I Beg You

夏の少年と棺のような青い屋根から数年後



「マジでしんどいにもほどがあるんだが」
「いやなまえなんだかんだ言ってめっちゃ進んでるじゃん」

カフェでパソコンと向き合ってキーボードを叩くこと数時間、そろそろ目がしょぼしょぼしてきた。まだ若いとよく言われるけれど、疲れるものは疲れる。子供の頃から電子機器は相変わらずさっぱりなのだ。
あの夏悠馬を見失った私は大学生になった。

「宿題にかまけてちゃんと人の話聞けないのが嫌だから」
「いやにピンポイントだな…昔なんかあった感じ?」
「いや、うーん…」

悠馬の話を人にするのは憚られた。なにせもう随分前のことで、私でさえも悠馬の顔も、声も上手く思い出せなくなっている。
そういえば、悠馬の日、もうすぐだな。

「帰りスーパー寄るか…」
「相変わらずの主婦っぷり。一人暮らしだっけ?」
「うん。実家より学校に近かったから、今の家」

私は大学生になった。相変わらず炒飯の神には愛され続けている。今まで私の炒飯を食べて不味いと言った人間には出会ったことがない。
炒飯を作る時、悠馬を鮮明に思い出す。だから私は炒飯と、夏が好きになった。

「そういえば、なまえ最近テレビ見てる?」
「ううん、あんまり」
「ほら、FF近くなってきたでしょ、もうすごくて」
「かなえサッカー好きだっけ?」
「弟がサッカー小僧。今小学生なんだけどね、テレビ見てもう燃えちゃってさ」
「ふうん」

テレビはあまり見ない。父から一人暮らしのお祝いにとそこそこしっかりしたテレビをもらったけれど、あまり使っていない。
近頃は子供の虐待死なんていう胸糞悪くて暗いニュースばかりで、とてもテレビをつける気にもならなかった。
すべて、悠馬を思い出す。

「…よし、キリいいから出よう」
「え、レポート終わってないのに?」
「アイスティー2杯ずつで4時間は流石に居づらい。かなえ完全に手止まってるし」
「バレてたか〜」

パソコンをスリープモードにして、カバンの中身を確認して、2人で丁度の硬貨を出して店を出た。
真夏にしては涼しい午後で、風が気持ちいい。

「やっぱ雷門かな〜、あそこなんやかんや強いもんな〜」
「まだサッカーの話続いてるの?」
「うちのチャンネル権完全に弟にあるから私も見せられてるんだよ、なまえも見ようよ〜」
「うーん…」

サッカー、そもそもルールすらわかんないんだよなあ。

「最近出てきた! 王帝月ノ宮! 気になるんだよ!」
「すごい名前だな、中学校でしょ?」
「うん、名前もすごいんだけどそこのキャプテンすごい顔が良い」
「顔が良いキャプテン」
「うん」
「…中学生相手にまさか…」
「違うって!! 純粋に選手として見てるって!!」

全力で否定しているけど、かなえは面食いの気があるからな…。中学生相手でももしかしたら…。
という考えが顔にありありと出ていたのか、かなえに違うんだって!ともう一度強めに否定されたので頷いておく。

「絶対信じてないでしょ!」
「いやいや、信じる信じる」
「嘘くさいな〜」
「で? なんて名前の選手?」
「えっと、下の名前は忘れた!苗字は確かノサカ!」
「忘れたんかい」
「顔がインパクト強くて」
「駄目じゃん…」

がくりと頭を下げた瞬間、向こうからすれ違うように歩いてきた人と肩がぶつかった。それほど狭い道じゃないのにな、と思いつつよそ見していたのは私なので反射的に「すいません」と口から漏れる。
相手はさしてよろけた様子もなく、穏やかな表情で「こちらこそ」と答えた。その目を見て、体が強張ったように固まった。
夏の暑さと苛立ち、あの時の虚しい気持ちが蘇る。

「…ゆう、」
「すいません、急いでいるので」

人の顔なんて数年もあれば多少なりとも変化する。それはわかっている。もしかしたら他人の空似かも。いやきっとそうに違いない。
だってそうとでも思わなければあれは、あの目は、恐ろしいほど悠馬に似ていた。

「なまえ? 大丈夫?」
「…あ」
「どっかぶつけた?」
「……や、うん」
「どっちだよ」

かなえに背中を押されて、やっと歩き出す。
上着のポケットに手を入れると、小さな紙が入っていることに気が付いた。かなえの言葉を聞き流しながら折りたたまれたメモ帳のようなものを開く。

「さっきの、丁度なまえと被って顔見えなかったけど、雰囲気イケメンだったね。多分年下だろうけど」
「…」
「ん?なにそれ」

再び立ち止まった私の手元を覗き込んでかなえが首を傾げた。

「"今度はずっと一緒にいてね"? なにそれ、いつそんなもんゲットしたの」
「し、知らない…」
「…なまえ、本当に大丈夫?」

顔面蒼白のまま紙切れを握り締めて立ち尽くす私はさぞ異様だったことだろう。かなえの声も届かないほど、私の頭は急に鮮明に浮かび上がってきた悠馬に支配されていた。これがいたずらなんてことは思いつきもしなかった。
あの夏の日の記憶が呪いのように足元から這い上がってくるようだった。これはきっと私の勘違いではない。悠馬はきっと私の知らないところで生きていたのだ。

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