星の残骸を吊り下げて願います

「よ…、倉持くん」

緊張した面持ちで俺に何かを訴えかける黄金色の目は、相変わらず寝不足のようで隈があった。
面持ちと言ってもマスクをしているから見えるのは目元だけで、顔色の悪さも相まってパッと見た感じ不審者と相違ない。

「あんだよ」
「…は、話がある、です」
「ここじゃ駄目なのか」
「うん、とても、だめ…」

急かすように、縋るように制服の裾を掴んでくるものだから、元々移動するつもりだったが溜め息を吐いて見せた。それだけで細い肩が揺れる。

「…ごめん……」
「別にいいって、オラ行くぞ」
「う、うん」

今度は逆に袖に隠れた手を握って教室を出た。
先に話しかけたのはなまえなのに、背後では倉持がなまえを誘拐しただのカツアゲかだのとひそひそ話す声が聞こえてくる。
それを聞いたなまえが、マスクの中でぐっと唇を噛んだのも、わかっていた。




「…んで、話って何だよ」
「…よ、洋ちゃん、あのね、あの」
「落ち着け、別に逃げねえから」
「……重大発表だよ、聞いておどろいて」
「ハイハイわかったっつーの」

蚊の鳴くような声は、教室にいた時と比べてしっかりとしたものになり、顔色も幾分かマシになった。
誰もいない空き教室で、握り締めた手を上に掲げて、ついになまえは息を吸い込んだ。

「…CDを!出すことに!なりました!」
「……おいマジかよ」
「マジのマジ!めっちゃマジ!」

聞いて驚けとは言われたが本当に驚いた。
反応が鈍い俺を見て、なまえは少しだけ得意げに笑ってみせた。

「声かけてもらってね、今まで投稿してた曲をね、出すの」
「…おばさん達は?」
「すごいびっくりしてたけど、喜んでくれた」

なまえは興奮したのか、珍しくマスクをずり下げる。
柔らかな白い右頬から鼻骨にかけて走る傷跡は、こいつと俺が小学生だったの頃の記憶を呼び起こした。


俺はただの野球馬鹿で、なまえはただの歌が上手い馬鹿だった。
家が隣同士で、なまえは俺がキレても凄んでも泣くことすらなかったし、何より静かだった。隣にいた理由なんてそれくらいだと、互いに思っている。
俺が庭で素振りして、なまえは音楽を聴く。
互いにやっていることも向いている方向もばらばらだったけど、なまえといると心が穏やかになった。
でもそれは、四年生になる頃には、顔も思い出したくない身勝手な奴に過去にされてしまった。
俺となまえで買い物をしている時だった。俺もなまえも袋で手が塞がっていて、それに沢山人がいたから油断していた。
突然横にいたなまえがよろけたと思ったら、視界の隅で赤いものが飛び散って、ついでに勢い余ってオッサンが俺の横に倒れ込んだ。
一瞬何が何だかわからなかったけど、オッサンの手には刃が赤くなった果物ナイフが握られていて、俺の斜め後ろに尻餅をついていたなまえの顔は、とにかく血だらけだった。
わかったのはそれだけで、あとは体が勝手に牛乳とか卵とかが入ったレジ袋を投げ出して、なまえとオッサンの間に入った。
オッサンはすぐに周りにいた大人に取り押さえられて、警察とおばさんと母さんが飛んで来た。
なまえは泣きもしないで、ただ投げ出された袋の中の割れた卵をぼんやり見ていた。
なまえが救急車で運ばれて、俺も警察に行かなきゃいけなくなって、パトカーに乗る前に振り返った時、コンクリートの一部に赤いしみのようなものがあったように思う。


傷は思ったよりも深くて、大人になっても跡が残るだろうと言われたらしい。
あの後、まあ当然といえば当然だけど、なまえは男が駄目になって、学校でも上手くいかなくなった。だから、中学校に上がる前にみょうじ家は東京に引っ越した。
それでも律儀になまえは手紙を寄越した。俺が上京して、青道で再会するまで。


「CD出るのね、家族以外はまず洋ちゃんに報告しようと思ってね」
「あーハイハイ。つーかお前俺以外に報告出来るやついんのかよ」
「ウッ……ば、ばかっ」
「ヒャハハ」

