1.0カラットのシトリンなんていらなかった

ヒール履いたらあなたより背が高くなってしまう女だけどいいの、と聞いたらヒロトくんはそんな些細なこと気にしねえよと言った。だのに、彼が共に一夜の過ちを犯した(相手が一夜の過ちと思っているかは別として)相手は私より、私達よりもずっと背の低い、小さなかわいい金髪の現地の女の子だった。

ずっとヒールのかわいい靴を我慢してきた。彼は気にしないと言ったけれど、きっと内心はどうしても気になるだろうと。私が彼氏の背を超してしまうのが嫌だったというのもある。
友達は皆背の高い女の子は素敵、タイトなスキニーのパンツがよく似合う、なんて言ってくれるけれど、私は自分を見てそんなことを思ったことは一度もない。だって私は彼女達みたいな、あの週刊誌の写真に乗っていたみたいな髪の長い、小さくてか弱そうな、ふわふわした女の子に憧れていたんだから。
いつか私も、あんなかわいいふわふわした服をきて、背なんて気にせずヒールを履いて、少し繋ぎづらい手を握って好きな人と街を歩きたい、と。




「ごめんね、急に呼び出して」
「いえ、大丈夫です。それよりよく俺を選びましたね。なまえさんなら他にも来てくれそうな人、いたでしょう」
「野坂くんが一番客観的にお喋りしてくれそうだったから。今の私何口走るかわかんないし」

夜で賑わうイタリアンなご飯屋さんの、川が望めるテラス席で1人ちまちまと酒を飲み始めて1時間、寂しさに耐えきれなくなって電話を掛けたのが野坂くんだった。
愚痴を言いたいだけなら他にも女友達はいたし、慰めてほしいならもっと優しい、感情表現豊かな稲森くんとか、一星くんとかがいた。でも、今は野坂くんが良かった。冷静な、第三者目線で私は悪くありません、0対10でヒロトくんが悪いですという確かな保証が欲しかったのだ、たぶん。
それに野坂くんはいい人だ。たまたま今日本にいるというのをSNSで見て知っていたけれど、まさか本当にこんなところまで来てくれるとは。もう野坂くんに足向けて寝られないな。

「私が何についてお喋りしたいかはご存知で?」
「流石にあれだけニュースで報道されれば耳に入ります。一応確認ですけど、あれはなまえさんのことではないんですよね?」
「うーん、私今月ずっと日本にいるからイタリアでヒロトくんとらぶらぶは出来ないなあ」
「らぶらぶ…」
「ごめん自分で言ってて気持ち悪かった、忘れて」

今日の昼、吉良財閥現社長(と言っても実務のほとんどはタツヤ)兼海外で活躍するプロサッカー選手で私と8年付き合っている吉良ヒロトと現地女性との熱愛報道が写真付きでスクープされた。私は週刊誌を見た友達からの鬼のようなメールとテレビの報道で食べていた蕎麦を吹き出したし、とてもすんなりとは受け入れられなかった。おかげでこのザマである。
本人からは言い訳なのか謝罪なのかよくわからない長文のメールが届いた。そして着信もこれまた鬼のようにきた。すべて拒否した。
そして同じく仕事でたまたまスイスにいたタツヤがことを聞きつけて「ひとまず僕がシメておくからなまえは落ち着くまでヒロトから離れた方がいい」とメールを送ってくれた。どうやらジェット機をかっ飛ばしてイタリアのヒロトのところまでわざわざ話を聞きに行ってくれたらしい。
仕事も放って私達を気にかけてくれるヒロトと、同じく散り散りになってそれぞれの生活を送りながらも心配のメールを一斉に送ってくれた家族達には感謝の念しかない。

「本人は何と?」
「酒の勢いとかなんとか…わかんね、ちゃんと言い訳メール見てないの」
「もうその時点で吉良くんとなまえさん10対0では?」
「あ、ありがたきお言葉…」
「落ち着いてください」

