short | ナノ


それは凛然とした男の声だった。
抑揚なく、感情ない、乾いた砂漠のような。けれど、何処までも透明な声だった。まるで吸い寄せられるように振り向けば、喧騒を背に、一人佇む男の容貌が見受けられる。

男は、マキシマと違い、どこまでも黒だった。黒い髪、黒い瞳、黒いスーツ。透き通るような肌がいっそうその漆黒を際立たせている。艶やかな闇色に瞳を奪われていれば、彼は彼の周りだけを取り囲む静穏を引き連れて此方にやって来る。
私の近くまで歩み寄り、そうして、視線を多少近くするよう、軽く屈んだ。それでも彼の方が背が高い。何だろうと軽く上を向けば、男は薄ら笑った。

「君は、槙島の物?」
「え…?あ、違い、ます。彼には此処を、教えて貰った、だけで…」
「そう。じゃあ、僕が貰っていい?」
「…、は…い?」

何を言っているのか。意図が飲み込めずきょとんとした顔で彼を見詰め続ける。しかし彼の視線は私ではなくバーテンの方を向いていて、恐らく二つ目の問いはそちらのバーテンへ向けたものだったのだろう。私の意志は完全に無視らしい。
苦笑したバーテンは、少しの間を空け。お好きにどうぞ、と、男に言った。
目まぐるしく変化する、己を取り巻く状況。どうしたらいいのか解らなくて、私は、ただ黙って彼を見上げるだけだった。
男は一つ頷くと、何やら探って、そして色相チェックを呼び出した。改めて確かめられる、私の色相。それは、先程見た色合いと変わらず、濁った色彩を示していた。いや、あの時以上に淀んでいる気さえする。嗚呼、やはり私は猟犬の執行対象になってしまったらしい。
ふぅん、と興味なさげに彼が口にした。こんな色相の人間に対して、そのあまりの反応の薄さに、思わず彼を凝視した。

怖くないの。拒絶しないの。

声なき声を察したのか、視線が絡まる。深い、深海のような瞳だった。彼の前に立つと、周囲の喧騒が急速に遠ざかっていく気さえする。
やがて彼は、静かに口開いた。

「別にどうも思わないよ、今のは確かめただけ。もし君の色相が綺麗でも、僕と歩く以上、どうせ街頭スキャナーに引っ掛かるわけにはいかないからね」


それは、つまり。


「解ってるんじゃないのかい。今此処にいる人間、ほとんどが、とうに規定値を振り切った人間ばかりだって。安心するといい、此処では君は正常だ。……嗚呼、まぁ、詳しい話は後でしよう。おいで。」

男の手が私の手を掴む。大きくて、固い、成熟した男の手だった。その手に引かれ、バーを出て、黒塗りの恐らく高級車へと導かれる。運転席から降りてきた男がドアを開ければ、男と共に乗り込んで、そうして腰を下ろした先はふわりと柔らかかった。静かにドアは閉められ、僅かな間を置き、車は走り出す。これからどこへいくのだろう。


「…あの、」
「何、」
「貴方は、一体……あの、どうして、私を、」

矢継ぎ早に質問が零れ落ちてくる。状況に混乱し、思ったより平静を保てなくなっていたらしかった。畳み掛けるような言い方になってしまったと気付けば、はっとして居住まいを正す。ごめんなさいと弱弱しい声で呟いた。


「…僕は雲雀、」
「ヒバリ…?」
「そう。…君を拾ったのは、ただの気紛れだよ。まぁ、暇潰しといってもいい。最近公安局の奴等が張り切っててね…あまり暴れると面倒だから、暇してたんだ。ちょうどいいから君で遊ぶことにした」
「……、」
「ま、そうはいっても、可笑しな真似をしなければ、途中で放り出したりはしないから、そこは安心していいよ。君は、僕が最後まで飼ってあげる。衣食住全て、面倒を見てあげるよ」


そこまで言って、彼は、ヒバリはようやく此方を向いた。今までの無表情とは一変し、獲物を甚振って愉しむような、凶暴な愉悦を孕ませて。緩やかに伸ばされる手が、すると髪を梳く。付着していた赤黒い血が、彼の白皙の指をぬると濡らした。
ぺろり。不気味に赤い舌が、その血を拭う。ぞくりと悪寒が走った。

「…慰み者くらいには、なるかな」


彼の言わんとするところを、数秒遅れで察する。慰み者。それはつまり、そういうことの相手をしろということだろう。目に見えるような動揺はしない、男にとって、私のような人間を拾うメリットなど、それくらいのものだろう。解っていたからこそ、覚悟していた。相手が脂ぎった汚いオッサンならまだしも、幸いなことに彼は滅多に拝めないような美丈夫だ。幾分か救われる。

「もとより、覚悟の上です」
「……へぇ」
「そのくらいしかないですからね、私の価値は」

彼の、ヒバリの深海の瞳は、少し怖ろしい。正直に言えば怖いけれど、それを気力で抑え、正面から彼を見つめる。
私の言葉に、微細に瞠目したヒバリが、次いで愉快気に口角を釣り上げた。チェシャ猫のような笑みだった。へぇ、と、零す声音には、興味と好奇心の色が隠れていない。否、きっと、わざと彼が隠していないのだろう。

「一般人だったくせに、見上げた度胸だね」

気の強い女は好きだよ、と、笑み交じりに彼が続けた。
伸ばされた彼の白い手が、するりと私の頬を撫でた。意外なほど、その手付きは繊細で優しい。するするとその手が滑って、私の首筋をなぞった。否応がでも、性的なものを感じさせる手付き。身を捩って抵抗すれば、しかしあっさりとその手は離された。氷の美貌は、未だ笑みを湛えたまま。不意打ちのように、唇に柔らかな感触が触れる。女に触れることに、手馴れた動作だった。
覚悟の上と豪語したくせに、唐突の口付けにびくりと身体を揺らした。それに、至極愉快そうに、男は喉を鳴らすのだ。鼠を甚振る猫のように。

「悪く無い。いい拾い物だね」
「……ありがとう、ございます」



私は捕まりたくなかった。あんな両親を殺したために、捕まりたくなんてなかった、そんなの不条理だと思った。だから、彼の、マキシマが差し伸べてくれた手を取った。
そうして逃げた先、この男に、ヒバリに拾われて。気紛れで囲われた先で、私は世界の裏側を見る。




Immoral Wonderland
( 皮肉だね、今の方が、余程"生きてる"って思うよ )




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