黒い羊2

目が覚めたら、部屋が見渡す限り花畑になっていた。
ふわふわとした独特の感触に手元を見ると、赤い花弁が潰れてばらばらになっている。ご丁寧に棘は全て取り除かれているようだ。暇なのかな。
これは一体何本あるんだろう、そしてどれくらいお金をかけたんだろう。

「ああ、おはよう」
「おはよう。…ねえ、これは何?今度は何がしたかったの」
「昨日弔と見ていた映画でね、こういうシーンがあったんだ」
「…薔薇まみれの中で放置されるシーンが?」
「放置なんて失礼だなあ。驚かせようと思って、結構頑張ったんだよ」
「…貴方が?せっせと棘まで取って?」
「そりゃあね。なまえが怪我でもしたら困るから」

わたしの頭に乗っていた花弁を摘んで、そいつはいつものにやけ顔ではなく本当に慈しむような顔をしてみせた。それを見て顔をしかめると、いつものにやけ顔に戻ってしまったけれど。

「いつも思うけど、君のそれって照れ隠しか何かなの?」
「これが照れてるように見えるの」
「なまえは素直じゃないからなあ、僕にもわからない時があるよ」
「じゃあ今わたしが思っていること、当ててみせて」
「うーん、そうだなあ。…結婚式はいつにしよう、かな」
「これに飽きたらこの花を一体どうするつもりなのかよ。勝手に結婚でもなんでもしてなさい」
「勝手には出来ないよ、籍を入れるには君の署名も必要だもの」
「ああそう。何でもいいけど手を貸して、また潰しちゃいそう」

自分でやっておきながら、やけに邪魔そうに花を足で追いやってわたしに伸ばされた手を取ると、そのまま抱き竦められた。自分の体から強すぎる薔薇の香りがして頭が痛んだ。
いつまでも離してくれないから広い背中を手で叩く。低い笑い声が耳元で響くから心臓に悪い。

「なまえは僕のこと好きだね」
「まあ、そうね。好きでもなかったらこんなことされて黙ってないわ」
「女性はこういうの好きだと思ったんだけどなあ」
「わたしは花を贈られるよりも、弔と貴方と手を繋いで散歩でも出来たら嬉しいわ」
「考えておくよ」
「期待はしてない」

腕の中から解放されると思ったら、そのまま抱き上げられて部屋の外に連れ出された。
白いふわふわの襟足を何となく撫でていると、「くすぐったいよ」と笑われる。

「今日も伝わらなかったなあ、こんなに愛してるのに」
「それは残念だったわね」
「僕は君とこれからも歩いていきたいし、また花だって贈りたい」
「花はいらない」
「あと今ものすごく君を抱きたい」
「やめてよ、絶対嫌」

襟足から手を離す。なんなら密着していた胸板を全力で押し返す。何てこと言ってるんだこいつ。

「子供も出来ないのに、そんなことしたくない」
「君が欲しいなら考えるよ」
「嘘ね。貴方は父親にはなれないわ」

だって、だって貴方は。

「貴方は、わたしに最期を看取らせたいんでしょう」
「…まあ、行く行くは、そうだね」
「じゃあ尚更嫌。わたしを置いていくことしか考えてない人の愛なんて嫌だわ。虚しくなるだけだもの」
「でも、君も僕が好きだ」
「…わかってないのね」

わたしは貴方を看取りたいんじゃなくて、最期まで添い遂げたいのよ。置いていかれるなんて絶対に嫌だし、逝くなら一緒に連れて行ってほしい。
それをこの人は絶対に叶えてなんてくれないから、わたしはこの人の「愛してる」が嫌なのだ。

「そういう強情なところも好きだよ」
「はいはい、ところで早く下ろしてくれない?」
「もうちょっと」
「嫌よ、早く下ろして、」

見上げた顔は跡形もなく潰れていた。
そして、ああ、これは都合のいい昔の夢だと気付く。
意識したら目覚めるまではとても早い。薄暗い部屋で寝ていたわたしにはもう、あの眩しい花畑なんてとても、とても。




「ああ、おはよう」
「…おはよう」

潰れたにやけ顔は昔と何も変わらない。わたしを置いていくつもりでいるのも、言うまでもなく。

「わたし、貴方が嫌いかもしれないわ」
「それは困るなあ」
「それならもう少し困ってる感じを出しなさいよ」
「難しい注文だ」
「何が難しいよ、嘘吐き」

本当に、愛しているなんて、最低な嘘吐きだ。

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