あなたの健やかな背中で私は救われる

薄い、今にも折れてしまいそうな背中が、力なく崩れ落ちたのを遠目で見た。
頭が理解するよりも先に彼女に駆け寄っていて、支えた肩は恐ろしい程に冷たかった。

「おい大丈夫かよ…!?」
「…」

ぴかぴかに磨き上げられた床をぼんやりと見つめるその目は、思わず顔を引いてしまう程濁っていた。
いつも柔らかく微笑んでいた紺碧の瞳は、床に反射した光を通しもせずに暗く、暗く。

「お、おい…みょうじ、聞こえてるか…?」
「……」

肩を揺さぶると、夜明けの空の瞳には虚ろだったのが嘘のように一瞬ぎらりとした光が宿った。
その目力にたじろくと、それを知ってか知らずか、みょうじは弱々しく瞬きをして見せた。

「……瀬見、くん」
「よかった、意識はあるんだな」

何よりもまず、この冷え切った床にみょうじを放置して彼女が体を冷やすのを避けたくて、彼女を立たせた。
みょうじが風邪なんか引いたら、若利が酷く心配するから。
そうしてみょうじを立たせてようやく、ありえないものを見るような目で俺を、#bk_name_1#を見ているマネージャーに気が付いた。

「…お前か。みょうじに何言ったんだよ」
「せ、瀬見先輩、何でこの人のこと助けるんですか?この人牛島先輩を…」
「お前が口出すような関係じゃねえんだよ、みょうじと若利は」
「…」

不快感を露わにしたまま「失礼します」と言って体育館に戻ったマネージャーの背中が見えなくなるまで、俺はその背中から目を離さなかった。
目を逸らしたなら、またみょうじに何を言われるかわかったもんじゃないと思ったから。

「…とりあえず、あそこまで歩ける?」
「…」

微かに頷いたみょうじの手を引いて、近くにあったベンチに向かって歩き出した。





「部活終わるまで待っててよ、俺話聞くから。若利には内緒にするって約束する」

そんな俺の言葉の通り、みょうじはずっと薄暗い廊下の隅のベンチで待ってくれていた。
覚と獅音に事情を掻い摘んで話すと、2人は黙って若利を寮に速攻で返してくれた。


「大丈夫、もう若利はロードワーク行ったから、ここには戻ってこないよ」
「…うん」

弱々しく頷いて、口元だけ緩ませて見せる、その痩せ我慢がとても見ていて辛かった。
本当は、全然大丈夫じゃないはずなのに。
最初に違和感に気付いたのは覚で、その頃にはもうみょうじは限界だったのに。
自分の思っていること、若利にしてほしいこと、してあげたいこと、全てを無意識に飲み込んで。だから若利も、我慢を強いていることに気付かない。
あの2人の間には、俺には到底理解できない、細い絆がある。
でも今は、それがみょうじの首を絞めているようにしか思えなかった。

「…言いたいこと、全部話して。若利の分まで、俺が聞くから」

みょうじがその痛みを甘んじて受けるのなら、その痛みが少しでも和らぐように、支えてやろう。
そのか細い背中が折れてしまわぬように。

「…わたし、若利くんのなんなんだろう」
「…幼馴染、彼女、…とにかく、若利の一番じゃねぇの?」
「…違うよ、若利くんの一番は、わたしじゃないよ」

ぐらりと、崩れている。
あんなに優しくて、柔らかく笑っていたみょうじが、笑わない。

「若利くん、わたしになにも言ってくれないの。あのかわいい子と仲良くなって、わたしよりもあの子の方が好きになっちゃったのかな。そう、あの子、すごくかわいくて、よく笑うの。わたしとは大違い。若利くん、わたしよりあの子がいいんだ。バレーが一番、あの子が二番、わたしは、どこにもいないの。もう、若利くんはわたしのことどうでもいいんだ。もう、若利くんの考えてることが、わからないの」
「うん」
「わたし、あの子がいや。きらい、嫌いなの心の底から。あの子、わたしから若利くんをとるんだ。若利くんは、わたしの若利くんなのに。ひどい、ひどい、あの子も、若利くんも、みんなきらい、きらい、もういやなの、みんなしねばいいのに…」

顔を覆ったみょうじの表情はわからないが、可哀想な程肩が震えていた。
灯りのない廊下で、自動販売機の光だけが、みょうじの青白い肌を照らしていた。
俺はただ、そのか細い背中をさすってやることしかできなかった。

- ナノ -