死に続ける影

「……」
「あのな芥川、先輩物凄く困ってる」
「…」
「芥川?」

こちらから芥川の顔を見ることは出来ないが、おそらく芥川は顰めっ面で宙を睨んでいることだろう。
芥川は、こうして俺の足の間に入って座るのが好きらしい。
温かい飯を腹に入れ満たされると、昔からこうして俺の足の間でうつらうつらするのが癖だった。
俺がマフィアの狗を辞める、までは。


「…飯冷めちゃうだろ、すぐ戻るから」
「…」
「芥川さーん」

何が不満なのか、細い指は俺の足に爪を立てる。
何度呼び掛けても反応のない背中を抱き締めてみると、漸くびくりと怯えたような反応が返ってきた。
黒い背中に耳を押し当ててみるが、心音らしい音が聴こえることはなかった。

「芥川、心臓の音聞こえない!」
「…」
「手も冷たいし、ちゃんと飯食わねぇとマジで死ぬよ?」
「……そうですね」
「ぬ?」
「僕は、貴方がいない五年、ずっと死に続けていました」
「おっと?急に死亡宣言?」

芥川の腹に回した腕に、芥川の手がそうっと重ねられた。
芥川の顔は見えないままだが、声音は比較的穏やかなので、存外不機嫌という訳ではないようだ。

「貴方という存在に生かされていた故、貴方が消えてしまえば僕は呼吸をすることすら儘ならぬのです」
「え、うん」
「謂わば貴方が酸素であり世界の全てで」
「お前疲れてんだよ、飯食え飯」

芥川から体を離して立ち上がる。芥川が無言で座ったまま俺のシャツを握り締めた。
まだ芥川が少年と呼べる年齢だった頃から、よくこうして芥川は俺のシャツを握り締めて、歩く俺に引き摺られていた。
ちらりと後ろを振り返れば、座ったままの姿勢で俺を見上げる芥川と目が合う。

「…お前さ、それ痛くないの?」
「痛みなど在りませぬが…?」

芥川は加減もせずにぐきりと首を傾げた。昔から思っていたがその捻り方、首が取れそうで怖いからやめて欲しい。

「おい離せ、流石に台所まで付いてこられたら邪魔臭くて敵わん」
「…」
「コラ、黙るな目を逸らすな」

以外と握力の強い芥川を引き摺ったまま、仕方無しに台所まで歩いていく。
予め作ってあった雑炊に火を掛ける。

「…折角ここまで来たのに、雑炊で良かったのか?」
「はい」
「即答…」

芥川は雑炊が好物のようだ。デザートに無花果を出してやると目に見えて機嫌が良くなる。
六年前、俺が組織を抜けた時から目に見えて更に細くなったように見える芥川は、しかしその体躯に似合わずよく食べた。
今俺が雑炊を温める前にも、沢山作って消費に困っていた菓子をどこに入るのか物凄い勢いで食べ続けたばかりだと言うのに、更に雑炊とはどれだけ食べる気なのか。
まるでずっと断食を強いられていた子供のように、際限無くひたすらに食物を食らい続ける。

芥川の部下の樋口によれば一応毎日食物は口にしていたものの、その量は食事と呼ぶにはあまりに少なく、時折嘔吐する姿も見られたと言う。
俺の前では大食らいの芥川が実は小食だということにも驚いたが、それよりも芥川に部下がいたことに俺は喜びを隠せなかった。
思わず樋口の肩を叩いて長々と芥川を見捨てないでくれてありがとう、やら大変だろうけど頑張って、やら偉そうなことを言ってしまった。俺もう幹部じゃないのに。

「…つかお前、よく吐いてたって聞いたけどこんなに食って大丈夫なのかよ?」
「問題ありません」
「無理すんなよ。…別に、いつでも飯くらい作ってやるから」

芥川が暫しの間を置いてこっくりと頷いたのを確認して、俺はぐつぐつと音を立て始めた鍋の火を止めた。

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