「洸ー、なんか食べるものあったかなー?腹減ったー」
「カップ麺があるから、勝手に帰って食べてて」
「はいはーい。あとはふたり水入らずでー」

 ムラタさんはそう言うと軽い足取りで自分の巣へ帰っていった。相変わらず嵐のような人だ。
 そして悟った。村田洸は極度の人見知りか極度の女嫌いなのだろう。ムラタさんにはあれほどすらすらと話しかけているのに、私相手になると、ひどい。

「……あ、あの、これ」

 ほら。

「って、え?」
「落としてた、さっき……学校で探して、渡そうと思ってたんだけど、良かった」

 会えて。と付け加えて、村田洸がおどおどと私に手渡してきたのは、先程まで私が懸命にカバンの中を探していたそれだった。親切な人に拾われていた。しかも駅員さん経由じゃなく直接届いた。これほどうれしいことがあるだろうか。私は思わずテンションが上がって、「えっありがとう!」と大声を上げてしまった。村田洸の肩が一瞬震える。

「うわー良かった。見つからなかったらどうしようかと思った」
「あ、あと……ごめん、ちょっと、お願いして良い?」
「うん?良いよ。拾ってもらったんだし。なに?」
「それ、貸してもらって、いいかな」

 そう言って私の手元に返したばかりの漫画本を再び催促する。

「へ?」

 なんだ、それ。
 私が頭の上に疑問符を浮かべていると、村田洸はまた俯きつつぼそりぼそりと説明を始めた。村田洸の友人、それも女の子が、この漫画を、「日の戯れ」をずっと読みたがっているらしい。いつか必ず読みたい、でも手に入らない、村田どうにかしてくれ、そんなことを1年も言い続けているとか。

「も、なんか、そういうの聞き飽きたし……これもなにかの縁、つったらなんかおかしいけど、読ませてあげたくて、そいつに」

 村田洸の小さな声に耳をそばだてながら、古典の授業で習った更級日記、源氏物語を読みたいと懇願し続けた幼少時代の菅原孝標女のようだ、と思った。そしてなにより驚いた。私以外に、同級生の女の子で、こんな古い漫画を読みたがる子がいるとは。それも同じ学校に。世間は意外と狭いのかもしれない。今度はじわじわと熱いものが胸にこみ上げてくるような気がした。
 気がつけば、私は手元の古びた漫画を村田洸に突き返していた。

「どうぞ」
「……いいの?」
「うん、もう全然。汚したりとかしなければ」

 というか汚したりとかはしないだろう。

「……ありがとう。また、家、返しに来ます」
「わかった。……あの、こっちからもひとつお願い、良い?」

 村田洸が目を逸らしつつ小さく頷くのを確認して、私はひと言、

「私もその子とお友だちになりたい。よろしくね」


 ひとり、家で、村田洸がしていたみたいに髪を掻き回した。
 なんだか予想外の展開だ。ムラタさんに同居人がいたこと、その同居人が駅で偶然私の本を拾ってくれた人であること、さらには私の同級生であること、その人の友人がどうやら私と同じ趣味を持っているらしいということ。村田洸は、それを全部ひっくるめて、「なにかの縁」だと言った。なにかの縁。そうか。
 その全ての始まりは私とムラタさんのふたりきりだった。それもきっと。

「自立したい」

 暗い部屋で声に出して言ってみる。それは15歳のころの私に初めて芽生えた自我だった。初めて親に発した心からの願いだった。強い感情だった。あれから1年と少しが経った今、あのとき以来の強い感情が私の中に根付き始めていた。
 人はこれを恋愛感情などと呼んだりするのだろうか。






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