約束って言ったじゃん

「ねぇなまえちゃん、欲しいものはない?他に、必要なものとか」
「何でもいいので外に出してください」
「それは無理」
「外の新鮮な空気が」
「それも無理」

真っ白なシーツが敷かれた真新しいふかふかなベット。真新しい木の匂いがするダイニングテーブルと椅子。
まだ水が一度も流されていないキッチンのシンク。新しい調理器具。
埃すら見当たらない、柔らかく日の光を受けている木目調の床。真新しい、大きなテレビ。二人掛けの白いソファ。
棚には少しの観葉植物と、水色のエプロン。
全てが新しくて、全ては私の為のものだった。

「ここから出してください、家に帰りたいんです」
「駄目だよ、今日からここが俺となまえちゃんの家なんだもん」
「私は貴方のこと知りませんし、貴方とそんな関係になった覚えもありません」
「これから知っていけば良いよ」
「ここから出してください」

穏やかに笑う男性に、私はついさっき誘拐された。
会社の通勤途中にいきなり車に連れ込まれて、気が付いたらどこかわからない家の中だった。
外の景色からして、高層マンションのどこかだろうか。

「そんなこと言わないで。ほら、家の雰囲気とか、なまえちゃんの部屋に似せてみたんだけど、気に入ってくれた?」
「何で私の部屋のもの知ってるんですか」

グレーのスーツを緩く着た彼は、どうやら物好きにも私のストーカーらしい。
好青年らしい笑みを浮かべて、つらつらと私の私生活に関することを何でも当てていく。
動揺し過ぎてどう反応すればいいのか、最早私にはわからない。

「普段朝はちょっと忙しいからいないけど、帰りは遅くはないし、日曜日は休みだからずっと一緒にいようね」
「…」
「俺のことは徹って呼んでほしいな。あ、俺、及川徹ね」
「………及川さん、何で私をここに連れてきたんですか。何がしたいんですか」
「だから、徹って呼んでよ」
「…徹」

急に鋭くなった眼光に、自分は今誘拐犯と一対一で対峙しているということを思い出した。
彼の機嫌を損ねれば、私はどうなるかわからない。彼がどういう人間なのかは知らないが、誘拐を実際にしてしまう位なのだから、きっと頭の螺子は数本外れていることだろう。

「…私に、何を求めているんですか」
「…何も?」
「…」
「ただ、朝はおはようって言って一緒にご飯を食べて、お昼は一緒にのんびりして、夕方は一緒に買い物に行ったり、散歩したりして、夜はまた一緒にご飯を食べて、お風呂に入って、おやすみって言ってほしい。ただ、それだけ」

何だ、それは。それではまるで、ただの普通の家族の一日ではないか。
今までの彼には全く面識がなかったが、日の光を受けて、照れくさそうにはにかむ彼には、何故か見覚えがある気がした。


『ただ、朝はおはようって言って一緒にご飯を食べて、お昼は一緒にのんびりして、夕方は一緒に買い物に行ったり、散歩したりして、夜はまた一緒にご飯を食べて、お風呂に入って、おやすみって言ってほしい』
『…』
『…駄目かな、やっぱり。ごめん、気持ち悪いよね』
『……そ、そんなこと、ないと思うよ』
『…』
『もし、私達が大人になって。それでもまだ、貴方が私のことを覚えていて、今日この日を忘れないでいてくれたなら……』


「…忘れないでいてくれた、なら……」
「!」
「……何で、私なんですか」

私よりもとても高い位置にある焦げ茶色の瞳を見つめる。明らかに、落胆の色を隠しきれていない、瞳を。
顔は笑っているのに、心は涙を流しているような、そんな表情。

「…決まってるじゃない。なまえちゃんが、好きだから」

あぁ、やっぱり私には彼の思考が理解出来そうにない。

- ナノ -