まずは1階から。あんまり使ったことのない教室ばっか。選択教室は2年のとき、たまに掃除当番で入っていたっけな。右端の保健室はたまに行ってた。左端に生徒会室、結局一度も入ることなく。
 2階。3年生の教室と、特別教室、あと職員室。3年の教室に特に思い入れはないや。というか、普通教室棟にはそんなものない気がする。この3年間で、ほんとうに楽しいと思えるクラスがあったかな?きっとみんなにとってはあったんだろうけれど。特別教室は、パソコンが使えて、楽器もたくさんあって、学校じゃないみたいだった。あんまり来なかったけど。生物の実験は気持ち悪かった。職員室は嫌いだ、ずっと嫌い。
 3階は、2年の教室。2年のクラス、うるさかったなあ。ああ、そういえば、生物教室は3階だったような気もする。3年になってから入ってないから忘れちゃった。
 4階、1年生の教室。1年、楽しかった……かなあ。もうなにも思い出せないなあ。だいぶ前のことだもん。いや、それだけかな。
 屋上は、入れなかった。やっぱり、漫画とは違うね。
 この3年間、そんなことばっかりだったな。
 なにか楽しいことあったっけな。



 入学式、やけに輝くみんなの制服姿を見てから、いつも自分だけ暗闇にいるような気がしていた。大体腹痛に苦しめられ、そうでないときは頭痛に悩まされ、たまに熱を出した。部活には入らなかった。運動部の子の快活さをうらやんだし、文化部の子の上品さにあこがれた。頭は良くもなく悪くもなかった。しかし何故か自分は馬鹿だという気がしていた。
 いつも「泣いている」と言っていた。私は泣いているんだと自分に言い聞かせていた。本当に泣いていたのは文字の上だけで、私はあくびでもしなければ涙の一滴も流せない人間になっていた。

 卒業式の後ということもあって、1年生はもう全員下校しており、4階はもぬけの殻だった。小さなビデオカメラを支える右腕を一旦下ろし、少し息をつくと、私は1年3組の教室を目指した。仮にも私が1年間暮らした場所だ。入って、勉強して、出て行く、ただそれだけを繰り返した場所。
 教室の鍵は開いていた。久々に入るその教室は全く知らない場所のようだった。掲示物も、黒板の文字も、席の配置も、なにもかもが違っていて、私はまるで浦島太郎のようで、それでもその空間は私を拒絶しなかった。なんとなくでも初めてそう思えた。

 入学して最初の席は、廊下側の前から2番目だったな。寒かった。

 あのころのように席に着く。入学式の日の輝く教室の光景が浮かび上がるようだった。
 あのころは私でも確かに輝けていたのかもしれない。真新しい制服はぴかぴかしていたかもしれない。ただ鏡を見ようとしなかっただけかもしれない。
 そのおかげで失ったものはあまりに多い。それを取り戻せる自信もまだない。

 隣の席の子が、かわいくて賢くて絵も上手くて……うらやましかったなあ。

 私のアイデンティティはつらい日々を送っているそのただ一点のみだった。いつもどこか痛くてね、しんどくてね、秀でた部分もなくて、死にたくて、こんな私なんてこのクラスじゅうでいちばん不幸でいちばんかわいそうでしょう。と。いつしか私はほんとうにかわいそうな子になっていた。私が望んでいたベクトルでの「かわいそう」ではなく。
 クラスに何人か友人を作って、それとなく浮かないポジションに腰を据えて、なにかに特別自由することもなければ不自由することもない日常生活の一方、言葉の上で、電波のなかで、そのアイデンティティを掲げ続けた、私はみんなの目にどう映っていただろう。
 クラスのみんなの目に。ネット上の友人の目に。先生たちの目に。世間の目に。私の目に。
 私の高校生活とはなんだったんだろう。

 私の青春って、なんだったのかな。

 1年3組の教室を出て、私はトイレへ向かった。トイレの窓からは、校門へ入る道が見切れていた。それが私の3年間通り続けた道だ。窓を開けて、身を乗り出して、ビデオカメラを向ける。

 登下校中は自転車乗りながら音楽聴いてた。iPodで。もちろんそんなことしちゃいけないんだけどさ。
 いつもあの、校門の前の道でイヤホン取るんだ。嫌だったな、その瞬間、毎日。


 耳からもぎ取った瞬間のイヤホンはいつもそれらしく風になびいていた。なにも楽しいことがないなんてトンデモなことを思い込み続ける日々のなかで、その瞬間だけ高校生らしく風を感じられていたような気がした。
 ビデオカメラを少しだけ下ろして、自分の目で直接、その道を見つめた。

 言うなればそれが私の青春だったのかな。

 かなしいけれど。

 トイレを出ようとして、手洗い場の鏡の前で立ち止まった。髪の毛にゴミが付いているのを見つけて、右手で払う。
 やっと鏡で見ることのできた私の姿は普通の女子高校生そのものだった。顔にも首にもゴミを払う右手にもそれらしい傷はなくて、私が3年間痛がってきたものはなんだったのかとぼんやり考える。
 そう実際にはどっこも痛くなどなかったのだ。そのことを、私はごく一般的な高校生だということを素直に認めていたならば、私の高校生活は何色になっていただろう。
 これは紛れもなく自分の非を初めて認めた瞬間であり、アイデンティティの喪失であると気づく。この3年間言い続けたどの「つらい」より「痛い」より幾分もつらく痛い。それでも生きていかなければならないのだ。このあいだ、第二志望の大学に受かった。私はまたごく一般的な大学生になっていくのだ。
 左胸にはまだ赤い花がついていた。それを左手で取って、ゴミ箱に捨てた。
 そうしたらまたビデオカメラを掲げて、鏡のなかの自分を映す。トイレを出て、1年間過ごした4階の廊下を、階段を降りて、1年間過ごした3階の廊下を、2階の廊下を、あまり縁のない1階の廊下を、靴箱を、駐輪場までの道を、校門を映し、校門を出たら、学校全体を映した。

 大嫌いでした。

 この学校とこの学校で高校生をやっていた自分が。
 だからこそ、これから生きていかなければ。
 校門の前でイヤホンをつけて、3年間聴き続けた大好きなうたを再生する。さよならを連呼するうたを口ずさむ。


 私は今日、この高校を卒業します。






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