幽霊とか妖怪とか、そういう奴らにはけっこう慣れてきたと思っていた。
驚かされたり追われたり喰われそうになったり、ときには本気で死にそうになったこともあったけれど、それでも、その存在にはもう随分適応できているんじゃないだろうかと、そう思っていた。
ほんの数十秒前までは、本気でそう思っていた。
間違いなく人間によるものではない、独特の荘厳な雰囲気。肌を吹き抜けていく風は異様に冷たくて、背筋がぞくりと震えた。
赤い紅葉がきれいだと塔子さんが教えてくれて、ニャンコ先生と訪れた山の中。
ふと見かけた神社の、その鳥居の向こうに彼女は立っていた。
枯葉を伴う風が巻き上がる。紅葉がひとつ、またひとつと落ち葉に変わっていく。
ニャンコ先生がおれの肩に飛び乗った。いつもなら重いと文句を言うところだけど、いまは、それさえできなかった。

「……ほう、珍しいな。半妖か」
「半、妖」

おれは、ただ見とれていた。
風に舞う枯葉と同じように揺れる髪。遠くをじっと見つめる彼女の頬を涙が伝って、落ちる。
それがとてもきれいで、息を呑んだ。
鼓動が少しずつ速足になるのを感じる。どくんどくんと、心臓がもっと、もっと速くと急かして、頭がくらくらする。
気づいたときには足を進めて、声を出していた。

「何、してるんだ?」

ニャンコ先生が「また妖に関わりおって」とぶつぶつ言っているが、とりあえず無視して改めて彼女を見る。
頬を濡らしたまま無表情にこちらを見ているその目は、淡い翠色だった。
ぼんやりとおれを見たまま黙っている彼女に、焦って言葉を紡ぐ。もう少しコミュニケーションスキルが高ければいいのにと、自分の口下手をひたすら恨んだ。

「その、泣いているみたいだったから。どうしたんだろうと思って」
「……」
「喋れんのか貴様。何か言え」
「先生!」

黙ったままの彼女に、ニャンコ先生がものすごく失礼な言い方で悪態をついた。慌てて先生の口を手で塞く。
そんなおれたちを無表情を崩すことなく見ていた彼女は、自分の頭の上に落ちてきた紅葉を手に取って、ゆっくりと口を開いた。

「紅葉が、きれいだから、」

淡々とした口調で言葉を紡ぐその声はどこか悲しげで、思わずおれは翠色の瞳を見つめる。淡くも深いその色は、とてもきれいだ。

「見に来た。……けど」

逆接の接続詞を呟くと同時に彼女は少し俯いて、地面に散らばる落ち葉にぼんやりと視線を向けた。
彼女が目を閉じると、音もなくまた涙が流れる。

「一人は、寂しくて、悲しかった」

苦しげな表情を浮かべてそう語る彼女は、半妖という、人でも妖でもない曖昧な存在のために、きっと今までたくさんつらい思いをしてきたのだろう。

「私は、ひとりだ。ひとりぼっちだ」

俯いたまま、消え入りそうな声でそう言う彼女に向かって、ゆっくり足を踏み出した。一歩、また一歩と進むたびに地面の落ち葉ががさりと音を立てる。
彼女は目元に浮かぶ涙もそのままに顔を上げた。眉を下げて泣いているその姿が、昔の自分と重なって見えた。
そうだ。彼女は、おれと同じだ。
まわりと違って、まわりから避けられて、ひとりぼっちで、寂しくて悲しくて。そう言って泣いていたおれと同じなんだ。

「なら、おれと一緒に紅葉を見よう」

いつの間にか肩から降りていたニャンコ先生が、驚愕したように目を丸くしたのが視界の端に見えた。
正面には、同じように目を丸くしておれを見る半妖の少女。

「おれもひとりだった。妖が見えるせいで、ずっとひとりだった」

濡れた翠色が、ゆらゆらと揺れている。
鼓動が高鳴っていくのを感じながら、彼女の目を見つめ返した。

「でも、いまは違う。友達がいて、家族がいて、頼りにならない用心棒がいて、楽しいんだ」

下からニャンコ先生の猛抗議が聞こえるけど、おれは目の前の彼女から視線を逸らせない。
白い頬を濡らし続けていた涙は、いつの間にか止まったみたいだ。

「人との、妖との出会いも悪くないって。最近やっと、それに気づけたんだ」

だから、と付け足して、おれは右手を差し出す。その手とおれの顔を交互に見て、不思議そうに首を傾げた彼女は、静かに言葉の続きを待っていた。
冷たい風が、ざあ、と木々を揺らす。
落ち葉を緩く巻き上げて通り抜けていったそれが止んで、凪いだような静けさが訪れた。
深く息を吸い込み、おれは意を決して口を開く。

「おれと、友人になってください」

ああ、心臓の音がひどくうるさい。でもそれは、決して不快なものではなかった。
今まで感じたことのないその感覚がくすぐったくて、思わず頬が緩む。
そんなおれを見て、彼女も笑った。
差し出したおれの右手に重ねられた彼女の手に、また鼓動がその速度を上げた、気がした。

それは甘い高鳴り



- ナノ -