君と友達になる義理はない2

「もう、山岳!さっきも言ったでしょ、符号が変わるのよそこは!」
「えー、難しいなぁ」
「それからこれ!ここは先に展開してから…」

二つの机をくっつけて勉強する宮原さんと真波くん。
教室は窓を開けているにも関わらずじんわりと暑く、初夏の訪れを感じさせる。
他の人が見れば「仲の良い男女だなぁ」という感想を持ちそうな光景だが、何故か私という邪魔者はその二人の間にいた。


気がつけば春が過ぎ、いつのまにか夏休みに突入していた私達は、誰もいない教室で課題をしている。
本当は学校ではなく図書館で課題を潰そうと思っていたのだが、宮原さんの必死の申し出により、私は休みにも関わらず朝から登校していた。
曰く、「このまま夏休みも放っておいたら確実に次のテストを落として成績がやばいことになる」そうだ。
もちろん、宮原さんではない。かの問題児真波山岳のことである。
どうして真波くんの成績を本人よりも宮原さんが気にしているのかだとか、どうして私のところに来るのかだとか、疑問は沢山あった。少なくとも、私が眉間に皺を寄せて首を捻るくらいには。
しかし、宮原さんがあまりにも申し訳なさそうに、かつ必死に頭を下げるものだから、私もついつい頷いてしまったのだ。
私、普通に真波くんのこと苦手なんだけどなぁ。

「あー、私ちょっと飲み物買って来る。宮原さんは何がいい?」
「え、悪いわ。いいわよなまえちゃんの分だけで」
「暑いんだから水分補給しないと駄目だよ。私と同じの買って来るね」

財布を持って立ち上がる。
それから、と視線をぼんやりしているアホ毛の彼にも向けた。

「真波くんは?」
「……えっ、俺?」
「君以外に真波くんいるの」
「い、いない」
「でしょうね。で、何がいい?」
「…じゃあ、ポカリがいいな!」
「ポカリね」

今度こそドアを開けて歩き出した私の背中に、視線が突き刺さった。
正直、もうこのまま逃げたい。



例の一件以来、毎朝私の机にはラッピングされたお菓子が置かれるようになった。
その犯人らしい真波くんは、決して私に話し掛けるわけでもなく、ただ私の様子を伺っていた。宮原さん曰く、「距離を測りあぐねているみたい」らしいのだが。
毎日ふとした時に視線を感じて、振り返ると真波くんがじっとこちらを見ている。…ストーカー予備群かよと頭を抱えたこともあった。
宮原さんによると、私が彼に激怒したことに対して真波くんが根に持っているだとか、そういうことはないのだとか。
ただ、あれ以来私がちらちら気になるらしい真波くんは、静かに私を観察している。
…私としては互いにあの時のことは水に流して普通のクラスメイト同士に戻りたいのだけど、どうやら彼はそうではないらしい。

「謎の極みだ、真波山岳…」

ガシャン、と落ちてきたペットボトルを拾って呟いた。手に持ったポカリは、不愉快な程に温かった。
きっと、この暑さのせいだ。


「ただいま戻り……、何してんの?」
「あっいやその、なんでもないのよ!うん、なんでも!」
「な、何でもないならいいんだけど…」

教室に戻ると何故か真波くんは机に突っ伏して死んだように項垂れていて、宮原さんはおろおろと両手を振っていた。暑さでやられたんだろうか。

「そんなになる程暑い?」
「え、えぇそうね!山岳ったらだらしないわよ、ほら起きて!」
「…真波くん、暑いの苦手なら自転車の時つらいんじゃないの?」

私の問いかけに、真波くんはいきなり上体を起こして顔を上げた。
とても驚いているようだけど、驚いたのは私も宮原さんも同じだ。

「みょうじさんロード興味あるの…?」
「興味あるってか、いやそうじゃなくて、真波くん暑いの苦手なの?」
「お、俺、暑いの苦手じゃないよ、坂登ってる時は全然気にならない!」
「そ、そうなんだ…」

随分食い気味だな。怖いんだけど。
真波くんの顔は私が教室を出た時よりも赤くなっていて、きっとこの教室の気温が高すぎるんだと思う。
ていうか真波くんこの暑さでぐったりするのによく自転車乗って山なんて登ってられるな。

