幸福を束ねて飾ろう
教団に連れてこられた頃のレイアちゃんは、つらい過去のせいか、なかなか感情を表に出せなかったんだ。
加えて神田くん以上の口下手で、自分の考えていることを人に伝えるのがすごく苦手だった。
だから人を傷つけるようなことばかり喋ってしまって、その頃は団員たちも彼女にあまりいい印象は持ってなかったかもしれないね。
特に、リナリーとは馬が合わないみたいだった。
仲間を家族みたいに大切にするリナリーと、他人を信用できないレイアちゃん。意見の食い違いなんてしょっちゅうで、お互いがお互いに苦手意識を持っているようにも見えたよ。
あれは、レイアちゃんが入団してひと月ぐらい経った頃かな。湖のなかにあるイノセンスを回収するっていう任務に、リナリーとレイアちゃんと、探索者2人の4人体制で行ってもらったんだ。
ここからは、任務の報告書と、2人から聞いた話になる。
目標の湖にたどり着いてすぐ、10体ほどのAKUMAに襲われて、その戦闘中に、同行していた探索者の1人がリナリーを庇って……、死んでしまった。
リアムくんっていって、いまのアレンくんと同じくらいの歳だったよ。
任務当日、リナリーは体調がよくなかったらしいんだ。レイアちゃんやリアムくんに心配をかけないために隠していたけど、そのせいで、自分のせいで彼を死なせてしまったと、リナリーは自分を責めて泣いていた。
そんなリナリーを見て、レイアちゃんは早くイノセンスを回収して、帰還しなきゃって思ったんだ。どうしてかっていうとね、もしまたAKUMAが来て、これ以上誰かが負傷してしまうことがあれば、命を落としてまでリナリーを守ったリアムくんの死が無駄になるから。
そして、少しでも早くリナリーをホームに帰したかったんだって。自分の言葉ではリナリーを慰められないから、ホームの仲間たちにいち早く会わせてあげたかったんだ。きっと、リナリーの体調が悪いことにも気づいてたんじゃないかな。
だから、レイアちゃんは湖に飛び込んで、イノセンスを探そうとした。それが一番の近道だって思ったんだろうね。
でも、そこは極寒の地で、湖のなかに潜るなんてあまりにも危険なことだった。
リナリーは他の方法を探そうと提案したけど、早くイノセンスを回収したいレイアちゃんは聞かなかった。
それで2人は喧嘩して、押し問答しているうちに、レイアちゃんが誤ってリナリーを湖に突き落としてしまったんだ。
そのきっかけは、リナリーが、自分とレイアちゃんは仲間なんだから、もっと信頼してほしいって伝えたこと。どうしてそれが突き落とすきっかけになるのかって?
レイアちゃんは教団に来る前、ひどい扱いを受けていてね。暗い地下牢に閉じ込められて、毎日暴力や陵辱を受けて……、与えられる食事もろくなものじゃなかった。
そんな生活のなか、彼女は同じように虐げられている子どもたちと励ましあって、支えあって生きていたんだけど、ある日、その子どもたちにとある濡れ衣を着せられてしまったんだ。裏切られたってことだね。
そのせいで、レイアちゃんは人を信頼する心を失ってしまった。仲間を作ることに、怯えてしまうようになった。
だからリナリーがレイアちゃんに言った言葉は、彼女を動揺させるのに十分だったんだ。
レイアちゃんは人と仲間になることをこわがっていたけれど、でも、それは人を大事にしないってことじゃない。彼女は、すごく優しい子なんだよ。
レイアちゃんは湖に落ちたリナリーを、すぐに助けに行った。
寒さに震えながら、気絶しているリナリーを背負って近くの村まで移動しようとしたらしいんだけど、当時の彼女の体力では難しかったから、偶然見つけた古小屋に入ったんだって。
その小屋のなかでリナリーの応急処置をしているうちに、リナリーが発熱してしまった。その頃のレイアちゃんは医学の知識に乏しかったから、それはもう大慌てで、村で待機していたもう1人の探索者に急いで無線ゴーレムで連絡したんだ。
駆けつけた探索者と合流して、村のなかの診療所にリナリーを運ぶあいだ、レイアちゃんはずっとリナリーの手を握っていたんだって。本当に心配していたんだろうね。
幸い、命に別状はないと診断されたけど、リナリーの熱は3日間下がらなかった。
熱にうなされるリナリーを、レイアちゃんは一睡もせずに看病していたんだ。
レイアちゃんが失ってしまった感情を取り戻して、そして2人が仲間になれたのは、3日後、リナリーが目を覚ましたその日の出来事がきっかけだったんだと思う。

