×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -


はやいもので大和に来て十四日が経とうとしている。
それに気がついたのは昨日届いた御師匠からの文に書いてあったからだ。漸くずれていた日付の感覚を取り戻すことが出来た。



“――松永殿のおそばに仕えること肝要。よくよく道義に背くことなきよう申し上げ候。誠実に健やかにすごし尽くすこと申し上げ候。かしこ。”


今まで御師匠から頂いた手紙は、僅かであるが、どれもすべて必ず手紙の最後は誠実に過ごせという一文で締められていた。道理に背くな、自分を偽るな、どれも御師匠が佃煮にしてしまえる程日頃わたしに言っていたことを思い出して、笑ってしまった。
わたしと居るときはあのようにだらしなく語尾を伸ばした喋り方をしているが、本当はとても生真面目な人なのである。真面目すぎることが仇にもなり、噂では医学校啓迪院を開くにあたっても妥協をしらず、上の方に楯突くようなかたちで意見を押し通したのだとも聞いた。そんな不器用な方だが、人柄は頗るよく、だからこそ弟子たちや、名だたる武将らに好まれるのだ。
手紙を畳むとき、ほんのりと香が薫った。御師匠は手紙をしたためるときは必ず香を焚きしめていた。たしか白檀であったと記憶している。懐かしい思いがして、面に書かれた御師匠の名前である、道三の文字を指の腹でなぜた。御師匠は字がうまい。
私はあまり字は得手ではなく、――勿論手紙をしたためることも含め――返事をするのは暫く掛かりそうだ。城下に降りて紙を買わねばなるまい。それから、松永殿に墨を拝借出来るか訪ねてみよう。手元にあるものが残り僅かだったから。

――ああ、松永殿か。
そういえば、かれも香を着物に纏わせていた。
何の香だろうか。嗅ぎ馴れぬものであったから、今でもはっきりと思い出すことができた。
それから、かれと切っても切り離せない、忘れたくとも忘れられない、あれ。私自身、異性とこのように口吸等したことが無かったから、驚いた。心の臓が口から飛び出してきそうだった。ぼんやりと浮き気味であった意識を引っ張り上げ、なにかで叩かれるような衝撃。それから、それから。痺れが、わたしを支配した。何なのだろう、あれは。

――分からない。
今まで相対したことのない対象、松永殿。御師匠とは違う優しさを持つ。そして柔軟で、誠実で見えるはずの立ち振る舞いは、私にはどこかしたたかに見える違和感。私は松永殿をもっと知りたいと思っている。初めて御師匠と出会った、あのときの感情が今再び湧き上がることだけは、分かるのだが。


「失礼致します――曲直瀬先生、昼餉に御座います」


女中さんの声が障子越しに聞こえてきた。曲直瀬先生、――先生。心で反芻すると、自然と自信が持てるような気がした。はい、と、大きな声で返事が出来た。


「お屋形様の診療は、今日は昼餉をとられたあと直ぐに、とのことでございます」

「はい、分かりました」


障子を閉める女中さんを見送ったあと、お膳に手をつけた。行儀は悪いが御師匠が記した松永殿への治療歴を纏めた書を見ながらにする。中風、脚気の検診、それから――閨房術か。これは私の範囲外だ。というより女の私では理解しようもない内容もあるし、御師匠も松永殿もこれに関しては私に教授しろとは求めてないだろう。一通り習った中に含まれていた気もする。興味が無いので忘れてしまった。ああ、またすっかり気持が乱された。
皿の大根の漬物を食べ終えると、検診用の衣を纏って、紐で袖を縛り上げると、早々に松永殿の部屋へ向かうことにした。




* * *





他愛のない話を交わしながら、横になる松永殿の脈数をはかると、いつもどおりに灸に火を灯す。そういえば、これにも香が練り込まれていたのを思い出した。今日のものは丁子だった。包みの色によって使われている香も分かれているから、解りやすい。


「松永殿は香にお詳しいのですか」

「嗜み程度にだがね」


今日も仄かに香る。これはこの間、微睡みのなかで嗅いだものと似ていた。


「侍従」

「え」

「着物に焚きしめた今日のこれは、侍従と云う。沈、丁子、甲香、甘松、熟欝金を混ぜ込んだものだ。

――たしか、卿を抱き上げたときもこれを焚いていた」



「‥!」


意地の悪い顔をしておられる、と思う。反応を伺っているようだ。松永殿は目を閉じているのに、わたしの顔色が見えるのだろうか。隠し事など出来ないと、はなから人に思い込ませることが得手であるのだろう。おそらく、私の心も読まれているのだ。

(――けれど)


「‥秋の香りが、致しますね」


虚勢を張った。

すると、松永殿は黙りこんでしまった。呆れたのだろうか。戸惑いはしたが手を止めるわけにはいかない。施術を終え、灸の燃え殻を払い、今日の治療内容を書き留めた。すぐに書かねば忘れてしまう、私の記憶の持ちはあまりよくない。その間に松永殿は起き上がり、脱いだ着物を整えていた。私のほうも箱に治療器を終い、風呂敷に纏める。


「お終いです」

「ああ、」


良い手際だった、と言われ、素直に顔が緩む。
風呂敷を持ち立ち上がると、松永殿が思い出したように私の着物の袖を引いた。振り向くと、――刹那、鋭い目が覗いたが――すぐに平生に戻る。


「今日の夜、卿と酒を飲みたい。‥供を願おう」

「私、と?」


「ああ、道三について話そうか。

――それから、卿の話も聴きたいのだよ」

「はい。私で、宜しいのなら」

「ならば、戌の刻(午後八時)に」



ぱっと袖を離されると、松永殿は部屋の奥にある文机に向かった。政は複雑だと聞く。
邪魔にならぬよう、黙って頭を垂れると静かに障子を閉めた。

20120617