痛々しい傷があっても、なまえは大分可愛げのある顔をしている。とびきり美人というわけではないけど、顔のパーツ一つ一つが何ていうか、愛嬌がある。雰囲気は小動物っぽい。
それでもなまえに友達が出来ないのは、絶対に人前で外すことはないマスクと、昔のトラウマで人と上手く話せないせいだ。
こうして外でマスクを外すのも進歩した方で、少し前までは家ですら外すのを躊躇っていた。完全にコンプレックスというか、傷跡自体が地雷らしい。
中学校でもマスクが外れると息も上手く出来なかったらしく、傷跡のことを知られてからは腫れ物扱いだったそうだ。
「洋ちゃんがそばにいるのが嬉しい。教室いっこ離れてても、なんか安心する」と言われた時には、この幼馴染がこんなに素直なままでいたのに俺は髪なんか染めて何をやってたんだと恥ずかしくもなった。同時に、なまえは実はとんでもなく可愛い奴なのでは?と昔から抱いていた疑問が確信に変わった。
相変わらずマスクは外せないし、クラスメイトとも碌に話せていないようだけど、こいつはこいつなりに頑張っている。
何せ、小さかった時からの夢を一つ、叶えてしまったのだから。

「…これで一つ、夢叶った」
「そうだな」
「わたし、これから頑張るね」
「まずは友達作れよ」
「…よ、洋ちゃんだって御幸くんしか喋る人いないじゃん…」
「ウルセーよこの野郎」
「いた、痛い、ごめんってば」

なまえは歌が上手いだけじゃなく、歌を作るのも上手かった。
中学二年くらいの時から自分で作った歌を自分で歌ってネットに投稿していて、俺もそれは聴いていたから、こいつがどんな歌を作っていて、どれだけそれがすごいものなのかは知っている。
やっと然るべき人間達がなまえの才能に気付いたのだと思うと、自分のことのように嬉しかった。小っ恥ずかしいから絶対言わねえけど。

「…マスクも、無理にとは言わねえけど、まあ考えろよ」
「………うう」
「ここでも外せるようになったし、まあ進歩はしてるけどな」

そう言うと、マスクをずり下げていたことに自覚がなかったのか、口元を触ったなまえが「やっちまった!」という顔でマスクを上げる。傷も見えなくなった。

「もっと早く言ってよ…」
「別に誰もいねえし平気だろ」
「でも誰か入ってきたりしたら、もうわたし駄目だよ」
「出た、なまえの"もうダメ"」
「ふ、ふざけないでよぉ、こっちは真剣なんだから」

なまえが俺を殴ろうとした時、突然扉が開いた。
弾かれたように二人で振り返ると、そこには目を丸くした御幸が立っていた。特になまえはすごい形相で再び口元を触っていた。ちゃんとマスクしてるから安心しろよ。

「あー…俺、邪魔?」
「別に大した話じゃねえよ。んで、何だよ」
「哲さんから、今日この後雨らしいから中で基礎トレだとよ」
「ウゲェ、まじかよ」

窓の外を見ると、いつの間にか空はどんより曇っていて、今にも降り出しそうだった。
再びなまえの手を握って歩き出すと、なまえは借り物状態で大人しく後をついてくる。その横を御幸が歩く。
さりげなくなまえを壁側にして、他の生徒から見えないようにしているのは褒めてやろう。だが距離が近いぞ。

「ごめんねみょうじさん、邪魔しちゃって」
「………別に」
「そう言えば、みょうじさんこの間の練習試合観に来てたよね、どうだった?」
「…………」

御幸の問いかけに、たっぷりの間を空ける。
少し前までは、御幸が近寄ってくるたびに俺を見て助けを求めていたから、本人なりに頑張ってはいるのか。
うろうろと忙しなく泳いでいた目が、覚悟を決めたように隅っこを睨みつけながら、それでもマスクがもごもごと動く。

「………す、…………すごかった」
「倉持が?」
「…倉持くん、も、…そうだけど、……みんな」
「マジ?てことは俺も?」
「……………くらもちくん」

大きな目が戸惑うように俺を見つめる。
ぎこちなくとも一応会話が続いた褒美に、助け舟くらいは出してやろう。
とりあえず、面白がっている御幸の太ももを蹴り上げた。

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