海外で活動することが多くなったヒロトを、心配しない気持ちがなかった訳ではない。不安はいわずもがな。けれど、何よりヒロト自身がそうしたいと望んでいるのなら、なんであろうと叶えてほしいし応援したい。それも事実なのだ。
何事にも正直で、良くも悪くも人を惹きつける人だから、ヒロトを好きになる人なんてきっと沢山いることだろう。私も所詮、その有象無象の1人に過ぎなかったのかな、と思うと涙が出てくる。8年も付き合っていて、しかも家族も同然と思っていたのに、目に見えない絆とかいうものを過信し過ぎたのだろうか。それとも距離が近過ぎたのがいけなかった?
支離滅裂な言葉を並べながらそう訴える私を、野坂くんはなんだか痛ましいものを見るような目で見ていた。

「…僕はどうしたらいいですか」
「私は悪くないって言って…あと一緒にお酒飲んで…」
「喜んで」

お酒はあまり好きじゃない。今回のことで更に好きじゃなくなった。だけど今の私にはお酒しか頼れるものがない。
度数の高いものをちびちび舐めるように飲んでいく。コップの中身が消える速度はゆっくりで、酔いがまわるのは早くて。ふわふわする頭でふと右手に光る指輪が気になった。
薬指から引き抜いたそれは、シトリンの埋め込まれたシルバーのリング。ヒロトくんが日本を発つ前にくれたリング。

「…婚約指輪だと思ってたのは私だけかあ」
「なまえさん?」
「野坂くんこれいる?」
「いると思います?」
「だよねえ〜」

摘んだそれを少し眺めて、街灯の光できらきら光る川に向かって勢いをつけて投げ込んだ。リングは転落防止の柵に当たって、ころりと川に落ちていく。
思い出が水底に消えたのを見届けて満足げに溜め息を吐いた私を見て、野坂くんは一瞬動きを止めただけで、傾けられたグラスの中身はゆっくりと消えた。

「もー知らん!」
「やけですか」
「やけと言えばやけだけどどっちかと言うと踏ん切りついた感じ!」

はあ、と溜め息をついてテーブルに突っ伏した。髪をがしがしと掻き上げて野坂くんを見上げる。
ほんのり顔が赤いような、気がする。野坂くんも人の子なんだな。ちゃんとアルコールで酔うんだな。

「野坂くんは彼女いないの?彼女」
「今のところはいませんね。忙しくてとてもじゃないですけどそれどころではなくて」
「そうだよね〜。というか西蔭くんが許さなさそうな感じ。俺に代わって野坂さんを守れる強さを持っていないと認めませんって」
「西蔭は俺の父親か何かですかね」
「えへへへ、ふふ」

でもあり得そうで怖い。西蔭くん、野坂くんが絡むと普段の常識人っぷりはどこに行ったって思うようなことをしでかす時があるからなあ。
今はたまにSNSでやりとりをする程度で、昔と比べたら疎遠になってしまったけれど、私は存外野坂くんと西蔭くんのコンビが大好きだったのかもしれない。

「野坂くんはきっと女の子を幸せにしてくれるだろうなあ」
「そうだといいです、そうであるための努力はします」
「西蔭くんも何だかんだ言って優良物件だよね。野坂くん絡むと故障するけど」
「ははは」
「あー、私も野坂くんとか西陰くんに幸せにしてもらいたいな〜。なんちゃって」

突然野坂くんが噎せたので慌てて上体を起こして野坂くんの様子を伺う。何かそんな変なことを言っただろうか。
げほげほと咳き込んで、ようやく顔を上げた野坂くんは。

「そ、れは」
「え」
「僕が、なまえさんを幸せにしてもいい、ということですか」

らしくない茹で蛸のような真っ赤な顔で私を見た野坂くんは、それっきり私の言葉を待つように黙ってしまった。きっと彼の顔の赤さは、アルコールのせいではない。
どうやら年下の男の子の純情を弄ぶ形になってしまったらしい私は、自分の言動にどうすれば責任が持てるのかと悩んでまたもやヒロトからの着信を無視することになる。

- ナノ -