犬も食わねえあんちくしょう

「うひょー海だー!!」
「暑苦しい、黙れ」
「た、田噛、海に来てまで血は見たくないよ…!」

私達が来ているのは現世の海。
獄卒なのに現世で遊んでいて良いのか、と初めは思ったが、どうせ遊ぶだけだし現世でも大丈夫じゃね?という大多数の意見によりこの案はすぐさま可決された。こんなんで地獄は大丈夫なのだろうか。
今日は、皆多忙で数年使うことのなかった水着を着て、思い思いの休暇を過ごす日なのだ。
とは言え、海にくることに乗り気ではなかった者も数名はいる。
田噛とか、私とか私とか、時々田噛とか。

「みょうじも来いよー!冷てーぞー!」
「わ、私は良いよ、…水苦手だし」
「そうなのかー?」
「うん、平腹は遊んでおいでよ、ここで見てるから」
「おう!」

元気一杯に駆けていく平腹の背中に手を振りつつ、男性陣が敷いてくれた敷物の上に腰を下ろした。
田噛も私同様、海には入ることなく気怠げに私の隣に腰を下ろした。

「お前は行かねぇのか」
「…うん、今年は良いかな。見てるだけで」
「…」
「…」

うっわ、気まずい。
普段は平腹がいるからこんな空気なんて読まずにいられたけど、田噛と二人で放置されるとどうしたら良いかわからない。
何か話題を、と悩んでいる私をよそに、田噛はクーラーボックスからペットボトルを取り出すと、一気にあおった。…おっさん臭いな。

「た、田噛白いね」
「…獄卒は皆こんなもんだろ」
「そ、そうだね」
「……お前の方が白いし」
「えっあ、そうだね、女子だし…」
「…」

き、気まずい…。改めて平腹の能天気さのありがたみを実感させられるとは…。
ひ、平腹まだ帰ってこないのかな…。

「お兄さん水着似合ってますね!」
「あっちで遊ぼうよ、他にもまだいるんだけどさぁ」

か、絡まれてる!!あの!!何も考えていないおバカキャラで定評のある平腹が!!現世の!!女子に!!絡まれている!!
なんてこったい!これじゃ暫くのご帰還は望めないなくそぅ…。

「そっちヒトデいる?」
「ヒ、ヒトデ…?多分いるんじゃないかなぁ!」
「なら行く!!おーいみょうじ、田噛ー!俺あっち行ってくるー!」
「別に報告しなくてもいいよー」
「行ってきまーす!」
「いってらっしゃーい」

私に定時報告を済ますと、平腹は女の子達に手を引かれて消えていった。
途中、去り際の女子との会話が、私の胸を抉った。

「ねぇ、あの人お兄さんの彼女?」
「カノジョ?…多分そう!」
「えー、なんかお母さんみたいだった!」
「あはは、言えてる!いってらっしゃいとかねー」

…、年寄顔で悪かったな。
イラついて、私もクーラーボックスからジュースを取り出して一気飲みした。
隣で私に驚いている田噛なんて知らない。知らないったら知らない。




「おーいみょうじ、……なんか怒ってる?」
「……別に?」

暫くして、平腹は本当にヒトデを持って帰ってきた。
両手にヒトデを装備して首を傾げる平腹に、ぶっきら棒にジュースの入ったペットボトルを投げた。

「おっサンキュー!…なぁ、何怒ってんの?」
「怒ってない」
「怒ってるだろ」
「怒ってないってば」
「おい、」
「怒ってない」
「みょうじ、」
「怒ってないもん!」
「もんってお前…」
「田噛煩い!」

二人の視線が痛くて背を向けると、平腹がいつものように後ろから圧し掛かってきた。
今はそれすら腹立たしくて、背中で平腹を押し返した。

「…みょうじ」
「なに」
「もしかしてさぁ、嫉妬?」
「しっ……はぁ!?」

思わず振り向くと、平腹がにやにや顔で待ち構えていた。しまった、と思った時にはもう遅く、平腹の両手で頬を挟まれ、動けない状態になっていた。
先程まで海水の中にいたであろう手の平は、いつもより冷たい。

「嫉妬した?」
「……私は平腹のお母さんじゃないし。そりゃ老けて見えるのかもだけどさぁ」
「それだけ?」
「…それだけ」
「…」

何だこの尋問的な雰囲気は。田噛助けろし。
せめてもの抵抗と二の腕を抓るが、平腹のにやけ顔は一向に収まる気配がない。

「…あーあ、みょうじ可愛くねぇなー。さっきの女子の方が良かったわ」
「っなら行ってくればいいじゃない!私なんかほっといてよ!」
「ほら、嫉妬じゃん」

平腹を押し退けようと振り上げた手は、平腹に掴まれ、そのまま引き寄せられた。
海水で濡れている平腹の胸板に頭が直撃して少し痛んだ。

「俺、嬉しい。みょうじが嫉妬してくれて」
「だから、別に嫉妬じゃ」
「じゃあ俺あっち行っていいの?」
「……」

黙って平腹の背中に腕を回すと、私の手を掴んでいた平腹の手から力が抜けた。
ど、どうした、気絶か?と顔を覗き込むと、何とも言えない顔をした平腹が私を見つめていた。

「……た、田噛、どうしよう、平腹がおかし」
「可愛いぞみょうじー!!」「うぎゃっ」
「……犬も食わねぇよ、こんなもん」

あちぃ、と呟いた田噛の声は、平腹の叫びに掻き消されて私達の耳に届くことはなかった。
煩いと田噛に平腹が蹴られるまで、あと数秒ってとこかな。

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