「茶会?」
「ああ、松永殿は茶会が好きなのだ」
御師匠の話を聞きながら松永殿の用意してくれた絢爛な朝餉に手をつける。凍り豆腐をかじったところで、今日の昼過ぎにある、と加えた。
「それは、分かりますが」
御師匠が招かれるのは理解できる。だが私も、というのは初めての例だ。松永殿は本当は心優しい善人なのではないかと、今迄の印象を塗り替える行動ばかりが伺えてしまうので、ここに来て混乱していた。そう、もし松永殿が善人だとして、そんな彼の配慮で、便宜上誘ったのみであるならばここは断っておくのが道理なのではないかと思いもしたが、御師匠の様子を見るとどうやらそうでもないらしい。
「先々の文でお前が金平糖を好きだと言う話を書いたら、今日の茶会の菓子は金平糖にしよう、ななしも連れてこい、とな」
「わ‥わたし、余り茶の湯は」
「解るがなァ、お前も野暮では無かろう」
滅多に無いぞ、と念を押されるような言われれば、致し方ない。しかし、一つ困ったことがあった。着物が無いのだ。普段こういった場で着ている晴着のようなものは置いてきてしまっている。(当たり前だが、今回は検診で来たのだから。)
「着物が有りません」
「‥そうだったなァ、しかしまあ、急ではあるし、簪位は挿せば良いだろう」
武将というのは殊に茶の湯を嗜む傾向がある。御師匠が看ている名だたる方々も皆洩れなくそうだ。検診が終われば御師匠を茶の湯に招いた。ただし、その時わたしは、当たり前だが招かれることはなかった。だから驚いたのだ。松永殿は柔軟な人間なのだろうと思っておこう。あの第六天魔王に背いた経験が有る方なのだし、並大抵ではないのは承知の上だ。
折角金平糖を用意してもらえる折りに、行かないのは惜しい。
「いきます。私」
おみおつけを啜りながらも、頭の中は既に金平糖でいっぱいだった。
* * *
昼過ぎに庭の庵に行けばいいと言われていたのだけれど、する事もない上、どうにも楽しみで一足早く庭を散策することにしていた。
整然とした枯山水の石庭。その脇に控えめに庵に続く道が作られており、そこからは松やらが体よく植えられている。大きな瓢箪をかたどった池は、覗くと、美しい、丸々太った錦鯉が優雅に泳いでいた。
「卿にはこの鯉がどの様に見える」
静かな、それでいて何か威圧感をたたえた声がすぐ真後ろから聞こえる。ゆっくり振り向けば、声の主である松永殿が、悠々と立っていた。
「そう構えてくれるな」
「流石に‥恐れ多くて」
「ああ‥、だがそんなことは良い、質問に答えたまえ」
無表情に限りなく近い、作った笑みほど恐ろしいものはない。私を見据えた目は正しくそれに適合している。
「私には、酷く幼稚に見えます」
「何故」
「補食もされず、餌も与えられますが、彼らはそれ以外を伺い知ることは不可能な、赤子同然の環境で生きています」
「‥卿は、数奇者だな」
どうやら納得のいく答えが出来たらしい。池の縁にまで歩み寄ってくると、松永殿は持っていた麩を満足そうに池の中へ投げ入れる。鯉は喜々としてそれを平らげた。横並びになった私と松永殿は、ぼんやりと池に姿が浮かぶ。それが何とも不釣り合いに見えた。
「松永殿」
「何かな」
「お招き有難うございます。あの、‥嬉しかった、です」
「‥ああ」
つまらなそうな生返事が返される。
いや、しかし彼は変わっている。こうして私とまだ話を続けようとしているのだから。気まずくなって池を更に覗き込めば、含み笑いが聞こえた。
「随分と人を気にかける質のようだ」
「‥初めて、言われました」
「誰も、卿という本質を理解しようとしないからだとは、思いもよらぬだろう」
人とは案外自分を見ていぬものだ、と、袋に入っていた麩をまた投げ入れる。今度は奥の鯉にまで届いた。
もしかしたら、そうなのかもしれない。私を理解しようとしてくれる人などいないのかも、分からない。只、そうとも言い切れないのはあの人の良い笑い方をする御師匠が、脳裏を過ぎるからだ。
「名は何と言ったか」
「曲直瀬ななしと申します」
「曲直瀬は貰い受けたものか。‥呵々、卿の師は良い男だ。大切にしたまえ。‥どんなものも何れは朽ちるものだ」
そう感慨深げに、手に持っていた包みを開いてみれば、小さな釜が顔を覗かせる。
「それは‥?」
「古天明平蜘蛛。今日はこれで湯を沸かすのだよ」
ゆったりと庵の方へ歩き出した。私はその場で足を止めて、その背中を見つめてしまっている。不躾についていっていいものか、悩んだからだ。
突然、松永殿の足が此方を向くのを見て思考が止む。
「ななし」
「え、」
「道三をもてなす手助けをして貰いたいのだが、それには私についてこなければ」
勿論褒美は出そう、と、彼が懐から出したのは、綺麗なビードロに入った金平糖だった。
20120608