さっきまで歩いていた白いはずの横断歩道はいつのまにかカラフルな色たちに染められていた。て。足元のポップさに少しばかり不穏ななにかを感じたけれども、私はそのままその横断歩道を歩き続ける。終わりがあるはずの横断歩道を、終りが見えないなあなんてぼんやり思いながら、歩いている。 いつしか、塗装された横断歩道の下にある、黒いはずの道路は、白、というか、透明になっていた。けれど、その下になにがあるかまでは見えない。不思議だね?しかしその透明な道路は確かに私の赤いコンバースをくっきりと映し出している。ユラユラと色を変えて、透明な道路の上で踊る横断歩道。そこをしっかりを踏みしめる赤も加えて、壮観ですらあると感じるのだった。 朝の時間帯はいつも混雑している横断歩道……人も自転車も車もいっぱいな横断歩道。そういえば周りにいたそれらは一体どこに行ったのだろうか。気がつけばこの広い幻想空間でひとりきりである。弱ったなあ。そう思って立ち止まると、ゆらりと大きく揺れた地面に、後ろへよろけてしまう。思わず、オズ、と呼びかけた。 「大丈夫?」 そこで、目の前にいた少女がそう言って腕を掴んでくれたおかげで、尻餅をつかずに済んだ。で、この子は誰だろう。さっきまで誰もいなかったはずなのに。いや、さっきまで人はたくさん、いたんだけど……。 なにも言わないわたしを少女は不思議そうに見つめる。 「……大丈夫、ありがとう……あなたは、かわいいお洋服を着てるね」 ぽつりとそう言うと、少女はえへへとか笑って、クルクル回りはじめた。横断歩道と同じ色をした服だ、と思った。数えきれないほどたくさんの色。GIFで保存したら劣化しそう。 「天使みたい」 「ありがとう。そう言われたのは初めてよ」 すると少女は突然、自身のひらひらフリルのいっぱいついたスカートのすそを大胆に持ち上げた。やばい。なんとなく目をつむって、ちょっとしてまた開けると、そのすそをボワボワと上下に揺らす少女と、スカートから雨みたいに降り落ちる、マカロンの姿があった。マカロン? 「食べる?」 少女が私に手渡してきたのは赤いマカロン。コンバースの色と合わせてきた?いや、ただの偶然だろうけど。マカロンはすべすべしていて、人差指と親指で挟んで押すと、少しフワフワした。そういえばこの地面もさっきからフワフワしっぱなしである。少し酔いそうだ。本当に、どこなんだろうね、ここ? 「ねえ、さっき言ってたの」 「うん?」 「オズ、って、呼んでたの、だあれ?」 訝しげな表情でマカロンをフワフワし続ける私に少女は問いかけた。少し恥ずかしくなって顔を伏せる。さっきの、聞こえてたのか。 「オズねえ……誰だろうね?」 「ね?って!」 「私にもよくわかんないんだ」 「でもさっき呼んでたでしょ?」 すっかり困ってしまって、半笑いで首を傾げてみた。ううむ、返答に悩む。 「なんだろう……助けてくれるんだ、いつも」 「助けてくれる?」 「私が困ったときにね、呼びかけたら、助けてくれる……気が、してたんだ。私が小さいときからね。うん、とりあえずなんかあったら呼ぶんだ、オズを」 そして、オズの存在を知ったのはあなたがふたり目だよ、なんて付け加えた。「ずっとオズは私の中にしかいなかったからね」 そのあとは少し、オズが私にとっていかに大切かという話をしてみた。いじめられていたとき、心の奥でオズがそっと支えてくれた。受験勉強で参っていたときも、オズがずっと励ましてくれた。楽しい感情も悲しい感情もオズと分け合った。まあおとぎ話でしかないんだけど、真実と言えば真実なのだ。そして何故か、言葉たちはポンポン口をついて出てきた。誰かに話してみたかったんだろうな、誰にも、話せなかったことだから……。 しかし私は一体どうして、こんな得体の知れない女の子に、自分の心のいちばん弱いところをわざわざ、暴露することがあるんだろうか? 