こどもの楽園

小さい頃から、眠りに落ちると必ず現れる、不思議な男だった。
私をあやして、青い空が望める塔の中で私に昔話を聞かせたり、揺蕩う花々で作った花冠を与えたり、していることはほとんど親だった。
けれど、私が機嫌を損ねた時や、妙に素っ気なかった時、彼は決まって不機嫌そうに頬を膨らませてそっぽを向いた。私よりも年上なのに、まるで子供のように。そういう時、私は白い背中にぴたりとくっついてただ黙って目を閉じる。
そうすると、彼は不機嫌だった表情を一転させて、へにゃりと緩い顔をしながら「なまえは本当に私が好きだねぇ」と私を抱きすくめるのだ。
チョロいなぁと思いながらも、彼の腕の中に納まって一日の嫌なこと、辛かったことを全て吐き出してしまうのは、とても心地が良かった。

「…まさに夢見心地」
「ん?」
「マーリンは優しいなぁって」
「おや、やっとなまえも私の優しさに気が付いたか。成長したもんだねぇ」
「そうやってすぐ調子乗るから今のなしで」
「素直じゃないところは変わらないね」

マーリンは私に頬を寄せてくすくすと笑った。
綺麗な顔だとは思うけれど、生まれてからこの顔を見なかった日はないので、ドキドキしたりする乙女な展開はない。ないったらない。

「…君は、本当に大きくなった」
「なにさ急に、自分の歳とかふと思い出したの?」
「いやね、君はもうすぐ大人になってしまうだろう」
「まだ16だけど」
「ついこの間までこんなに小さかったのに…」
「いつの話してんの」

今日のマーリンは何だか少し変だ。更年期なのかな。詳しい歳とか知らないけど。
マーリンは私の体を力いっぱい、痛いくらいに抱き締めた。

「なまえ」
「なに?」
「なまえ、なまえ…はぁ」
「うわっ、気持ち悪い」
「なまえは可愛いなぁ」
「気持ち悪い、気持ち悪いマーリン」
「純粋な愛だよ。これはきっと親子愛に近い」
「親子愛て…あんた私のお父さんじゃないでしょ」
「…そうなんだよなぁ」

はぁ、とマーリンは大きく溜め息を吐いた。白い髪が頬を撫でて、くすぐったい。
思わず身を捩ると、マーリンは私が動かないように更に力を込めて、ぽつりと独り言のように呟いた。

「…なまえ、ずっとここにいなさい」
「えっ」
「あちらで辛いことがあるならずっとここにいればいいさ。ここになまえを傷付けるものは何もない」
「…マーリン、なんかあったの?」

確信した。今日のマーリンは変だ。いつもなら、私がどんなに弱音を吐いても最後には私を笑顔で送り出していた癖に、今日はまるで私をここから出す気がないようだ。
何だか親に学校を休むことを推奨されたようで不思議な感じだ。

「もう私は駄目だ、君という一個体に長いこと干渉し過ぎて愛着が湧いてしまった」
「なんて深刻そうな顔をするんだ…」
「これは例えるなら…そう、君が昔の古い本を捨てられずに本棚に仕舞いこんでいるのと同じ現象だ」
「私は古い本なのか」

マーリンは人の人生は好きでも人間そのものは別に好きではないと言っていた。
だと言うのに、私にはやたらと干渉してくるし、相当我儘で気に入らないことがあれば暴れる私の相手を飽きもせずに16年間続けているのだ。

「君に傷が付くくらいなら、ずっとここで私と外を眺めている方がずっと君の心は安らぐぞ。果たして君がそれを良しとするかは保障しないが」
「まぁ、いいよ」

私が頷くと、マーリンは即座に私から距離を取って目を丸くした。

「…え、いいの?あっさりし過ぎじゃないかい?」
「うん、どうせマーリンのことだから私が嫌だって言ってもここから出してくれないだろうし」
「ななな何だか君にしては諦めが早いぞ…もしかして君はなまえの偽物…!?」
「夢の中でどうやってあんたを騙すの」
「……本当にいいのかい?」

マーリンの紫色の瞳が私をじっと見つめる。
「今ならまだ間に合うよ、まだ逃がしてあげられるよ、だから早く私を引っ叩いてお逃げ」と叫んでいる。

「いいよ別に、16年間散々迷惑かけたし」
「私は迷惑だなんて、」
「それに、マーリンは家族だから」
「…家族、かぁ」

マーリンは今度こそ私の肩口に顔を埋めると静かに笑った。

「家族は初めてだなぁ」
「でしょうね」
「何だか嬉しいなぁ」
「そりゃよかった」
「…本当に嬉しい」
「うん」

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