愛に形はないけれど

夜、物音で目が覚めた。
小綺麗でこじんまりとした、けれどわたし好みなデザインの一軒家は、普通の住宅街に紛れ込むようにある。ここにいるようにと、ここで家族をしているようにと言われてから、わたしはずっとここで冷たい手を待っている。
可能な限り一般家庭を模しているから、当然玄関もあって、普段わたしはそこから出入りをしているのだけど、当の彼らは一度もそこから入ってきたことがない。

ひんやりとしたフローリングに素足をつけて、そっとベットから抜け出した。
確かに弔もなかなか常識はずれのことをするけれど、こんな時間に訪ねてくるような子ではない。それなら、ここにくる人間はあと1人しかいない。

「…ああ、起こしちゃったか」
「そりゃあ起きるわよ。気付いて欲しくてわざと音を立てたでしょう」

薄暗いリビングに佇む黒い影に抱き付いた。
そっと腰に回された腕はひんやりと冷たくて、頬を寄せたスーツからは煤と、ほんのり薬品のにおいがした。

「何かあったの」

大抵、わたしに用がある時はわたしを自分のもとまでワープさせるのに、こうして自分でここに来たということは、きっとこの人の中で何かがあったということ。
心の奥底で理解を求めているくせに、決して自分を知られないようにわざと複雑になっていく。面倒な人だ。

「…君を置いていくことになるかもしれない」
「それはいつも言ってるじゃない。聞き飽きてるわ」
「…」

わたしを見下ろしているであろう顔を見上げようとして腰に回った腕に力がこもった時、やっとわたしはこの人がこんな夜更けに訪ねてきた理由がわかった気がした。

「"かもしれない"が現実になるのね」
「…」
「そうやって貴方は、わたしを」
「すまない、ごめん」
「置いていくのね」

はじめは狂ったように泣いて責めた。愛しているのなら何故置いていくことを前提にするの、ずっとそばにいる気はないの、と。しかしもう、それで涙を流すにはわたし達は生き過ぎた。
彼に心臓を握られる痛みに慣れ過ぎて、どうあってもこの人はわたしの手を取ってはくれないと何度突きつけられても、湧き上がって来るのは真っ暗な虚しい気持ちだけだ。
思えば、夢を追い続ける少年のようなくせに他のことには無関心でサイコパスの気すらあるのではと思うほど冷酷なこの人が、黙って100年近くもわたしをそばに置いていたこと自体が奇跡なのだろう。これ以上の奇跡を誰も許しはしない。

「きっとこれが最期なのね」
「なまえの隣に帰ってくる気ではいるけど、どうなるかはわからない。僕もあいつも、老いたし、衰えた」
「…ねえ、殴らせて」
「いいよ」

緩んだ拘束を解いて、握った拳を思いっきり胸板に叩きつける。びくともしない黒い影は、抵抗もしない。
それを何度か繰り返して、わたしの手がじわじわと痛み出した時、殴られるままに再びわたしを抱き締めた。

「…心臓は返さない」
「嫌な人ね」
「僕が持っていってもいい?」
「今自分で返さないって言ったじゃない」
「そうだった」

貴方が奪ったせいで、わたしはずっと冷たい。貴方がいないと、わたしは人並みの温もりを持つことだって出来ないのに。

「まだあの男を覚えている?」
「忘れるわけないわ。…忘れたりなんかしない。あれは、彼は、わたしの罪の形だもの」
「僕の手を取らなければ、普通に恋をして、家庭を持って、幸せに年老いて死ねたのにね」
「もしもの話なんてしないで。わたしは自分で選んで貴方のそばにいるの」
「…そういう、気丈なところを好きになったんだ」

一瞬痛いくらいに力がこもって、そして名残惜しいと思ったのはわたしだけかと思うほどにきっぱりと腕は離れていった。
暗闇に大きな影が溶けていく。

「さようなら#name_#。僕の羊」
「さようならオールフォーワン。わたしの死神」

またね、とは言わなかった。もう会えないだろうから。


次の日の夜、テレビで彼と黄金色の髪の大英雄を見た。ぼろぼろになっていくのは大英雄の方なのに、直感できっと負けるのはあの人だろうなと思った。

愛に形はないけれど、わたしが彼に抱いていた感情も、彼が昨日わたしを訪ねた理由も、多分それだ。
わたしたちの愛は血や涙や、罪悪感や独占欲に塗れていて、しょっぱくて、でも純粋だったと思う。
正義と悪みたいな物差しでは測れなくて、他の誰にも理解はされなくて、でもそれは立派にわたしたちの愛だった。

(20181105修正)

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