届かない。
本棚に片手をついて、これでもかというほど体をくっつけて思いっきり背伸びをしてみても、一番上の段に鎮座しているあの本には手が届かない。あとたった3センチぐらいなのに。
別に私は背が低いわけではない。むしろ女にしては高い方だ。
椅子とか、何か台になるものを持ってくればすぐに取れるのだろうけれど、自他ともに認める負けず嫌いの私は、意地でも自力で取ってみせると意気込み、標的である本を睨みつけた。
ジャンプしてみたり少しだけ本棚をがたがた揺らしてみたりと、はたから見ればさぞかし滑稽な姿だろう。しかし当の私は至って真面目である。
というか、何度も言うが私はそれなりに背が高いのだ。なのに届かないなんて、この本棚ちょっと高すぎるだろう。設計した人は何を考えていたんだ。
何分たったか、さすがに諦めてしまおうかと思えてきた頃。
突然背後から誰かが手を伸ばして、ずっと私が手にしたかったその本を取った。
ゆったりした袖に白い腕。少しだけ覗く赤い糸。
次いで後ろから聞こえた呆れたようなため息に、私は弾かれたように振り向いた。

「あなた、さっきから何をしているんですか」

白い髪、白い肌、対照的に黒い瞳。
緑色の装丁をした分厚い本を片手に背後に立っていたのは、ここ、シンドリア王国の政務官であるジャーファルさんだ。

「えっと、本を、取ろうと」
「台でもなんでも使えばいいでしょう。みっともない」
「すみません……」

2回目のため息のあと、すっと目の前に例の本が差し出される。表紙にはこの国の絵と、「よくわかるシンドリア王国」の文字。
そのタイトルを見て、ジャーファルさんは「勤勉なのはいいですが、」と不機嫌そうな声を出した。
本を受け取ろうと上げかけた手を慌てて引っ込める。

「本くらい、普通に取りなさい。無理をして怪我でもしたらどうするんです」
「……すみません」

怒っているのだろうジャーファルさんの顔が見られなくて、俯いた。お母さんに叱られる子どもって、こんな気持ちなんだろうか。
幼い頃に親に捨てられた私にとって、彼はお母さんのような存在だった。性別的にはお父さんの方がいいかもしれないけど、なんとなく、ジャーファルさんはお母さんって感じがする。

「あなたに怪我をされると困るんです」

その言葉の意味がよくわからなくて思わず視線を上げそうになったが、よくわかるシンドリア王国が催促するように軽く振られたので、俯いたままおずおずと両手で受け取った。
そこでようやく顔を上げてジャーファルさんを見ると、思いのほか穏やかな表情をしていて肩の力が抜ける。
なんだ、怒っていたわけじゃないのか。

「次からは無理しないでくださいね」
「はい」

彼なりに、心配してくれていたのかもしれない。
お礼を言おうと、私と同じくらいの高さにある彼の目を見て、ふと考える。
私とジャーファルさんの身長差は確か3センチだ。しかも彼は私の後ろから腕を伸ばして本を取ったのだから、相当背伸びをしたのではないだろうか。

「……ジャーファルさん、よく取れましたね」
「は?」
「この本。私とジャーファルさんって、そんなに身長変わらないじゃないですか」

そこまで言って、口元が引きつった。ジャーファルさんがものすごい黒い何かを背後に纏っていたのだ。
もしかして、これが噂の黒いルフか。いやたぶん違う。

「そんなに変わらない?変わりますよ。私の方が高いでしょう。3センチぐらい」
「いや、でも、その、3センチなんてたいして変わらな」

どん。と音がして、背中に衝撃がはしる。
肩を押されて後ろの本棚にぶつかり、私の両横にジャーファルさんが手をついた。
どこか虚ろな目をしたジャーファルさんは、普段からは想像できないほど低い声で私の名前を呼ぶ。
思わず背筋がぴんと伸びた。ああ、この人を怒らせたらただじゃすまないのは、よく知っているはずなのに。
数分前の自分をぶん殴ってやりたい。

「さっき、その3センチに悪戦苦闘していたのは、どこの誰ですか?」

わたしです、と声をだすよりも早く、口がふさがった。
至近距離で揺れるジャーファルさんの髪に、やっぱり3センチなんてたいした距離でもないじゃないかと、心のなかで悪態をついた。

それは甘い距離



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