The love is intangible, but....

「最後にお前に聞きたいことがある」
「まだあるのかい?」
「とぼけるな。聞かれないとでも思ったのか。みょうじなまえさんについてだ」
「それってもうとっくに時効じゃないのかなあ」

まだなまえを覚えている人間がいるというのはとても煩わしい。ああ、僕は個性を使うと撃たれてしまうから、彼らに危害を加えることなんてとても出来ないけれど。

「みょうじなまえさんは47年前にも一度姿を確認されている。誘拐された当時と変わらない姿で」
「ああ、あれは試しにと思ってつけていた護衛役が下手だったんだ。よく覚えているよ。写真を撮られたと言っていた」

正確にはなまえを連れ去ってから二度、僕はミスを犯した。それで大事なものを他人に任せるのは良くないと改めてわかって今の家になまえを入れたのだけど、それでも彼らは健気に捜査を続けていたらしい。
姿の変わらないなまえの姿を見られていたから、大昔の事件でも僕と関係があるかもしれないとマークされていたのかもしれない。

「みょうじなまえさんは生きているんだな」
「それは否定しないけど、なまえの話はよさないか。僕以外の口からなまえの名前が出るのは少し妬いてしまう」
「ふざけるな」
「ふざけてなんかないさ」

僕は彼女が好きなんだから、他の男がなまえの話をしていたら面白くないのは普通のことだろうに。どうしてわからないのかな。
なまえがいたら、「やめて頂戴」と僕を叩いただろうか。

「みょうじなまえさんを誘拐したことに間違いはないな」
「誘拐…まあ、そうなのかな。なまえは自分で選んで僕のそばにいると言っていたんだけど」
「洗脳でもしたんだろう、早く彼女を解放しろ」
「解放しろと言われてもね…」

拘束も何もしていないし。
ふと抱き締めたなまえの華奢な温もりを思い出した。温もりと呼んでいいのかわからないほどなまえの体は冷たいけれど、あれは確かになまえの温もりだ。まるで死体のような。
当然だ、彼女の心臓は僕が持っているのだから。



夢のような一目惚れだった。そんなことが現実に起こりうるということにも、自分にそんな気持ち、いや機能が備わっていることにも驚いた。
いてもいなくても支障のない、無個性だが僕を支持すると大口を叩いていた男の許嫁がなまえだった。
彼女は元々霧になる個性を持っていて、自分も個性を得てなまえと対等になりたい、と野心と欲望に塗れた顔は輝いていた。
対してなまえはいつも物思いに耽っていて、何をしていてもあまり楽しそうではなかった。
許嫁の男がどんなに自分の自慢をしても、高価な贈り物をしても、指輪を贈っても、喜びはしなかった。

彼女はどうすれば笑うのか、何をすれば幸せになるのか尋ねてみたくて、片時もなまえのそばを離れない邪魔な男の隙をついてなまえに「君は彼との結婚が嬉しくないのか?」と問いかけた。

「…嬉しくはないわ。親が勝手に決めた人だし、あの人は自慢話ばかり」
「確かにそうだ。好きな人はいなかったのかい?」
「いないわ。いたらもっと悲しみに暮れたりしたんでしょうけど、それすらないから困ったものよね」
「ふうん」

横目で見たなまえは、初めて薄く笑った。
本当に微かな微笑みだったけれど、確かになまえは笑った。花が咲いたようだなと思った。

「そんなことを聞いてきたのは貴方が初めて。皆羨ましいって言うの」
「へえ」
「それに、貴方ってもっと人に興味がない人だと思っていたわ。わたしを見てそんなことを考えていたのね」
「おかしいかい?」
「ええ、少し。気を悪くしたらごめんなさい。でも、貴方と話すのはあの人の自慢話を聞いているよりよっぽど楽しい」

いたずらがばれた子供のように笑ったなまえに胸が高鳴った。まるで自分まで子供に戻ったような錯覚がして、同時に何としても彼女を手に入れたいと思った。

あの男を殺した。
本当は殺すつもりなんてなくて、彼女から手を引けば見逃してもいいだろうと思っていた。しかしあの男は、僕の目の前でなまえを抱き締めようとしていた。
男の肩越しに視線がかち合った彼女の目は、僕と話していた時の笑顔は欠片もなく、虚ろで何を考えているのかわからない目になっていた。
せっかくなまえが笑ったのに、と怒りのままに背中から手を突っ込んで男の心臓を力一杯に握り潰した。

「…な、にを」
「ああ、すまない、顔が汚れてしまった」

男が吐いたどす黒い血が飛んだ頬を震わせて、なまえはただ僕を見ていた。
虚ろな色のなくなった藍色が一心不乱に僕を見つめているのは心地が良い。血色の悪い青白い肌に赤い唇が浮いて見えた。

「なにをしたのか、わかっているの…」
「急過ぎたことは謝るよ。けど、また君に笑ってほしくて。この男じゃなく、僕のそばにいてくれないか。僕は君を幸せにする」

真紅の唇が何かを言おうとして震える。崩れ落ちそうになった男の死体を、これ以上なまえを汚す前に傍に投げた。
汚れた頬を親指でなぞる。柔らかな頬にはもう僕以外は誰も触れることがない。

「……わたし、浮気性は嫌いなの」
「じゃああの女達は今日中に、いやすぐにでも処分してくるよ」
「───わたしを置いていく人も、嫌いよ」
「…」
「貴方はきっと、わたしを置いていくわ」

置いてなんていかない、と言いかけた口が不自然に止まった。果たして本当にその約束を守れるだろうか。
その時になってみないとわからない。もしかしたら彼女を切り捨てて進む時が来るかもしれない。
誤魔化すように鉄の味がする赤に唇を重ねた。はらはらと涙を流すなまえを抱えて上げて、彼女を置いていかない為に出来ることはしようと思った。

時間になまえを奪われないように、彼女に不老不死の個性を与えようと思った。
けれどそれはなまえ本来の個性と反発し合った結果失敗して、不死は叶わなかった。
だから別の個性を使って彼女の心臓を奪った。それを食べてしまうことで、僕となまえは文字通り一心同体になった。
人の温度と引き換えに、彼女は僕が死なない限りは不老不死だった。

死体のような冷たさになってからしばらく、なまえは「あの人が死んだのはわたしのせいだわ」と塞ぎ込んでいたけれど、弔を拾ってきてからは笑顔が増えた。
擬似家族の空間の中でなまえと過ごすのは中々に楽しかった。



「みょうじなまえさんをどこに隠しているんだ」
「隠してなんかいないよ」
「貴様のような邪悪とみょうじさんが真に思い合うことなどあり得ないんだぞ」
「そんなこと、誰が決めた?僕は彼女を愛しているし、彼女も僕を愛している」

愛というものに形はないけれど、僕がなまえを置いていくことに彼女が怒る理由も、彼女の笑顔が見たいと思った理由も、恐らくそれだ。
これが愛ではないと言うのなら、他の何がそれに相応しいと言うのか、僕はわからない。
僕達の足跡は酷く血に塗れていて、結局なまえを笑顔に出来たのは両手で事足りてしまう程度の回数だったかもしれない。
それでも、唯一何にも奪われず、僕の元から離れていかず、その価値を理解されることは終ぞ無かったけれど、けれど。

「あれは、僕達の愛だった」

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