黒い羊3

君を愛しているのは本心だけど、時々魔が差したりもする。安らかな寝顔に手を掛けた時、決まって君は僕を見るものだから、未だに未遂で済んではいるけれど。
危なかったなあと思う反面、もう少しだったのにと落胆する怪物だから、君は僕に愛してると言ってくれないのかな。
そしてそれは、きっと今日も。



「…やあ、おはよう」
「……なにしてるの」

弔に寄り添うようにして体を丸めて眠っている背中に、上着を掛けるふりをして手を掛けた。みしりと音を立てるまでもなく、なまえは目を醒ました。
自分に向けられる悪意に敏感なのか、未だに僕はなまえの背後を10秒以上取れた試しがない。

「寒そうだったから、上着を」
「白々しいわね、ちゃんと責めてあげるから正直に言いなさいよ」
「魔が差したんだ」
「最悪」

差し出した手に凭れる柔らかい体温が、今はひどく煩わしい。
いつもはすぐに華奢な体を抱き締められるのに、今はそのか細い首にしか目が行かない。
じっと沈黙した僕を見て、僕の考えていることが大体伝わったのだろう。なまえが僕から体を離した。

「ああ、行かないでくれ、何もしないよ」
「嘘吐かないで。別にあなたに殺されたくてここにいるわけじゃないわ」

鋭い藍色に睨まれて、伸ばしかけていた手をぶらりと下げた。どうも、今日は駄目らしい。
なまえに触れていたところが火傷のようにじくじく痛む。そこから腐っていくようだ。
愛情が腐る。殺意に変わっていく。
理由はないのに、僕を睨む藍色を閉ざさなければと思う。白いシャツを単色のままでいさせてはいけないと思う。柔らかな頬はまろいままではいけないと。

「顔が笑ってないのよ。嘘が下手ね」
「そんなこと初めて言われたなあ」
「じゃあ貴方が出会ってきた人は皆貴方のことわかってないのね」
「君は?」
「どう思う?」

強気な態度とは裏腹に、じわり滲むように霧散し始めているなまえを見つめる。
「嘘ね」と僕を一蹴する時、なまえの目には疑念が一切含まれていない。呆れた顔を向けてくるのは僕が話し始めるよりも早い。まるで考えていることが筒抜けているような。

「…なまえは個性が2つあるのかな」
「皮肉なの?貴方がやったことなのに」
「そうじゃない。それじゃなくて、心を読む個性があるのかなって」
「そんなのあったら便利ね」

暫くの沈黙。言わない方が良いことも世の中には沢山ある。僕は知っている。彼女の鼓動を奪ったのは僕だ。
先に立ち上がったのはなまえだった。

「……変な時間に起きちゃった。ホットミルク飲みたい」
「僕も欲しいな」
「自分で作りなさいよ」
「なまえの作ったやつがいいんだ」
「温めてはちみつ入れるだけなのに?」
「入れるだけなのに」




黒霧に、殺伐としているのか所帯染みているのかわからないと言われることがある。多分、僕達はそのどちらにも当てはまらないだろう。
殺伐と言うにはあまりに穏やかだし、所帯染みていると言うにはあまりに不穏だ。
心臓を奪い取ってしまうこの感情を愛と呼ぶなら、世界はもうすでに壊れ始めているだろう。
哀れななまえ、僕の羊。
どうかその目で、僕が終わる時まで僕を見つめていてくれ。



霧になれる個性。

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