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人を殺した。
掌に髪に身体に纏わり付く不快な鉄錆の臭いが鼻について気分が悪い。駆け抜ける路地裏はお世辞にも綺麗という言葉からは程遠く、饐えたドブ川の臭いがしていた。
真っ白な男に手渡された地図を見ながら、彼に教えられたバーを目指す。
男の名はマキシマといった。


殺した相手は両親だった。私を随分と傷つけて傷つけてずたぼろになるまで弄んでくれた、一時には神のように恐れた人間が、死んでしまえば生温かい血と肉で出来た物質でしかないというのは妙な気がする。
死んだ。殺した。私は殺人犯だ。嗚呼、やっぱり、色相が随分濁ってしまっている。この調子では、犯罪係数も大変なことになっているのだろう。というか、まず現行犯逮捕か。
さてどうしたものかと二つの死体を前に暢気に思案に耽っていれば、どこから自宅に侵入したのか、真っ白な男が音も無く私の後ろに佇んでいた。
流石にびっくりして振り向けば、男は部屋の惨状を興味深そうに眺め、そうして最後に、私に視線を戻した。好奇心と愉悦の滲む瞳だった。そして、どこまでも冷涼に整った容貌だった。銀の髪と、シトリンの眸が淡い光に反射して宝石のように煌めく。
その眼を見て、ひとまずは執行官やら何やらでは無いと確信し、一旦息をつく。
その反応が面白かったのかはたまた気に食わなかったのか、男は座り込む私の目線に合わせ、血の海の中に屈み込む。
靴先が血溜まりに跳ね、ぴちゃんという音が静寂に響く。

「これは、君がやったの」
「嗚呼、はい、まぁ」
「そう…」

再び沈黙が落ちた。しかし、再度の無音はすぐに断ち切られることとなる。
ところで、これから如何するのかという類の質問に、何も考えていないと私は言う。
そうすれば、彼は手帳を取り出して何かを流暢に書き付け、一枚紙を破り、それを私に寄越した。
見てみれば、それは何処かの地図で。右下には、流暢な筆跡で「Makisima」と綴られている。
意味が解らずに彼に視線を戻せば、男はその美貌に悪戯な、そして背筋の凍りそうな薄い笑みを浮かべ、私の髪を丁寧に梳いたのだった。

「そこに書かれているバーに、行くといい」
「……此処、は」
「僕に、槙島に言われてきたと言えば、匿ってくれるはずだよ。上手くいけば、誰かが君を引き取ってくれるかもしれない、そこは君の器量次第かな」
「どうして、」

どうして、初めて会った私に、此処までするの。
それは至極当然の疑問だろう。初対面なだけでなく、私は犯罪者だ。裁かれるべき人間だ。私を匿えば、それ相応の罰があるだろうに。どうして。
男は、マキシマはその質問に薄い笑みを深めるだけで、明確な返答を返さなかった。意図的に黙っていたようにも思う。
早くしないと、公安局が嗅ぎ付けるよ。そんな脅しめいた台詞に追い立てられ、私は逃げるように生まれ育った実家を出た。
家が見えなくなる寸前、一度だけ振り返る。当たり前だが、彼の銀の髪も、また、うつくしいシトリンの眸も、視界には映らなかった。
数秒ほど立ち止まり、また走り出す。地図を頼りに、今は、彼を頼る他に、生きる道が無かった。
色相だけでも相当の濁りを見せたのだ。犯罪係数の数値は考えたくもない。下手をすれば、否、公安局に捕まれば、私の人生は今日でエンドロールかもしれない。エンドロールさえ流させてくれないのが、あの猟犬だ。逃げるしかない、少しでも、遠いところへ、暗闇へ、身体を引き摺る。

夜の帳、辺りが闇に包まれる中、一筋の光が見えた。あれだ。そう直感した私は、そのバーまで、気力で駆け出した。体力的には、緩やかに歩くことしか出来ないだろうに、人間の意志とはかくも不思議なものだ。


からん。扉の鳴く音がする。

密やかに佇むバーの扉の中には、私の知る大人はいなかった。
どこか虚ろめく視線を彷徨わす大人は一人もいない。あるのは、好奇心、猜疑心、或いは無関心。しかし、そのどれをとっても、冷たく獣めいたぎらつきに満ちている。
私は無意識に身体を奮わせた。けれど、決して眼だけは逸らすものかと、なけなしの矜持でもってして前を見詰める。
此処で逃げ出せば、待っているのは己の死か破滅のみ。重々しい音を立てて、扉は閉められた。
さぁ、これで逃げ場は無い。


ゆっくりとカウンターに近付く。心臓の脈打つ速度が、縮まる距離に反比例する。
これはお嬢さん、こんな夜に何の用で。異国貌のバーテンが私に問う。私はマキシマの書いた地図を、そしてサインを男に見せた。ただの小娘が何か言うより、きっと信憑性が高いと思ったからだ。紙を見せ、そして言う。

「マキシマという男に、此処に行くように言われた」

私の台詞に、周囲の空気がざわついたのが解る。マキシマは有名人だったようだ。どうしたものかと視線を落としていれば、紙を直接見たそのバーテンが、至極面白そうに呼気を転がした。歌うような声音だった。

「これは、これは…何をやらかしました?」
「両親を殺した」
「成程。それを見て、槙島が此処を教えたと」

ざわめきは更に大きくなる。時折外国語らしき言葉が飛び交うのをぼんやりと聞きながら突っ立っていれば、バーテンが、では此方に、というのに従って脚を進める。
本当に大丈夫なのか。彼は、マキシマは信用できるのか。考え出したらきりの無い問いが脳内をぐるぐると回り、足が上手く動かない。ゆっくり、ゆっくり。
そして、一歩。踏み出したところで、後ろから声がかかった。

「ねぇ、」







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