状況を整理しよう。
場所は、岩鳶高校、水泳部部室の隣の倉庫。
窓がないにも関わらず、未だに豆電球しか明かりがないここは、ひどく薄暗い。
何かに躓いてしまった右足と、その際にこけて打った腰がささやかに痛みを主張している。
背中には、固くて冷たい床の感触。
どこからともなく漂う埃のにおい。
すぐ傍で派手に倒れている何かの機具から、ゆっくり視線を前に向ける。薄暗い視界のなかに、さほど高くない倉庫の天井。
そして、私と同じく水泳部のマネージャーである先輩の顔が、すぐそこにあった。
状況を、整理しよう。
確か、そうだ。練習に必要な道具を取りに先輩と一緒に倉庫に入ったら、思ったより暗くて足元がよく見えなくて。
私は、先輩を巻き込んで転んでしまったのだ。
しかもこんな、まるで押し倒されているかのような体勢で!
これなんてギャルゲー?もしくは、乙ゲー?いやでも先輩は女だし、やっぱりギャルゲー?
とか、くだらないことを考えて現実逃避をしようとする自分の頭を思いっきり殴りたくなった。
私の顔の両横に手をつく先輩はぱちくりと目を丸くしていて、閉じられたその口からは完全な沈黙が生まれていた。
実際は数十秒もないだろう。けれど私には何分にも感じる、長い沈黙。

「コウ、ちゃん」

やがて先輩が、困ったみたいな声で私の名前を呼んだ。
どんどん赤くなっていく顔を隠そうと、私は横を向く。こんなことをしたって、顔を隠せるなんて思ってないけど。
ごくりと、固唾を呑む音が聞こえた。先輩が喉を鳴らしたのだ。
いっそ白状しよう。私と先輩は、そ、そういう関係だ。一緒に夜を過ごしたこともある。
だからこそ、これがひどくまずい状況だとよくわかる。

「……先輩」

おそるおそる、呼んでみた。ちらりと顔を伺う。
ぎゅっと眉を寄せて口を引き結んで、つらそうな表情をしたあとに、彼女はどこか自虐的に笑った。

「これ、なんてエロゲ?」
「えろ……っ、な、何考えてるんですか先輩!」

少し熱っぽい目を私に向けた先輩は、床についていた手の片方を私の頬にあてて、撫でた。なまめかしい動きに肩がびくりと震える。

「何考えてるのって?」

そう言って、彼女は首を傾げる。私よりもずっと大人びているはずのその仕草は、何故かとても幼く見えた。

「コウちゃんも、同じこと考えてたくせに」

耳元でくすくすと笑われる。とてもくすぐったくて否定したくて、でも先輩との夜が頭を過ぎったのも事実で、もう、恥ずかしくてたまらない。
ぎゅっと目を瞑る。真っ赤になっているであろう顔を隠したくて、腕で覆った。
その腕を、先輩の手がそっと撫でる。

「顔、隠さないでよ」

そのまま、私の腕がどけられる。力が入らないそれはぱたりと床に落ちた。
ゆっくりと目を開くと、先輩は唇が触れそうなほど近くまで顔を寄せていて、そして優しく微笑んだ。
暗闇に慣れてしまった目は、先輩の上気した頬とか、欲を持った目とか、色っぽい舌なめずりとか、そんな情報をはっきりと伝えてくる。
まったく迷惑だ。それだけで、こんなにどきどきしてしまう。

「ね、コウちゃん」

視線が絡む。
内緒話をするかのような吐息混じりの声音で、先輩は言った。

「コウちゃんが考えてたこと、いま、ここでしてあげようか?」

なんで上から目線なの、そんなこと考えてない、まだ部活中なのに、なんでこんな場所で。
いろんな言葉が浮かんだけど、きゅんと疼いてしまった体に、私の口は「はい」と動いて、しまった。
それを見た先輩が、私の唇に噛みつこうとしたそのとき──

「江ちゃんたちー、遅いよーどうしたの〜?」

外から聞こえてきた渚くんの声。遙先輩たちの声もする。
どうやら、いつまでも戻らない私たちの様子を見に来たらしい。
すっと先輩が立ち上がったのと同時に倉庫のドアが開いて、渚くんが顔を覗かせた。

「もー、遅いよ。何してるの?」

ぷくりと頬を膨らませた渚くんは、次いで暗い倉庫のなかを見ようと目を細める。

「ごめん、ちょっと暗くてさ、転んで機材倒れてきて大変だった」
「え、大丈夫!?怪我とかしてない?」
「うん、平気」

入り口付近で会話する先輩と渚くんをぼんやり見つつ、私も立ち上がった。ジャージを払って埃を落とす。
当初の目的であった器具を持った先輩が渚くんを先に行かせて、私に近づいた。なんですか、と私も先輩を見る。

「さっきのは、放課後までおあずけね」

続きはまたあとでと言って、先輩は颯爽とプールの方へ帰って行った。
彼女の背中を見送り、私はその場にしゃがみこむ。
赤くなってしまった顔は、一向になおる気配を見せない。

それは甘いおあずけ



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