絆はたべた

(美大生ヴァと大学生尾と同居してる現パロ)


〈朝〉
「なまえ」

 電気ケトルを片手に顔を上げる。
 目力の強い青色がコーヒーを淹れる私を一身に見つめていた。
 最近買っておいた料理雑誌が大きな手に摘ままれて、私の視線より少し上をぶらぶら揺れている。指さされているのは鮭と茄子の南蛮炒め。

「なに? 食べたいって?」
「Да」

 要求くらい言葉にしろ、と何度も言っているが、この寡黙なロシア男にはあまり効果が見られない。
 「言葉で伝わらないならジェスチャーや絵にして伝えればいいのだろう?」と言わんばかりに、最近はコミカルな動きも加わってきて何だか面白いことになっているからこれ以上の注意もしづらいし。

「茄子もなければ鮭もないけど」
「…」

 黙って見つめていれば私が折れると思っているらしい。
 奥の部屋からのそのそやってきた尾形に助けを求めるつもりで振り返った。

「おはよ尾形、今日ヴァシリがこれ食べたいって言うんだけどメイン材料全部ないんだよ、酷くない?」
「あ……? ……………おはよ」
「話1ミリも聞いてないな。さっさと顔洗ってきなさい」

 尾形は朝に弱い。
 かたつむりかというほどゆっくり洗面所に向かっていった尾形を見送っていた視界に再びヴァシリが入り込む。「今は私と話しているだろう」とでも言いたげな顔だ。
 基本好き嫌いをしない彼ではあるが、食に対しての要求は一際強い。流石にテスト期間や(私が)レポートに追われている時は遠慮するが、ほぼ週の半分はヴァシリのリクエストで晩御飯が決まると言っていい。
 ちなみに尾形はしいたけを出さなければ大抵のものは文句を言わずに完食してみせる。

「今日私サークルに顔出すから遅いよ」
「待つ」
「…茄子も鮭もないよ」
「買ってくる」
「そこまでするなら自分で作ったら――」
「なまえ」

 3人分のコーヒーのうち、ベージュの大きなマグを回収しつつ、もう片方の手で私の頭を抱き込む。ヴァシリのパーカーに頬を押さえつけられながら頭1個分高い位置にある顔を見上げた。

 お願いしている立場のくせに、その表情には媚びるという考えは一切見られない。ほんの少し年下というアドバンテージと、ロシア人らしい彫りの深い美しい顔をめいっぱい使った、自信満々のおねだりである。
 本人はあまり興味がないようだが、大学ではそれなりにおモテになっているようだし、こんな作り方を明記してある雑誌ひとつ持ち出してみればきっと作ってくれる相手は沢山いるだろうに。

「なまえの作ったものが食べたい」

 それでも毎日きっちり同じ時間にこの家に帰ってきて、満足そうに私の作るご飯を食べるのだから彼はずるい。
 そんなことを言われたら、ちょっと早く帰ってきてやろうかな、前に好評だった大根のしそ漬けも作ってやろうかな、なんていう気持ちが湧き上がってしまう。
 はー、と大きく溜め息を吐いて電気ケトルを戻す。
 しっかり頭をホールドする太い腕を叩くと、それを了承(諦めとも言う)と取ったらしく一層力を込めてぎゅうと抱きしめられた。

「Спасибо、なまえ」

 美大生のくせしてこの筋肉だるまめ、と思いつつ好きなようにさせていると、洗面所から尾形が戻ってきた。今度はしっかり開眼している。

「…何だ、結局折れたのか」
「いやアンタ話聞いてたんじゃん。まともな返事しろし。はいコーヒー」
「ん」
「………ヴァ〜シャ〜、そろそろ離して」
「らぶゆー」
「な、なんて白々しい……ていうかそこはロシア語じゃないんかい」
「ロシア語で言ったら『日本語か英語にしろわからん』って言っただろう」
「そんなこと言ったっけ」
「お前ロシア語無理だもんな」
「Да。尾形もらぶ」
「俺を巻き込むな」
「もっとしっかり発音出来るくせに何でそんな面倒くさそうな喋り方を…」


〈昼〉
みょうじ:〈言い出しっぺさんは鮭、茄子、大根を買ってきてください〉
Васи́лий:〈了解〉
尾形百之助:〈大根何に使うんだよ〉
みょうじ:〈しそ漬けする〉
Васи́лий:〈Слава Богу〉
みょうじ:〈なにて?〉
Васи́лий:〈神に感謝した〉
みょうじ:〈は? 私に感謝しろ〉
Васи́лий:〈Спасибо〉
みょうじ:〈なにて?〉
尾形百之助:〈何でお前ら一緒に住めてるんだろうな〉


〈夜〉
 玄関でドアを開ける音がする。
 私が料理するのをカウンターで肘をつきながら眺めていたヴァシリとそちらに目を遣ると、少し疲れた表情の尾形がのそのそと現れた。

「おかえり」
「ああ」
「…相当疲れてんね。お風呂先にする?」
「いや、いい」

 そう言って部屋に引っ込んだ尾形をふたりで見送る。
 ヴァシリが「疲れてる」と呟いたので、そうだねと頷いた。

「さては発表会の準備してたな。同じグループのメンバーすこぶる好きになれないって言ってたからそれかも」
「Понятно」
「なんて?」
「『なるほど』と言った」

 尾形はすぐに戻ってきた。
 部屋着に着替えた尾形が再びのそのそやってきて、腰に手を当てて鍋が沸騰するのを待っている私を後ろから掻き抱く。
 意外な行動に驚きすぎて悲鳴が出かかった口を何とか噤んでヴァシリを見る。ウンウンと頷いて彼も何故かこちらにやってきた。

 ガタイのいい男ふたりに囲まれて気持ち狭くなったキッチンで抱き合っている。私にしがみつく尾形を上からヴァシリが私ごと抱きしめている。なんだこれは。

「尾形さん? 尾形さんちの百之助さん……?」
「うるせえ」
「おぉん……」
「…うるせえ…」
「………お疲れですね…」

 この分じゃしばらく男ふたりに抱きしめられたままだろう。
 力の割には大事に大事に抱きしめられている。腰の辺りで交差した腕の感覚に瞼を下ろしながら「今日もご苦労様です」とわたしたちよりも2つ年上なだけでガス抜きと甘えるのが下手な大きな子供を労わった。
 同時に「この人、一人暮らし始めたらどうなっちゃうのかな」なんていう見当違いな心配が芽生えた。
 外ではしっかりちゃっかり悪い大人でいるけど、家にいる尾形はぼんやりしていて、大体私達がわーわー言っているのを眺めてたまに口を挟んでくるような静かな男だ。
 あまり好きになれない人間に囲まれて1日過ごしただけでこんなにぺしゃんこになってしまう、繊細なひと。

「………尾形さーん」
「……」
「とりあえずご飯食べようよ」
「……」
「その後は一番風呂を進呈します。ヴァシリが買ってきたアイスもつけましょう」
「Да」

 どうかな、と未だ動かない尾形をヴァシリと一緒に伺い見る。
 ややあって、肩口から「………食う」というくぐもった低い声が聞こえてきたので、ヴァシリと顔を合わせてそうしようと頷いた。
(title by 天文学)


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