○ ○ ○

靄がかかっているみたいに朧げだった意識が、徐々に鮮明になっていくのを感じた。ゆっくりと瞼を上げる。
視界にうつった天井はどこかぼんやりしていて、なかなか焦点が合わない。一度ぎゅっと目を瞑って、少し経ってから、もう一度目を開けた。
さっきより視界がクリアになって、はっきりと見えた天井に、ほっと息をつく。
横を見ると、私が寝ているベッドの傍で、椅子に座るレイアがこくりこくりと船をこいでいた。

「レイア……?」
「はっ」

思わず名前を呼ぶと、浅い眠りだったのかレイアはすぐに目を覚ました。
まだ少し眠そうな顔のままごしごしと目を擦って、彼女の紫色の瞳が私を見る。ばち、と視線が交わった。

「あ、」

驚いたような戸惑うような声をだしたのは、2人同時だったと思う。
空中でさまよわせていた手を自分の膝に置いてぎゅっと握ったレイアを見て、何か大事な話をするのかと直感で理解した。起き上がろうと体に力を入れる。
そんな私にとても焦った様子で「寝たままでいい」と言って、レイアは私の肩を両手で押してゆっくりとベッドに寝かせてくれた。どうしてかドキドキする心臓に内心首を傾げながら、されるがままにベッドに横になる。

「リナリー、ごめん」
「え?」

聞き取れなかったわけじゃない。突然頭を下げたレイアの行動に驚いたんだ。
でも、レイアは何を思ったのか泣きそうな顔をして、より深く頭を下げる。

「本当にごめん、ごめんなさい。私、リナリーにひどいこと、して、……ごめんなさい……」

ようやく、レイアが謝っている理由がわかった。喧嘩して、私が湖に落ちてしまったのを気にしているんだろう。
そんな、私の方こそ悪かったのに。レイアが動転するようなことを言ってしまった、私の方こそ。

「レイア」

名前を呼ぶと、彼女の肩がびくりと震えた。涙をこらえるみたいに閉じられていた目がゆっくりと開いて、揺れる瞳が私をとらえる。

「大丈夫。大丈夫だよ」
「……っ」

音もなく、綺麗な涙がその目から溢れた。

「ご、ごめっな、さ……、わ、私のせいで、リナ、全然熱下がらなくて、」
「へっちゃらだよ。こんなの、ほら、ね? もう治ったでしょう?」
「しん、わたし、死んじゃったら、どうしようって、不安で……」
「死なないよ、こんなことじゃ死なないから」

私の方こそ、ごめんね。そう言うと、声にならない声をあげてレイアが泣いた。じわりと自分の視界が滲むのを感じながら、レイアの方に手を伸ばす。

「ね、レイア、看病してくれて、ありがとう」

途中から、私の声も震えていた。
起き上がって、レイアをぎゅっと抱きしめる。私より少し背が低いレイアが、何故かいっそう小さく感じた。
この小さい体で、どれだけつらいことに耐えてきたんだろう。
あなたの背負っているつらい過去を打ち消すぐらいに、楽しいことも、嬉しいことも、きっとこれからたくさんやってくるよ。
その隣に私がいられたなら、それで私は幸せだ。これ以上ないくらいに。

○ ○ ○

「エクソシストさま! もう体調はよろしいのですか? 何か食べられそうでしたら作らせますが、いかがですか?」

リナリーが眠っていた病室の隣の部屋に、探索者が控えていた。部屋に入ってきたリナリーを見て、安心したような顔で探索者が声をかける。

「ええ、大丈夫です。食べられます」
「それはよかった。すぐ係の者に伝えてきます」

探索者の男に促されて、リナリーはソファに座った。その横に、俯いたままのレイアが腰掛ける。
ぼーっと床を見つめていたと思うと、数秒後には目を閉じてしまった。

「レイア? 眠いの?」

そういえばさっきも椅子で寝そうになっていたな、と思いながら、リナリーはレイアの顔を覗き込む。

「彼女、ずっと寝ずにあなたの看病をしていたんです。我々が代わると言っても聞かずに、ずっとあなたの傍にいました」

疲れがでたのでしょう。いつの間にか部屋に戻っていた探索者が、穏やかな口調でそう言った。
レイアを見つめたまま、リナリーは呟く。

「……そっか」

熱ではっきりしない意識のなか、ずっと誰かが手を握ってくれていたのを覚えている。優しく暖かいその体温に、ひどく安心したことも。
完全に眠ってしまったレイアが、リナリーの肩に寄りかかる。静かに寝息をたてるレイアに寄り添うように頭を傾け、リナリーは口もとを綻ばせた。

○ ○ ○

ぱちぱち。談話室に置かれた大きな暖炉が、静かに音をたてる。
ひと通り話し終えたコムイさんがココアを一口啜り、ほっと息をつくのを見て、僕もカップに口をつける。
少し冷めてしまっているが、舌に残るその甘さがどこか心地よかった。

