンドウィッチやらおにぎりやら、冷めてしまったからあげやらを一緒に食べて、1人用とは思えないほど広いベッドでくっついて寝た。
雨と涙に濡れたメイクぐっちゃぐちゃの顔よりも、すっぴんで眉毛が薄くて目の小さくなった素顔のお姉さんの方がずっとずっとかわいいと頬にキスをして次の日別れたのだった気がする。

「なあに、怒ってるの?なんで伏黒サンが怒るのさ〜、あ、でもお姉さんは紹介しないからね」
「いらねェよ馬鹿野郎」
「わっ」

それまでの緩慢さが嘘のようにあっと言う間に転がされて、気付けば視界には天井と伏黒サンだけになっていた。
相当機嫌を損ねてしまったのか、胸を鷲掴みにしながら噛み付いてきた。

「朝までヤるぞ、風呂はその後だ」
「え、もう無理だよ、流石に死んじゃうよ」
「ゴチャゴチャうるせェな、こっちは金払ってんだぞ」
「むむ…なんで怒ってんのさ…」

まだ20代の私よりも元気なんて伏黒サン一体何歳なんだろう。
散々体を弄られて息が上がってきたところで伏黒さんは急に動きを止めて、私の胸に顔を埋めたまま黙り込んでしまった。

「……アッわかった、嫉妬だ〜!」
「は?」
「いやマジトーンじゃん…ふざけただけだよ嘘だって嘘ウソ…」

嘘だよぉ〜と黒い頭をわしわし掻き回していると、伏黒サンが私の腹に頬をぺたりとつけて笑った。
この野郎。両頬を摘んで引っ張るも効果はないようだった。

「私伏黒サンの笑った顔好きだよ」
「そうかい」
「子供みたいでかわいい」

伏黒サンは好きだけど、それ以上には出来ないな。
この世界では自分より大切なものが出来た人から死んでいくから。
私はまだいつでもこの人の脇腹を一刺し出来る。この人よりもお金を積んでくれる人が現れたら、きっとすぐに鞍替え出来る。
私はまだ大丈夫だ。

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