随分軽忽な同情ね
あの人はある意味堰で、わたし達はその上を流れる濁流だった。良くも悪くも人間を制御して、でも堤防の役割はないから、一度流れ出すと軌道修正は出来るけれど止まらせはしない。そういう機能で、唯一の人だった。
「過程は普通じゃないし、あの時の気持ちも勘違いだったのかもしれないけどね。今はちゃんとわたしがあの人を好きで、愛してるのよ」
紅茶の湯気の向こうで、張り詰めた、なんだか怯えているような表情をした男の子の目をちらりと見やる。
年は弔よりも下だろう、制服はパリッとしていて、学生特有の初々しい感じが可愛らしい。いや、男の子に可愛らしいは失礼だろうか。
「…僕には、まだ、…難しいです」
「そうよね。それが普通だと思う。でもそれがわたしの気持ち。大英雄が貴方にわたしのことをどう伝えたのかは知らないけれど、わたしはここから連れ出されることも、日を浴びて真っ当に生きていくことも望んでいないわ」
あの人が大英雄に敗れて数週間、緑色の髪の男の子がわたしを訪ねてきた。どうやってここを探り当てたのかはわからない。
名前は緑谷くんと言うらしい。彼はわたしをここから連れ出して、自由に生きられるようにしたいのだと言った。
でもそれは、わたしの意志ではない。
「で、でも。自由に外を出歩けなくて、…ずっと1人でいるのは、…とても寂しいことだと、思うんです」
「そうね、寂しいわ」
「……ごめんなさい」
「どうして謝るの?貴方は何か悪いことをした?」
「…ごめん、なさい」
どうやら彼は、わたしが1人になってしまったことに責任を感じているらしい。この寂寥感は誰のせいでもないというのに。その責任を押し付けるとしても、あの人以外に悪者はいない。
「…僕はまだ、恋とか愛とか、わからないけど、……大切な人がいなくなる気持ちは、痛いほどわかります。だからこそ、貴方をこの家の中でひとりぼっちにしておきたくないんです」
「…痛いほど、ね」
「貴方のことも、オールマイトから聞きました。ずっと救けられなかったと、悔やんでいます」
直に会ったこともない"過去の被害者"であるわたしすらも、あの大英雄は勝手に背負ってしまっていたらしい。本当に、身勝手で、神聖で、愚直で、残酷な人。
「それを、緑谷くんが受け継いで、背負ってここまで来てしまったのね」
「せ、背負ってなんて、僕はそんな…」
「…ねえ、揃いも揃って"気持ちは痛いほどわかる"、"貴方を自由にしたい"って言うけれど、所詮痛いだけの貴方達に一体何がわかっているの?」
緑谷くんを真っ直ぐ、睨め付けるように汚れた言葉を吐き出した。ごめんね、緑谷くん。おばさん大人気なくて、全然真っ当な人じゃないから、これしか貴方を楽にしてあげる方法を思いつけないの。
テーブルの下でスカートの上から太腿に爪を立てた。緑谷くんは、何も言い返さずに、ただわたしを見つめている。
「身が千切れそうな悲しみも、夜1人でやり過ごす怒りも、全部全部わたしだけのものよ。勝手に理解したふりをして、背追い込まないで。勝手に共有しないで」
「…ごめんなさい」
「"
きっと、大英雄同様、見たこともないわたしを捜して1週間も街を歩いたという彼は、優しいいい子なのだろう。
そんな子に、わたしなんかを背負わせてはいけない。背負うのも、背負って征かれてしまうのも、もうこりごりだ。
「…貴方が責任を感じて、藻掻く必要はどこにもないのよ。わたしが1人になったのも、死ねないのも、全部わたしの責任。こうなった時から、いつか1人になるのは覚悟していたから」
これがわたし達の愛で、わたしの人生なのよ。
そう言うと、緑谷くんは何も言わずにぽろぽろと涙を零した。
子供達は背負うものが多過ぎる。緑谷くんも、弔もそうだ。
おこがましいことだけど、弔のことは本当に息子同然に思っている。あの子には幸せになってほしい。
別に日の当たる場所で真っ当に生きてほしいなんて思わない。あの子はあの子の幸せを見つけて、それを受け入れてほしいのだ。
「泣いてごめんなさい、悲しいんじゃないんです、苦しくもないんです」
「いいのよ、わたしこそごめんね、でも、貴方がわたしで悩むことは本当にないのよ。さ、紅茶冷めちゃうわ。色が濃いけど、爽やかで美味しいのよ」
「はい、…いただきます」
「お砂糖入れて、ミルクも入れる?クッキーもあるのよ」