「はいこれ。宮原さん、真波くんも」
「ありがとう、やっぱりお金返すわ」
「いいのに、宮原さん真面目だねぇ」

ミルクティーを受け取った宮原さんはありがとう、と小さく笑った。
真波くんは受け取ったポカリをじっと見つめて、それから私を見て同じように笑った。

「…大事にするね!」
「いや今飲めよ」

やっぱり真波山岳は謎すぎる。難解すぎる。
宮原さんは意思疎通が出来ているから、もしかしたらおかしいのは私なのかもしれない。
私も暑さにやられているんだな、うん。

「あ、あの、みょうじさん」
「なに…?」
「これ、その、今日のお礼」
「え?」

ポカリの代わりにと私に差し出されたのは既視感のあるラッピングされたバームクーヘンだった。

「お礼って、別にいらないよ」
「え、いらない?でも、みょうじさんわざわざ学校まで来てくれたし…」
「そりゃ頼まれたからね」

でも、来ただけで実質私は何もしていない。真波くんの世話を焼いていたのは宮原さんで、私はそれをぼんやり眺めていただけだ。

「それに、ご機嫌取りみたいにお菓子渡されても困るんだよね。気持ちは嬉しいけど」
「え…う、ん…」
「別にもう怒ってないし、そうやってお菓子くれるよりは真波くんが休み明けのテストを頑張ってくれた方が、私は嬉しい。宮原さんも多分ね」

ぽかんと何かを考え込んでいる様子の真波くんを、宮原さんは何故か真剣な面持ちで見つめている。
何だか私はいたたまれなくて、思わず真波くんから目を逸らした。

「…あのね、みょうじさん。やっぱりこれ受け取ってほしい」
「いやあの、私の話聞いてた?」
「怒らせてごめんねの意味もあるけど、それより俺、みょうじさんともっとお喋りしたくて」
「…?」

今までもじもじとしていたのが嘘のように、真波くんは堰を切ったように口を開いた。

「俺、あの時怒られて、すごくびっくりしたけど、なんか嬉しくて。俺のことあんな風に怒るの先輩以外に委員長くらいしかいないから」
「え、うん…?」
「色々考えたけど、俺、みょうじさんのこと知りたいんだ。好きな食べ物とか、好きな季節とか、趣味とか、色々…」
「…」
「でも、みょうじさん俺のこと大嫌いって言ってたし、もっと嫌われたらやだなぁって思って、その」

…私の知っている真波山岳と、目の前の真波山岳は大分異なっているようだ。
私の想像していた真波くんは、「誰にどう思われようがどうでもいい!部活楽しい!」って感じだったのに。
こう言ったらおかしいけど、真波くんがものすごく人間なんだなぁって感じがする。

「…」
「…みょうじさん?」

黙り込む私を、青い大きな目が不安げに見つめている。
それがなんだかむず痒くて、思い出したくもないものを連想させて、思わず口をついて出た言葉は、普段の私が聞いたら頭を抱えそうなものだった。

「……大問ひとつ、解けたらいいよ」
「…へ」
「大問ひとつ解けるごとに、質問ひとつ答えてあげるって言ってる」
「だ、大問ひとつ…」

自分でもなに言ってんだか、と呆れていたけれど、真波くんは逆に目をキラキラさせて私を見つめた。

「大問ひとつ解くだけでいいの!?」
「だけって…一問解くのもきついのになに言ってるの…」
「嬉しい!俺頑張るよ!!まずは好きな食べ物!」
「…あ、うん…」

なんだか意気消沈してしまった私を他所に、真波くんは椅子に座ると黙々と問題を解き始めた。なんだ、やれば出来るじゃないか。
いつの間にか真波くんのバームクーヘンを持っていた宮原さんに包みを渡されて、彼女は少し呆然とする私を見て笑った。

「ね、変なのに懐かれたでしょ」

真波くんの進行具合によるけど、あまりに変なこと聞いてきたら少しぐらい殴っても許されると思うし、宮原さんはニコニコというよりニヤニヤをやめるべきだと思う。

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