「それで、イノセンスはどうなったんですか? 無事に回収できたんですか?」

ふと、思いついた疑問を口にする。3日も間を開けて、AKUMAに先をこされなかったのだろうか。

「うん。そのイノセンスは湖のなかだったから、AKUMAも手を出せなかったのかもしれないね。雪でカモフラージュした結界装置も仕掛けてたらしいし。……まあでも、その3日間でイノセンスが奪われなかったのは、かなり運がよかった」

へえ、と相槌を打ちつつ、なくなりかけていたココアを飲み干す。
からになったマグカップをローテーブルの上に置いて、僕は首を傾げた。

「湖のなかのイノセンスをどうやって回収したんですか? まさか潜って……?」
「あはは、ちがうよ」

コムイさんもココアを飲み終わったのか、ことりと小さな音を立ててローテーブルにマグカップを置く。

「水面だけ凍っている状態の湖を、すべて凍らせて、氷にしたんだ。レイアちゃんのイノセンスの第2解放っていろんな応用の仕方があってね、物質を凍らせたりもできるんだよ」
「でもイノセンスがどこにあるかもわからないのに、凍ってしまったら探せなくなるんじゃ……?」
「リナリーが湖に落ちたとき、底に沈んでいるイノセンスを見つけたんだ。位置を覚えていたから、あとはその場所を目がけて氷を掘っていけばいい」

確かに、リナリーの黒い靴なら、かき氷をスプーンで崩すみたいに簡単に底までたどり着けそうだ。
暖炉のおかげで暖かくなってきた室温に眠くなってきたのか、コムイさんはあくびを噛み殺してぐっと伸びをした。
そういえばこの人、いま仕事から逃げている最中なんだった。窓の外を眺めてアンニュイな表情を浮かべるコムイさんになんとも言えない気持ちになる。

「レイアちゃん、その任務から帰ったあと、医学書とかを読み込んでたんだ。リナリーが熱をだしたときに何もできなかったのが悔しかったんだろうね。とにかく知識を得ようといろんな本を読んで、その結果、リーバーくん直々に科学班にスカウトされるぐらい博識になったみたい」

ほほ笑みを浮かべながらそう言ったコムイさんにそうなんですか、と返そうとしたとき、けたたましい音を立てて談話室の扉が開かれた。
びっくりして音のした方に目をやると、鬼の形相のリーバーさんが息を切らして立っていて、その姿を見たコムイさんが「げっ」と顔を歪める。

「見つけましたよ室長!」

サッと顔を青くさせたコムイさんは、何も言わずに猛ダッシュで逃げ出してしまった。それをリーバーさんが追いかけて、「仕事しろおおお」という叫び声と共にドタバタした足音が遠ざかっていく。
嵐のような人たちだなあ。
談話室に設置された時計を確認すると、そろそろ昼食の時間だった。
ローテーブルの上に置かれた2つのマグカップを持って立ち上がり、食堂へと足を向ける。

「でも、いい話が聞けたな」

ゆるゆると口角が上がるのを感じながら、僕は誰にも聞かれないように独りごちた。

○ ○ ○

「っあー、疲れた……」

米国での任務を無事に終えた私とリナリーは、ホームへ帰還するべく船に揺られていた。
地下水路から入る必要があるため、帰り道は船旅になることが多い。昔は船独特の揺れ方が気持ち悪くてよく船酔いしていたが、何回も乗っているうちに慣れてしまった。
とはいえ、列車と船を乗り継ぐ長い帰路に疲弊しきった身体はひどく重く、とにかく早く帰りたい。
甲板に出てぐーっと伸びをし、肩をまわしていると、リナリーが傍に寄って労ってくれた。

「お疲れ様。しばらく科学班の仕事は休んだ方がいいんじゃない?」
「んー、そうしたいのは山々なんだけどねえ」

苦笑いでこたえると、リナリーは楽しそうにくすくすと笑う。天使かな?
その笑顔をガン見していると、リナリーがおもむろに私の手をとった。

「なに、どうしたの?」
「懐かしいなって思って」
「懐かしい?」

首を傾げて尋ねると、リナリーは緩く微笑んだまま頷く。私の左手をリナリーの両手が優しく包んで、彼女の暖かい体温が、冷えた指先にじわりじわりと熱を与えてくれる。
真冬の海の上はすごく寒くて、吹き抜けていく冷たい風に小さく身震いすると、いつか見た湖が脳裏をよぎった。
ようやくリナリーの言った「懐かしい」の意味がわかって、思わずふきだしてしまう。
あの任務の帰りも船に乗って、甲板でリナリーと話をしてたんだっけ。
思い出を手繰り寄せるように、私はそっと目を閉じた。

『レイア、本部に帰ったら、一緒にただいまを言いましょう! きっとみんな驚くわ』
『ただいま?』
『そう。誰かが本部に帰ってきたときは、おかえりって言うの』
『どうして?』
『だって、本部は私たちの"ホーム"だから』
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