放課後の教室。向かい合わせの机。一組の男女。今まで話したこともなかったようなその男子の言葉は、受け止めることこそできたものの、意味はいまいち理解できないでいた。

「あんたが幽霊」
「そう。もしも話ね、もしも話」
「いやもう、わかんないわ、ぜんぜんわかんない」

 その男子はたいそう悲しそうな顔をして、「わかんなくてもいいや、わかんなくてもいいから、もしそうだったらどうする?」。

「どうもしないでしょ、そんなん。地縛霊なのかなんなのか知らないけど、ほうっておくしかできないじゃん。地縛霊だったら留年しなきゃだね」
「成仏させようとはしない?」
「しない。知らないじゃん、人のことなんて、だってついさっきまで名前しか知らないような関係だったじゃん……」

 男子は、ははは、なんて乾いた声を出して、悲しい顔のままうつむいたと思ったら、ひどく不自然に手を叩いたりする。

「……死因は」
「んー?自殺だよ」
「はあー、あんたみたいなやつがいるから、日本人はみーんな裕福なのに、心は満たされていないとか、だから自殺志願者が増えるんだとか、言われるんだ」
「仕方ないんじゃない」

 もしも話だよ、と思いだしたように呟く。

「……地縛霊か……自殺した人の霊は、地縛霊になるのかな?」
「んなことこっちに言われたってわかんないけど。なにかに恨みがあって死んだ人なら……国に恨みがあったなら、日本にいるし、家に恨みがあった人なら、家にいつづけるし、そういう、ファンタジーな」

 そこまで言ってから、あ、なんて気づいたりして、次に男子が発する言葉は、なんとなくわかっちゃったのだ。

「教室に恨みがあったなら?」

 グラウンドで練習に励む野球部員の声が大きく響く。それをきっかけにしたかのように、さっきまで……私とこの男子が、机を向かい合わせ言葉を交わし合うまでの、「教室」の様子が、ものすごいスピードでフラッシュバックを始めた。

「……あんたが一番よくわかってんじゃない」
「ん?どういう意味」
「すっとぼけやがって。だからあんたは教室にいるんでしょ、ずっと……」
「うーん、そうかもねえ」

 その男子は他人事のように呟くと、ぼんやりうつむいて、自分の手の甲を眺めている。にぎやかな教室の様子は次第に脳裏から薄れてゆき、またひとりきりになった。

「あともうひとつ訊いていい?」

 地縛しつづけて、どうするつもりなんだろうね。
 確かに、名前しか知らない関係だった。挨拶を交わしたことすらなかった。筆箱を忘れている様子でも、シャーペンを貸したりしなかった。他の男子にからかわれていても、助けたりなんか、するはずもなかった。

「……だからって、なんで私なんだ」
「もう一度訊くよ」

 その男子の声は、野球部員のそれよりも、もっと大きく響いた。そのときわたしが確かに見たのは、オレンジ色の教室に落ちる、二人分の黒い影だった。

「もしも」
「もしも僕が幽霊ならどうする?」

 放課後の教室。向かい合わせの机。

 戯れに男子の頬を触れて、すぐその手を引っ込めた。ひく、ひく、という妙な声が、クレッシェンドをかけるように、どんどん大きくなってゆく。目の前のその男子の頬は、柔らかくて、暖かくて、鼓動のひとつひとつが感じ取れるようだった。

「もうもしも話はやめよう」
「僕は幽霊だよ、僕は」
「自分で死んだくせに」
「僕を殺したのは誰だよ」

 そしてその男子は大声で笑い出した。息が詰まるようなこの狭い教室で、息を吸って、吐いてを繰り返し、大きく笑っていた。大きく、大きく、大きく、大きく、大きく。


 放課後の教室。向かい合わせの机。私はたったひとり、空っぽになった向かいの席を、ぼんやり眺めていた。
 ありがとうございました、と、野球部の声が響いて、その大きさに窓の外へ目をやると、紫とオレンジが混じったような、不思議な色に輝く、空があった。







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