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「松永殿はご健勝で何より、‥噂は此方まで届いておりますぞ」

「卿の話も聞いたが、‥いや、過去の男の話は止めてしまおう」


過去の男というのは将軍のことなのだろうか。
頭を垂れているので松永殿の顔は見えない。しかし、襖を開けた際にちらりと見えたその面持ちは、なんとも精悍だった。纏められた髪に白髪が混じりいるものの、翁とは到底言い切ることの出来ない雄々しい目つきが、真っ先にわたしを射抜こうとしていた。松永殿が楽にしたまえよ、と言うと、御師匠は遠慮もなく面を上げてゆっくりと彼に向かって微笑む。つられて面を上げると、松永殿はわたしの方等見ていなかった。


「そこに居る娘は卿の奥かね」

「ははは!冗談はよして下されよ、儂の一番弟子ですわ!」

「ああ、文にあった‥」

わたしの何を話したのだろう。‥気になることは山ほどあるが、差し当たり悪いことは言われていないように見えた。目もやらず賢しそうだ、と言ったきりわたしの話題は流れた。


「中風は如何ですかな」


「近頃‥、体が思うように動かない事が多くてね」

「若い頃と較べてはな、いけませぬが。‥ななし、脈を」

「はい」


脈を取るために松永殿の元に寄り、着物をたくし上げて手首を押す。直ぐに指先に拍を感じた。暫く圧迫したまま、脈の速さを手帳に記せば驚いた様子で私を見つめる。女のくせに、と良くいわれているものだからこの手の視線は馴れているのだがあまりいい気はしないのが本音だ。


「御師匠、多少乱れはありましたがほぼ正常です」

「そうか、‥脈が正常ならば薬は特に要りませんでしょう。代わりに、灸を」


背中の背負子から灸と敷物を取り出して御師匠に渡すと、俯せに寝かせた松永殿の経穴に据えた。藻草と、精神静養作用を含む香を練って作った特製の灸は、御師匠が手ずから作ったものだ。暫くの間この状態を保って貰い、経絡を熱で温めれば体の不具合も多少は良くなる。


「中風に効く経穴は覚えたか?」

「はい、勿論」

「流石は儂の愛弟子よ」


誉められれば素直に嬉しい。






* * *







「終いでございますぞ」


すっかり目を閉じていたところを御師匠が揺すると、ゆっくりと目を覚まされた。首や肩をひとしきり回したあとに、気分がよいと言う。


「今回はいつまで居るかね」

「明日、啓迪院から文が届きます。それによっては早めにお暇致すやもしれませぬ」

「すまないが、暫し灸を続けたい」

「‥考えましょう」


敷物や灸を片付け、御師匠達が雑談を交えている最中。わたしは難しい話に入ることが出来ない為、部屋の隅で本を嗜んでいた。すると白い頁がほんのり和らげに染まりかかってきて、思わず外を見る。
すっかり橙一色になっていた。城から見る夕日は、京で毎日見る夕日よりずっと素朴で、それでいて雄々しい。乗り出して見るとより詳細に伺えた。


「卿は小さい故、木枠から落ちないでくれたまえよ」


卒然、部屋の中から張って聞こえた松永殿の声は、まるで子供を窘めるかのような優しさが籠もっていた。

20110607