空を夢見る

※現パロ




「飛べそうだと思ったから飛んだ。本当にそれだけなんだ。
前は助走とかつければいいんじゃないかとか思って色々試したけど、ブランコ作り始めた辺りで結局しこたま怒られたし。でも挑戦って生きていく上で大事だと思わない?ああ、そう。
今までは最終的に落ちることが目的だったんだけど、それだとやっぱり道具とかがあった方がいいから大掛かりになって結局誰かにバレるし。
だから身近にあって、持っていても不思議じゃないものがいいなと思って。最近貰ったお薬、あれよく効くんだよ。飲んだら勝手に寝られるから。でも、すぐ目が覚めちゃうんだ。
わかる?眠るのと覚醒するのとの間隔が短すぎて、もう何が何がなんだかわからないんだ。たまにね。だから眠る前のことがあんまり思い出せなくて、起きたら作りかけのパズルがあったり、パズルならまだいいんだけど、何も手をつけてないご飯が冷たくなってテーブルにあったり。いやなんでそこで寝るんだよ、食えよって感じじゃない?箸とかお茶も用意してあって、もうあとは座って食べるだけなのに、どうしてそこで薬飲んじゃうんだろう。自分が何考えてたのか全くわかんないんだよね。
まあ自分のことなんていっつもわかんないからそんな困ることないんだけどさ、あー話逸れたなあ、何話してたんだっけ。……………………あ、薬か。
それで、すんごい苦しいとは聞いてるんだけどね、やっぱりもうこれしかないかと思って。でも結局また見つかっちゃうし、多分もう少し君が遅かったらなあ。あーあ惜しかった」
「…そいで?」
「え?」
「今日はないごてけしみとうなったんと?」
「いやごめん、何言ってるかわかんない」
「…今日はどうして死にたくなったんですか」

青白い頬が引き攣るように笑った。この人は昔から笑うのが下手だ。
早くに親を亡くし、一人北海道で過ごしていたなまえさんは、俺が親元を離れて北海道に来た頃にはすでにおかしくなっていた。親同士の親交が深かったお陰で、年に一回は必ずなまえさんと顔を合わせる機会があったが、そういう時のなまえさんは普段の不安定さなど微塵も感じさせない落ち着きぶりだったが、思い返せばそれは異常なほどの平凡だったように思う。
それほどにこの人は、心のゆがみを隠すのが上手かった。

「音ちゃん、知ってるでしょう」
「なにを」
「私が死にたいのに理由なんてないって」

ねえ音ちゃん、となまえさんは背中を丸めて俯く。先程までと同じ姿勢だ。
鶴見先生のいる大学となまえさんの家は近く、大学のついでに行きと帰りは必ずなまえさんの様子を見に行くようにしている。だから今日も開けっ放しの扉を開いて、こぼれ落ちた白い錠剤に囲まれて痙攣しているなまえさんを見て、肝が冷えると同時にまたか、という気持ちに襲われた。
なまえさんに薬を与えるのはまずいのではないかと随分議論した。大学で事務員として働くなまえさんのことは、鶴見先生も月島も知っていて、しかしなまえさんが二日に一回は自殺を図ることは知らなかったらしい。
この頃なまえさんが眠れず夜中ふらふらとしていることがわかり、薬を使って強制的に眠らせることが彼女にとっていいことなのか、自殺手段を増やすことに繋がりはしないかと。
結果的に睡眠薬を与えることになったのだが、こうなると薬を取り上げた後の彼女の眠りについて代替え案を考えなければならない。

「…なまえさん」
「なに?」
「俺が、ここに住んだら嫌ですか」
「んー…大学行ってる時と寝る時以外はここにいるんだからもう住んでも一緒じゃないかなと思う」
「なまえさんは嫌ですか」
「…別に嫌じゃないよ。誰がいても別に、いいよ」

やっとなまえさんが俺の顔を真っ直ぐ見る。俺の知っているこの人の姿よりも、ずいぶん痩せた。
この人を見捨てたくないと思うのは、遠い昔に、迷子になった俺の手を引いて歩いたなまえさんを覚えているから。
あのなまえさんは、なまえさんの両親の葬式で死んでしまった。
きっとあそこで何かを見て、感じて、そして考えたから、なまえさんはおかしくなってしまったのだ。

「それなら、今日からここに住みます。荷物は明日持ってきます」
「え、あ、うん。本当に住むんだ」
「貴方が死ぬことを諦めるまでは」
「ふうん」

他人事のように頷いたなまえさんは、不意に窓の外を見やった。
今すぐにでも飛び出しそうな顔を見て、今日はもう寝かせるべきだと思い、なまえさんの手を引いて寝室に向かった。

「え、寝るの?」
「不眠解消の為には睡眠習慣を整えることが必要です」
「へえ」

一人で使うには大きなベットに腰掛け、腕を広げた。なまえさんはじっと俺を見て首を傾げる。

「とおせんぼ?」
「一人で寝るよりもリラックス効果があるとかないとか」
「えー、ほんとかなあ」
「試す価値はあっやろ…」
「ごめんて、怒んないで」

小さく笑う声とともに、なまえさんの小さな体が腕に収まる。ベットに倒れこむと、ひんやりとしたシーツの温度が肌にじわりじわりと伝わってくる。

「音ちゃんあったかいね」
「…生きちょっでな」
「そうだね。…あのね、敬語いらないよ。別にもう音ちゃんが尊敬するようななまえ姉さんじゃないんだから」
「なまえさんがどれだけおかしゅうなろうが、なまえさんはなまえさんじゃ」
「……私のこと覚えてくれてるの、多分音ちゃんだけだよ」

どれだけ強く抱き締めても、なまえさんは冷たいままだった。
なまえさんは目を閉じているだけで眠ってはいない。俺がいるから眠れないのだろうか。

「……生きる理由がないから、死のうと思うのか?」
「ん?」
「おいじゃ、貴方の生きる理由にはなれんか」
「…誰かの生きる理由になろうなんて、無理だよ。生きるのにも死ぬのにも、理由なんてそうないんだから」
「…」
「音ちゃんのせいで飛べないし、私全然動けないし。まずどうやって死のうかって話だよね」

それっきり、なまえさんは黙ってしまった。
閉じた瞼の裏で、この人を苛み続ける何かを、俺も共有出来ればいいと思った。
この人の足枷でしかいられない俺も、いつかは。

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