ここが最果てだと思っているの?

朝食は大切だ。前の雇い主がそんなことを言っていた。多分、その事実は正しい。
馬鹿真面目に調べた時にはそこまで明確な根拠のある説ではないらしいことがわかったが、それでも私は朝食は大切だと思う。
前の雇い主だって、ちゃんと朝食を食べていつもの時間通りに私の元を訪れていれば、厄介で傍若無人な黒い男に見つかることもなく、きっと私との契約が終わってもまだ40年くらいは生きていられただろうに。

コンロの火を止めて平たい皿を探してしゃがむと、背後から腕が回ってきて胸の下、腹辺りで締め付けられる。
無視してあっちこっち戸棚を開けたり閉めたりしている間に少し機嫌を損ねたらしく、締め付けは強まり勝手に口から呻き声が漏れた。
渋々首をひねって振り返ると、切れ長の真っ黒な瞳がじっと私を見つめていた。

「…ていうか服着てないじゃん!なんで下は履くのに上着ないの」
「お前が着てんだろうが」
「新しいの出せばいいじゃーん」

目的の皿を1つ持って立ち上がる。何をするにもついてくる大きな子供を引っ付けたままフライパンの中身を皿に移し、ラップをかけ、広くはないダイニングに戻ってテーブルに皿を置く。
腹に回っていた手がするすると太腿を撫でながら膝裏まで降りたので「やめろ」という意味を込めて手を叩くも効果はなかったようで、そのまま抱き上げられてベットに投げられた。
体を起こす暇もなく上から覆い被さってきた逞しい体を押し返すと、顔を固定されて唇に噛み付かれる。

「まだ外暗ェじゃん」
「この後仕事なんだってば」
「は?聞いてねェんだけど」
「昨日言ったもん。伏黒サンが聞いてなかっただけでしょ」

大きな手で顎を掬われる。耳にキスしたり、首を噛んだり、足を撫で回したり。このスケベオヤジは朝からヤる気満々らしいが、私は彼のラブドールではない。
でも、大きなシャツの中を好き勝手に動き回る手を掴んで見上げた顔は綺麗だ。私は伏黒サンのこういう顔は好きだ。
我慢が効かない子供のような、でも油断すれば今にも噛み付いてきそうな獣のような顔。今は子供の顔が前面に押し出されている。
私が本当に折れないことを察したのか、動き回っていた手は私の顎を擽るだけに止まり、ご機嫌伺いのように唇を舐められる。

「待たせときゃいいじゃん」
「やだよ、初顔合わせで今日入金なんだもん」
「まーた知らねェジジイ引っ掛けてんのか」
「私がいつジジイ引っ掛けたよ!普通に仕事だよ。紹介とは言え顔もわからない殺し屋に金は払えないって言われた」

だからごめんねー、と上半身を起こして唇の横、伏黒サンのチャームポイント(だと勝手に思っている)傷跡にキスをして綺麗に筋肉のついた体を押し退けてベットから出る。流石に男の匂いをさせて仕事に行くわけにはいかないから一度家に戻ってシャワーを浴びよう。

「ア゛ッまた服破いてんじゃん!もーこのシャツ貰ってくからね!」
「ハハ」
「なんも面白くないから!も〜、ベルトきつくしたらなんとかいけるかぁ…?」

昨日は気付かなかったけれど、昨日私が着ていた服は見事に破かれてしまっている。いつもそうだ。私が困っているのを見るのが楽しいらしい。性格が悪すぎる。
ブカブカなシャツをなんとか着て、上着と鞄を持って玄関に向かう。

「それ食べてね!朝ご飯大事だよ」
「味は大丈夫なんだろうな」
「たぶん!」

会ったのが久し振りだったからか昨日は手酷くやられてしまった。体の節々が痛い。後で見えるところに噛み跡とかが残っていないか確認しなければ。
腰を摩りながら靴を履いているとぺたぺたと素足でフローリングを歩く足音が近付いてきた。今日はお見送りまであるのか。機嫌がいいんだなあ。

「明日の夜な」
「え、明日なんて空いてないよ。普通に仕事入ってる、来週なら月曜が」
「2倍出す」
「うーん、じゃあまた来る…。ドタキャンは信用に関わるんだからこれっきりにしてね」
「どうだかな」
「これっきりにしてね!」
「うるせっ」

人を殺して処理も気にして疲れる仕事よりも、ただ抱かれているだけでよくて、しかもお金も2倍入ってくるなら断然伏黒サンだ。さては私が出張でいなかった2週間でパチンコにすこし飽きたな?
立ち上がって振り返ると当たり前のように寄せられた頬にキスをして、まだ暗い外に踏み出した。

「明日はもう少し冷蔵庫にモノ入れておいてね」
「考えとく」
「じゃーね、伏黒サン」
「ン」

お仕事と体だけの、友人にしては近すぎるけど恋人にしては冷たい関係。
私よりいくつも年上だけど、伏黒サンは好きだ。人としては完全にクズだけどちゃんとすれば仕事は速いし、顔は綺麗だし、口は悪いけど比較的優しく抱いてくれる。
今まで金を出されてとりあえずベットに入ってきた男達とは全然違う感じの、新しい同業者。
きっと何人も女の人を泣かせてきたんだろうなぁと、一定周期で変わる彼の自宅でめちゃくちゃに揺さぶられながら思う。百戦練磨のモテ男(ただしクズ)との仕事も今ところ順調だ。
今後私か伏黒サンが変に欲張ったりしなければ、この良好な関係はこれからしばらく続いていくだろう。

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