「でも結局……オズなんていないから、自分を助けたのは自分でしかないんだけどね」 「本当にそうかな?」 うん? 「だってさっきあなたがよろけていたときに、手を引いたのはあなたじゃなくて、私だったでしょう?」 うん……? なんとも正論だ。ただなんとなく何故か、一筋縄ではいかない気がして、手元のマカロンを眺めたりしてみた。 「……マカロン、食べていい?」 「うん、いいよ」 「本当に食べていいの?」 「なんで?」 「いや……」 不思議そうに私を見ている少女、その足元で揺らめく多種多様な色のマカロンたち……。なんとなく、私がこういう状況に置かれて、なかなかに冷静でいられる理由がわかった気がして、もうひとつ質問を投げかける。 「ねえ、さっきなんで、私の手を引いて、助けてくれたの?」 首を傾げたまま、少し笑う少女。その目線を追って、ゆっくり身を捩らせた。 「……ひっ」 少女が眺める……私の背後には、なにもなかった。そう、なにもないのだ。真っ暗な空間、というか、「空間」自体が存在していないような、ああ、表現できなくてなんとももどかしい。ブラックホールみたいだ、とも思ったけれど。そんななにもないが、私のすぐ後ろにあるのだ。 「……あ、ありがとう」 「それ、さっきも聞いたよ」 少女はそうクスクス笑った。いや、この状況は、言わなければならないでしょう、お礼を……。 なにもないと、カラフルな横断歩道の(ほぼ)境界(と言ったところ)で、それ以上なんとも言えず、なんとなく過去を回想してみたりした。私のそばにいたオズ。私を励ましてくれたオズ。手を差し伸べてくれたオズ……。年齢を重ねるにつれ、オズに対する信仰は薄れていったけれど、それでもいつも、そこにいたのだ。そうちょうどこのくらいの距離でね。 あまりにおかしげな少女の姿をじっと眺めていると、なんだかこっちまでおかしくなってきて、思わず吹き出してしまった。そのあとは少しばかり、ふたりでケラケラと笑い続けていたのだった。 「ふふ、でもね本当に、感謝してるよ、あなたには」 「どうして?手を引いたから?」 「それもだけど、教えてくれたから……自分を助けているのは自分だけじゃないって」 笑いすぎて目尻に溜まった涙をぐっと拭った。 「手を引いてくれたこともそうだし、まずこんなよくわかんない場所にひとり投げ出されて、不安だったところにあなたが来てくれたことも、私をすごく安心させたんだよ。こんな私の言うことに、明るく答えてくれたことも。ていうかそもそも、こんな場所が用意されていること自体……」 「あなた、私が思っていた以上に、鋭い子だったみたい」 少女は私の話すことをほとんど遮るようにして言った。それでも彼女の目はとっても優しくって、見てるのはちょっとつらくって、手元のマカロンに視線をやる。 「……このマカロンも?」 「うん、そうよ」 「このマカロンを今私が、いらないって言って食べなければ、道は元に戻る?」 「逆よ、逆。食べたら戻るの」 「あっ、そう……」 なんだかちょっと恥ずかしくなった私を、少女はまた笑った。 「どうするかはあなた次第よ」 さて、どうするべきだろうか。 ずっと誰よりも私の近くにいてくれたオズ……さっきまでの回想で、その姿は、はっきりとしていただろうか。姿なんてないはずなのに?いや、私が気づいていなかっただけなのかもしれないな。そう思うとなんだか今までの日々が、よりいっそうキラキラして、また脳内に蘇る気がした。走馬灯みたい、とも思う、かな? なにか言おうとして口を開いて、一度閉じて。そしてまた開いてみた。 「オズはね」 「うん?」 「その正体はね、天使だった……ような気がする」 「……そうなのね。素敵」 ちょっと困ったように少女に微笑みかけて、私は、マカロンをじっと見つめて、マカロンを、 |