「世界が終わるよ」

 誰かが言っている。

「世界が終わるよ」


 15年前の夏、同じ言葉を聞き、信じた少女がいた。短い髪と長いプリーツスカート。14歳、青春時代のさ中にあった少女の胸はしかし、絶望に充たされていた。友情に対する絶望、恋愛に対する絶望、自分の頭脳に対する絶望。自分に対する絶望。誰かが青いと指指した空は黒く見えたし、誰かが綺麗だと見とれた花がとんでもなく醜く見えた。そしてそんな自分がなによりも醜かった。

「世界が終わるよ」

 その言葉だけが少女の希望だった。生まれる少し前から言われ続けたその言葉、「1999年7月に世界は滅亡する」。理由とか、その方法とか、そんなことは最早どうでもよくて、ただただ両手を合わせて、祈りながらその日を待った。
 どうか生まれ変わったらうつくしい世界へ。
 少女は毎日、夕食を食べ風呂に入った後、ベランダに出ていた。誰かが不気味だと怯える暗闇が少女にとっての安堵だった。
 いつもの場所に座り込む。目線を下げるとふくらはぎの傷が視界に入るので、無理矢理に見上げるといつも漆黒の夜空があった。
 妄想する。
 あの星が落っこちて、どこからかやってきたUFOが光線を発して、突然大きな雷が地を引き裂いて、世界が終わるその瞬間を待っている。


「終わる?」
「なんかマヤ暦がどうのこうので、明日……2012年12月21日に、地球が滅亡するとか」
「へえ。知らなかった」
「あれだけ騒がれてるのに?」

 目の前の友人が、パスタを器用にフォークに巻き付けながら、呆れたように笑った。ちゃんとニュース見ないからだよと。

「あんたもどうせTwitter情報でしょう」
「悪かったね。しかしどうなのかな。ノストラダムスの二の舞じゃない?」
「……なんかそれ、懐かしい」
「ね、懐かしいよね。確か私ら中学生だったよね、あの騒ぎのとき」
「中2ね。15年前だから」
「そうそう。ああ、もう15年前になるのか。年を取るわけだわ」

 目を閉じ大袈裟に頭を抱える友人の姿に、声を上げて笑った。おばちゃんみたいと言うと、だって私たち来年30なんだからと痛い言葉を返された。

「……まああんたは終わってほしくないでしょうね」

 頭を抱えたまま、片目を開けほくそ笑み、友人が呟く。

「なんでよ」
「クリスマス。一緒に過ごすんでしょう」
「……まあそうだけど」
「そりゃあそうだろうね。いいなあ、なんで私は彼氏できないんだろう。羨ましい。今日奢って」
「はいはいまた次ね」

 ぎゃあぎゃあと騒ぎ立て、わざとらしく膨れるその人をあしらいながら、私もパスタを口に運び続けた。久々の仕事休みの日、大学時代の友人と、なんとなく話しながらおいしいものを食べるこの瞬間が、いつもたまらなく愛しかった。そんななんでもない瞬間をクリームパスタとともに噛み締めている中ふと、友人が真顔になり、ねえ、改めてさと、テーブルに身を乗り出して尋ねた。

「本当に世界終わっちゃうと思う?」


 また一緒にランチ来ようねなんていつもの約束を交わして私と友人とはレストランの前で別れた。スマートフォンを確認すると、メールが1件。あの人からだった。24日、仕事無くなったから、と。周りを忙しく動く人々にばれないように少し笑って、わかった、楽しみだと、短いメールで返した。
 12月にしては珍しく、日差しが強くて、少し暖かいとすら感じられる白昼だった。雲ひとつない空を見上げ綺麗だと感じた。陽だまりの中をいつもよりいくらかゆっくり歩いていると、目線の先にふと、セーラー服姿の少女を見つけた。短い髪はぼさぼさで、制服も靴下も腕も脚も、泥のようなもので汚れていた。私が呼びかける前にその少女はこちらを振り返る。絵の具で真っ黒に塗られたような瞳をしていた。

「世界が終わるよ」

 茶色く染めゆるくパーマをあてた髪と、やわらかい素材のスカートを揺らし、メイクもきっちりと施しいくらか小綺麗に見える私に、少女はなにかを諦めたように笑い、呼びかけた。

「……終わらないよ」

 小さな声で答える。真冬の昼の風の冷たさが、7月の夜のそれとよく似ているように感じられた。

「終わらなかったんだよ」

 もう一度、言葉を変えて答えると、目の前の少女の笑顔はみるみるうちに崩れた。地面に膝をつき、両手で顔を覆うと、細く白い腕に水滴がいくらか伝い、彼女は大声を上げて泣き出す。
 1999年7月、私は暗闇にいた。その腕の中は空っぽで、ただ終焉の日を待ち続けていた。今、一緒にいて楽しい友人が、没頭し続けられる仕事が、生涯を共にしたいほど大切な人があるこの今、うつくしい世界での2012年12月に、それでも変わらないことがひとつあり続けている。世界が終わる、ふたつの瞬間をつなぐものが。

「でも大丈夫」

 ヒールで一歩前へ踏み出す。

「あなたは私だから」

 そして私もまたあなただから。
 少女に向かって手を差し伸べれば、少女のその手を引いたならば、彼女にとってのあたらしい世界が始まる。






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