short | ナノ


脚が向いた。
あのこが好きだと言っていた、甘い香りのする店へと。
そうしたら次は向かいの、無駄にひらひらした服がたくさんある店へ、視線が止まった。

そうやってふらふらとしていたら、いつの間にか日が暮れてしまっていて。
嗚呼、早く帰ろう。買ったものは全部、送ってって言ってあるから、手ぶらのまま。
呼びつけた黒塗りの車に乗り込み、イタリアの街並みを後にする。
冬は、日が暮れるのが早いんだ。


あのこは冬が嫌いだ。
あのこは寒いのが嫌いだ。
あのこは一人きりが嫌いだ。

だから早く、帰ろう。
あのこと二人で暮らす、マンションの駐車場へと、車が静かに乗り付ける。
運転していた部下に、明日は来なくていいと伝えて、車を降りた。
はいと返し、遠くなる黒色。
何となし、それをぼうと見詰めていれば。


「……雲雀さん、」
「……、…沢田」


後方に感じる、誰かの気配。そちらに視線を送るとほぼ同時に、茶色が姿を現した。
一拍置いて、鼓膜を揺らす、未だに変わらない、少し幼い男の声。
君が此処にくるなんて、珍しい。そう笑う僕に、彼は複雑そうな表情を送った。
言い淀む唇が、何度か小さく動いて。だけどそのまま閉じてしまう。そんな動作を、繰り返した。
しばらく待っても発されない声音に、少しだけ眉根を顰めて。
彼に向き直るために、かつと打ち鳴らした革靴の音は、やけに耳についた。


「……何。言いたいことがあるなら、早くしてくれる。」


僕も暇じゃないんだよ、なんて。それに続けた言葉の後、上を見上げた。
此処の最上階に、僕の部屋はある。そこにはあのこがいる。
明日はあのこと過ごすために、休みを使おうと決めていた。別に、そうやって決めなくても、休日はあのこといるんだけど。
僕のしたいことに付き合ってもらうことも、ままあるから。明日は、あのこの希望に沿って、過ごすって。
だから、早く帰りたいんだけどな。
そう思いつつも、放ってさっさと歩いていかない辺りは、多少の自分の成長かもしれない。
…忙しいんだ、今度にして。って、数分経った後、溜息と共にそう吐き出す。
そう言って踵を返せば、あ、と焦ったような声が聞こえ。続いて、間髪入れず、聴こえる切羽詰った声。


「あ、の…っ、待ってください!!」
「……なに、」
「い、そがしい、って…明日、貴方は休み、じゃあ…」
「玲と過ごすから」


何を、くだらないことを。
そもそも、休日に忙しい理由なんて、趣味か女関係しかないだろう。無駄な時間を過ごしたと、わざと溜息を大きくし、今度こそ歩みを再開する。後ろで声を荒げる沢田の声が、嗚呼、煩い。そんなに騒がなくても聞こえるし、そもそも用件は何だ。


「ひ、ばり、さ……雲雀、さんっ!まだ、まだ貴方は……っ、いい加減、現実を見て下さい!!久遠さんは…っ」
「うるさいな」



嗚呼、うるさい。煩い。
知ってるよ。解ってるよ。

知ってたよ。
あのこが此の世にいないことくらい。もう、とっくの昔に。解ってる、よ。

でもね。
聞こえるんだ。見えるんだ。
耳を塞げば。目を閉じれば。
あの頃と同じ、僕を呼ぶあのこの声が。あのこの姿が。

もう聴けない、逢えないと想っていたから、不思議というより、嬉しかった。
帰って、きて、くれた、って。ありもしないことを想うくらいに。
だから、耳を塞ごうと決めた。目を閉じようと決めた。

それであのこに逢えるなら、あのこの声が聴けるなら。
誰が何と言おうが、異常と言われようが、僕はそれで構わない。


嗚呼、ほら。
僕を呼ぶ声が聴こえる。笑うあのこが、そこにいる。
触れようとはしない。そうしたら、夢が醒めてしまうから。
近くに寄って、その顔を見下ろす。
おかえりなさいという君に、うん、と返して、他愛ない話をしながら、マンションへと歩いていく。




扉を閉める、寸前。
何とも言えない表情で此方を見詰める沢田と、目が合った。
ゆる、と、口元を歪めて、笑う。

沢田は、酷く面食らったような顔をして。そうして、泣きそうな顔をした。
嗚呼。どうしてかな、頬が冷たい。






ぽた、と。
冷えたコンクリに、水滴が、落ちた。





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