真昼の微笑み

「ザック、…アイザック」

今も記憶に残る、うざったい穏やかな声。それは今も、俺を苛み続ける。

俺があのクソみたいな施設で火傷を追ってから、暫くして、そいつはやってきた。
クソみたいな男と女がへこへこしてるから、きっとどっかのお偉いサンの娘かなにかだったのだろう。
思えば、時々見る仕草や言葉が、何となくそんな感じがしていた気がする。
栗色の髪を小綺麗に纏め、化粧もろくにせずに、いつも柔らかい感じのワンピースにカーディガンを羽織ってやってくるそいつは、必ず俺のところにきた。



「…んだよ、また来たのかよ」
「うん。ここくらいにしか、私には出掛けられる場所がないからね」
「相当暇なんだな」
「…暇、か。…そうかもね、きっと暇なんだ」
「意味わかんねぇ」
「うん、わからなくていいよ」

そういって曖昧な気色の悪い笑みを浮かべて、そいつは俺の頭を撫でる。
もう少しで自分に追いつきそうな背丈の俺を見て、そいつは一層嬉しそうに笑う。
その顔が、どうしようもなく俺を苛立たせた。
何もかもが気に入らなかった。


俺の包帯塗れの手を取る小さな手なんて腹が立つし、新しい本を持って来ては読み聞かせるお節介なんていい迷惑でしかなかった。
あのクソ施設の環境を知ってか知らずか稀に菓子を持って来ては俺に押し付けるのなんかも気持ち悪かったし、何より俺を呼ぶ声が俺を苛立たせた。
俺を見て微笑む理由がわからなかったから、…一層それが気持ち悪くて。



「ザック、…私、もう少ししたら、ここには来れなくなるんだ」

だから、そいつがそんなことを言いだした時には、流石の俺もそいつの首を絞めて殺してやろうかと思った。
勝手に人にお節介を焼いておいて、勝手に放り出すのか、と俺はキレた。
でもそいつは困ったように笑って、そんなに背丈も変わらないのに、わざわざしゃがんで俺に目線を合わせた。

「…私は、不治の病にかかっているんだ」
「へー…、……で?」
「だから私は、近々遠くの大きな病院に収容されることになった」

だから、ここにはもう来れない。
そう言った女は、心底寂しそうに俺の頭を撫でた。その手を払いのけると、またいつもの胡散臭い笑顔に戻って、立ち上がった。

「今日は、お前に最後の挨拶をしに来たんだ」
「……ふざけんじゃねぇよ」
「…え?」

言いだしたら、もう止まらなかった。
笑顔のままゆっくりと首を傾げたそいつの肩を掴んで迫った。

「お前、うざってぇんだよ!人の視界の中チョロチョロ、ハエか!」
「…うん?」
「お前があんまりうざってぇから、殺しちまいたくなっちまったじゃねぇかよ!どうしてくれんだよ!!」
「…えっと、……ごめん?」
「謝んじゃねーよ!謝るくらいなら俺に殺されろ!!」

段々と、今すぐここでこいつの首を絞めて殺した方が早いんじゃないかと思ったが、首に這い寄る俺の手に小さな手を重ねて、そいつは笑った。

「…うん、私も。…病気で死ぬくらいなら、ザックの手で死にたいな」
「じゃあそうしろ。…俺が殺しに行くまで、死ぬんじゃねぇ」
「……なるべく努力するよ」

その時、俺は初めてそいつの心からの笑顔を見た気がした。
いつもいつも、疲れているような表情でしか笑わなかったから、こんな表情を見たのは初めてで、何だかとても胸が痛くなった。
同時に、そいつをどうにかして自分の手で殺したいと思った。


…でも、俺があのクソ施設から解放された頃には、既にそいつは死んでいて。
腹が立ったから、墓石を壊して土を掘り返してやったけど、中にあるのは骨だけだろ。
骨だけじゃ、そいつ笑いもしねぇし、前みたいに俺を見て歩いてきたりはしねぇんだ。
だから、すごく腹が立った。
もう俺は、どうしたってあいつのあの表情を壊すことが出来ないんだと思うと、腹の底から怒りが込み上げてきて、吐きそうだった。

あいつは一生俺に殺されることはない。
あの約束は、もう一生果たされることはない。
だから俺は、あいつが嫌いなんだ。

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