ワイシャツを通過して背中に刺さる視線に、後ろを振り向いた。
キョロキョロ見回しても、私の後ろにあるのは体育倉庫と、その奥に広がるグラウンドだけ。
最近、アイドルかよとつっこみたくなるほど人気らしい野球部が、暑いなか部活に勤しんでいる。
どうでもいいけど、野球のあのユニフォームってすごい暑そうだよね。洗濯大変そうだよね。とか思いながらその光景を数秒眺め、くるりと前を向いて足を進めた。
どうやらさっきの視線は気のせいだったらしい。自意識過剰になっていたみたいで、なんか恥ずかしいな。
ぐっと背伸びをして首をまわす。最近運動不足のせいか、ひどく肩がこっているのだ。
いや、カバンが重いのも原因かもしれない。
もうすぐテスト期間に入るので、普段はロッカーに押し込めている教科書を持って帰っているわけだが、これが本当に重い。
野球部の人たちは部活もあるのに、さらに勉強もやらなければならないのだから、大変だろうなあ。
ぼんやりとそう考えていると、背後からカキーンと気持ちのいい音がしたと同時に、野太い歓声が上がった。
なんとなく、もう一度グラウンドの方を振り返ってみる。そうしたら高いフェンスの向こうから、こちらをじっと見ている野球部員くんと目が合った。
おお、ちょっとビビった。
足を止めて、彼を見る。快活そうな雰囲気の、何年生だろう。3年はたぶんないかな。2年か1年か……、見たことないし、1年生かな。
もしかして、さっきの視線も彼だろうか。私に何か用でもあるのか。
茹だるような暑さのなか、さらに熱い視線を送ってくる彼を視界に入れたまま動けずにいると、突然彼が殴られた。
攻撃を受けた後頭部を手で押さえて何かを叫ぶ彼の後ろから、別の野球部員くんが姿を現す。
あ、あっちは知ってる。同じ学年の、確か、ミユキくんだ。
ミユキくんは、たぶん後輩なのであろう野球部員くんをもう一度小突いて、彼の襟を掴んで引きずって行こうとしている。
しかし後輩くんがかなり抵抗して、2人はぎゃーぎゃーと喧嘩しだしてしまった。ここからじゃ何を言ってるのかまでは聞き取れないけど、ミユキくんが後輩くんに全然慕われてないことだけはわかった。
すると突然、後輩くんが私を指さす。こら、人を指さすな。
もしかしたら私の後ろにあるものを指さしたのかもしれないと思って、一応確認してみたが、私の背後には特に何もなかった。
視線をフェンスの奥にいる2人に戻す。ちらちらと私の方を見ながらミユキくんに何かをうったえている後輩くんには悪いけれど、私には一刻も早くエアコンの効いた涼しい部屋に帰るという重要な任務があるのだ。
肩からずり落ちそうになっていたカバンを背負いなおし、アデューと心のなかで呟いてから彼らに背を向けて歩き出した。
ていうか君たち、早く練習に戻りなよ。
ざりざりと音を立てて砂利っぽい道を歩いていると、後ろから焦ったような声が聞こえた。
それとほぼ同時に、砂利を踏む音。走ってこちらに近づいてくるその気配に、私はちらりと肩越しに後ろを見てみた。
少しだけ息を切らしてそこにいたのは、やはりというか、さっきの後輩くんだった。

「あのーっ!えっと、そこの2年生のお姉さん!」

そこまで距離離れてないんだから、そんなに大声出さなくても聞こえるよ。というか2年生のお姉さんってなんだ。先輩とかでよくないか。
いろいろ思うところはあったが、とにかく私に用があるみたいなので、足を動かして振り返り、彼と向き合う。

「なに?」

視界の端に、フェンスの向こうで何故かニヤニヤと笑っているミユキくんが映った。なんかムカつくな、あの笑顔。

「お姉さんっ!」
「お姉さんって……」

すごく真剣な顔で「お姉さん」なんて呼ばれてしまった。なんだか複雑な気分だ。ひとつしか変わらないでしょ、歳。

「普通に先輩とか呼んでくれたらいいよ」
「お名前は!?」
「話聞けよ……」

仕方がないので名乗ったところ、どこか感慨深げに二度ほど私の名前を復唱された。
そんな噛み締めるように自分の名前を呼ばれると、ちょっと恥ずかしいんですが……。

「素敵なお名前ですね!」
「あ、ありがとう……」

めちゃくちゃいい笑顔を向けられてしまった。なんだろうこの1年生くん。犬っぽい。

「えーっとそれで、何か用があるんじゃ……」

我ながらものすごく辟易した声が出てしまう。後輩くんはぴしりと姿勢を正し、元気よく口を開いた。

「俺、沢村栄純っていいます!青道野球部のエースになります!」
「え、そう、なんだ」

じっ、と。何かを期待するかのような目で私を見る後輩くん……沢村くんに、何か言った方がいいのかなと必死に言葉を探す。
しかし、語彙力の乏しい私には気の利いたセリフなんて思い浮かばない。

「えっと、がんばれ?」

結局、疑問符がついてしまった上にありきたりな言葉しか出てこなかった。ごめんよ沢村くん。
本当にボキャブラリー少ないな私……。情けなく感じながら沢村くんの顔を伺うと、彼は大きな目をキラキラと輝かせながら私を見ていた。
やっぱり犬っぽい。

「ありがとうございます!俺頑張ります!」
「ん?うん、え?」

がばりと頭を下げたかと思うと、沢村くんはダッシュで駆けてミユキくんの待つグラウンドに帰ってしまった。
なんだ。一体なんだったんだ。
ポカンと間抜けな顔をしたまま首を傾げるしかない私は、練習に戻った沢村くんが、ミユキくんに盛大な冷やかしを受けていることを知らない。
そして、彼の視線の意味に気づくのは、もっともっと後の話である。

それは甘い想い



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