あなたを抱えたままで私は大人になれない

小さい頃、夢見がちな子供だと言われ続けていた。
女の子にはよくあることだろう。一般的に男子は戦隊モノで、女子は魔法使いに憧れること。私の偏見かもしれないけど。まあ、私はそれにぴったり当てはまる幼少時代を過ごしたのだ。
神秘的なものに憧れて、それを信じて。近所にある寂れた神社に入り浸ってみたり、路地裏でおかしなおまじないを試してみたり。今思い返せば恥ずかしいことだらけなのだけど、当時の私は至極真剣だった。
小さな頃の私の記憶は空想が入り乱れたとんでもないものだけど。ただ、一つだけ、今でも本当は現実じゃないのかと疑っているものがある。

「おいなまえ!無視すんなよ!聞こえてんだろ!?」
「…うん、聞こえてるよ。平腹」
「今日は皆いねえから暇なんだよー」

この、目の前にいる男は、きっと私のとんでもなくリアルな妄想の一つなのだろう。だけど、ここまで来ると実は現実ではないのかという思いも捨てきれない。いい歳なのに、もう子供じゃないのに。
あまり細かいことは覚えていないけど、彼はいつの間にか私の日常に入り込んでいて、私が高校を卒業するこの日までついに私のそばに居続けた。
別に毎日見かけるわけじゃなくて、三日に一回見かけるくらいで、普段は"色々なところに行って妖怪や悪霊を倒したり捕まえたりしている設定"だ。
よくこんな設定思いつくなと過去の自分をこっそり賞賛してもみたけれど、いつまで経っても消えないこの男は、気まぐれに私の隣に腰を下ろしては"自分の設定"に沿った話を私にした。同僚の話や、その日にあった仕事の話を。

「そういや、なんで今日は髪結んでんの?特別な日?」
「結んでるなんて言葉で片付けないでよ、これ結構大変なんだから」
「おー、そっか。まあ、似合ってると思うぞ!」

卒業式だから張り切って髪を結ってもらったけれど、今にしてみれば大した意味はなかったように思う。
なんだか頭が冴え切って、ひんやりとした気分だ。
特別な日かという問いかけは、確かに正しいのだ。

「…ねえ、平腹。私、大人になったんだよ」
「んー、そうだな!背が伸びた!」
「背も伸びたけど、そうじゃなくて」
「?」
「…んー」

特別な別れの日だから、私は懐かしい神社の境内で彼を待っていた。
今日、私は彼を最後に切り離して、完全に大人になるのだ。

「私は大人になるって、昔の自分と決別することだと思ってる」
「お?難しい話か?」
「別に難しくなんてないよ。簡単に言うとね、私、もう平腹とは会わない」
「は!?なんでだよ!?」

平腹が牙を剥き出しにして怒鳴った。
昔は感情の振れ幅が理解出来ない彼を恐ろしく思ったこともあったけど、今はもう何も感じない。
だって平腹は、私の妄想なんだから。

「平腹はきっと、多分、私の妄想だからさ」
「俺別になまえの妄想じゃねえよ!!てか妄想ってなんだよ!!」
「平腹にはわかんなくても私にはわかるの」

私は高校を卒業したら、地元を離れて上京すると決めていた。だから、子供時代の思い出も何もかも、ここに置いて行こうと思ったのだ。
それは平腹も例外ではなくて、むしろ今でも私の頭の中に住んでいる空想の象徴とも言える彼を切り離して置いていくことが、卒業よりも大切な私が大人になる為の儀式なのだと思う。

「平腹とずっと一緒にいたら、私は多分大人になれないから、だから今日で平腹とはお別れ」
「意味わかんねえ!!」
「意味わかんなくてもいいよ、平腹がわかんなくても私はここからいなくなるんだし」
「は!?どこ行くんだよ!?」
「ここからずーっと遠く」
「なんで俺には何にも言わねえんだよ!?」
「だから平腹とは今日でお別れなんだって」
「なんでだよ!!俺は嫌だ!!」

どんなに彼が駄々を捏ねても、私は大人になる。ならなければいけない。
もう頭の中の誰かに支えられるようじゃいけないのだ。

「っあ゛あ゛!!今日のなまえ意味わかんねえよ!!」
「私だって別にこんなことしたいわけじゃないんだけどさ」
「……じゃあずっとここにいれば良いじゃん。別に俺と別れる必要なんてないじゃん」
「私の新しい世界は明日にあって、ここで平腹といても私は生きていけないもん」

何も考えずに、平腹のある方へ足を踏み出してしまった方が楽なのかもしれない。でも、私は平腹に背を向けることを選んだ。
そうすることで大人になれると私は思うから。平腹と共に生きていけはしないのだ。彼がいたら、私はいつまでたっても子供の私を抱えて生きていかなければいけなくて、そんな器用なことは私には出来ない。

「…それでなまえは満足すんのか」
「うん」
「……仕方ねえな。じゃあ、しばらくはなまえを追っかけんの我慢する」
「それじゃ意味ないよ」
「あ゛あ゛!?」
「しばらくじゃなくて、これでさよならだよ」
「だからそれは嫌だって!!」

立ち上がると、平腹はぶすくれた顔で私を見上げた。
これで最後だと思ったらなんだか私も少し寂しくて、思わず目を逸らした。

「…じゃあね。私、平腹のことそんなに嫌いじゃなかったよ」
「なんだよ、もうそれ俺のこと好きでいいじゃん」

拗ねたようにそっぽを向く平腹を見て、最後なんだし別にいいか、と私は平腹の軍帽を取って明るい髪に触れる。

「うん、私、平腹のこと好きだったよ。じゃあね、ばいばい」

数段階段を降りて振り返ってみると、もうそこには平腹の姿はなかった。
だから私は、そのまま黙って家に帰った。
私は今日、やっと大人になった。




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next.平腹が百鬼夜行を引き連れて迎えにくる(嘘)

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