星の残骸を吊り下げて願います2

大分肌寒くなってきたから、マスクをしていてもあまり浮かなくなってきた。だから秋と冬は好き。
元々寒がりだから、マスクの上からさらにネックウォーマーと、マフラーを巻いて顔をガードする。洋ちゃんには着込み過ぎだと毎年笑われていたけど、こればかりは譲れない。
少しでも傷が隠せるなら着込むことも苦じゃないし、それにどうしたって寒い。

寒いし、私なんか気にしている人もいないとわかっているけれど、外に出るのは勇気が要る。それでもリュックを背負って、知り合いに会う確率の高い学校まで行けるのは、そこに洋ちゃんがいるとわかっているからだと、今は思う。
合宿の最終日に練習試合をすると連絡が来たのは昨日のことで、最終日というのは今日。
本当に突然の連絡で、最初はもっと早く言ってよと少し怒りもしたけど、当日までに私の心が折れないようにという洋ちゃんの気遣いだったのかもしれない。ただのうっかりだった可能性もあるけど。

洋ちゃんが好きなものならきっと面白いんだろうなあと思って、野球のルールは勉強していた。
甲子園もテレビで見ていたし、洋ちゃんの試合は高校に入ってからは観に行くようにしている。
私の姿を見て野球部の人達が不審者かとどよめいていたのも、今では危ない奴ではないと洋ちゃんが伝えてくれたのか、不審がる目はそのままだけど声を掛けられることはなくなった。



試合が終わった後も、野球部の人達は忙しそうだった。対戦相手は稲城実業で、白い頭の奴がいたらお前は駄目なタイプの奴だから逃げろと言われた。だから少しだけ、今日は緊張している。
まだ流石に雪は降っていないけど、こんなに寒いのに元気だなあと、動き回っている野球部の人達を見て思う。
その後ろ姿を見てぼやっとしていたら、突然背後から肩を掴まれた。驚いて振り返ると、頬に土をつけた洋ちゃんと、その後ろに御幸くんがいた。

「よ、…倉持くん。びっくりさせないでよ」
「なんだよ、呼びづらいなら洋ちゃんでいいっつってんだろ」
「だって、恥ずかしいでしょ、仲良いって思われたら」

別に私が恥ずかしいんじゃなくて、洋ちゃんが。私みたいなのと仲が良いと思われたら、きっと洋ちゃんが恥ずかしい思いをしてしまう。
私がそう思っているのをわかっていて、それを洋ちゃんはいつも怒る。
今もヘッドロックをかけられて、わたしはずれそうになるマスクとネックウォーマーを押さえるのに必死だ。

「んなこと誰も思っちゃいねーよ馬ァ鹿!!」
「洋ちゃんいたい、いたいよぉ」
「倉持、後ろ」
「あん?」

御幸くんが指差した方を見ると、フェンスの内側でピンク色の髪をした人が手招きをしていた。みるみる洋ちゃんの顔色が悪くなっていく。御幸くんは爆笑している。

「…なまえ、ここで待ってろよ。送ってやる」
「うん、ありがと」
「御幸!なまえがうろちょろしねぇように見とけよ!」
「みょうじさんお前と違って大人しいから大丈夫だよ」
「テメェ後で覚えてろよ!!」

洋ちゃんはご丁寧に中指を立てて去っていった。
残された御幸くんは私の様子を伺うように眼鏡越しにちらりと目線を寄越した。
私自身、洋ちゃんの友達なら悪い人ではないんだろうし、御幸くんも気を遣ってくれているから、御幸くんが側にいてもあまり気にしなくなってきた。
ただ、それと緊張しないのはまた別の話で。

「…みょうじさん、寒がりなんだね」
「……う、うん」
「試合、見てて面白かった?」
「…うん」
「そっかそっか」

御幸くんが気を遣って沢山話しかけてくれるのに、私は返事もろくに出来ない。会話もそこで終わらせてしまう。ごめんなさい、と何度思ったことか。
それからしばらく沈黙してしまって、どうしようかなと思っていたら、突然背後から「一也!」と声がかかった。みんな後ろから来るよね。みんな背後は気をつけようね。
振り返ると、稲実側のピッチャーの白い髪の男の子がこちら、正確には御幸くんを指差してこちらに向かってきていた。
みんな背後には気をつけようね…。洋ちゃんが怒る姿が目に浮かんだ。

「なに?カノジョ?随分ヨユーじゃん一也のくせに!」
「ちげーよ、お前もう帰れよ、うるさいから」
「なんだようるさいって!!」

ヒェ、声が大きい…。
洋ちゃんが大声を出してるのは別に気にならないけど、他の人、ましてや男の人。
私が男の人が多いグラウンドで緊張しているのをわかっていたから、洋ちゃんは御幸くんを側に置いていってくれたのに。
御幸くんは悪い人じゃないのはわかっているし、私がどんなにとろくても怒ったり呆れたりしないから、彼は洋ちゃんの次に近くにいても平気な人だったりする。マスクは外せないし傷のことも一切知らないけど。
御幸くんと口喧嘩するのに飽きたのか、男の子の目が今度は私に向いた。勘弁してください、私なにも悪いことしてません。

「一也のカノジョ?てか着込み過ぎじゃない?顔ほとんど見えないじゃん!」
「違ぇって言ってんだろ、この子に話しかけんな、うるせえ」
「だからさっきからうるさいって何なの!?別に一也に話しかけてないし!!」

ずい、と男の子が顔を覗き込んでくる。ほんのり青色の大きな目がしっかりと私の目を捉える。
そんなつもりはないだろうけど、何だか逸らした瞬間殺されそう。獲物の品定めをする目である。

「綺麗な目してるけど、目だけじゃわかんないなあ…ちょっと顔見せてよ!」
「あっおい!鳴!!」
「っ……!!」


温かい手が、ネックウォーマーを超えてマスクを掴んで、そして引き摺り下ろした。
喉がぎゅっと閉じて、目の奥がからからになっていく。
あまりに突然の出来事で、伸ばされた手を跳ね除けることも、マスクを上げることも出来なかった。
がたがた震える手で顔を覆った瞬間、冷たい風が体を包み込む。私の頭に布が掛けられた。洋ちゃんのにおいがした。洋ちゃんのにおいと、土のにおい。洋ちゃんのジャージだ。
洋ちゃん、走ってきてくれたんだ。

「なまえ、なまえ、落ち着け。俺の声、聞こえるか」

がくがくと頷く。洋ちゃんに支えられていなければ、今にも地面に崩れ落ちそうだ。
私の顔を覆う手を取って、洋ちゃんもジャージの中に顔を入れて私の目を見た。洋ちゃんの目だ。つよい目。

「俺はまだ部活がある。お前についててやれねえ。ジャージは貸すから、このまま一人で校舎に入ってろ。必ず迎えにいく」

うん、と頷いた。喉が張り付いて声も出ない。情けなさと、怖さで涙が出た。

「出来るな?」

出来るよ、出来るよ洋ちゃん。
洋ちゃんが出来るって思うなら、私きっと頑張れる。
笑ってみせた。気にしないでって、私なら大丈夫だよって伝わるように。喉から変な音が出ているけど、私はちゃんと笑えているだろうか。

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