「は? 世長が風邪?」

同じクォーツ生の後輩である立花から聞かされた言葉を復唱すると、こくりと頷いてソイツは詳しい説明をしてくれた。

「創ちゃんは稽古に参加したがってたんですけど、熱が出ちゃったみたいで、江西先生にも寝てろって言われたから、今日は休むらしいです」
「あー……、まあ、それなら仕方ねえか」

早くよくなるといいな、と呟いて、今日ここにいない後輩の顔を思い浮かべる。
真面目で謙虚なアイツのことだ。風邪が治って稽古に復帰した途端に各所に謝ってまわろうとするだろうな。
申し訳なさそうに頭を下げる世長の姿がありありと想像できて、少しだけ気分が下がった。
いつもどこか自信なさげにしている世長は、確かに実力はあるはずなのに、なかなかそれを開花できずにいるように見える。
だが、人一倍努力家だし、何よりこのユニヴェールに入学したぐらいなのだから、演技や歌唱、ダンスの才能がないなんてことはないはずだ。
実際、新人公演、夏公演とつづいて役をもらっているし、 組長である根地先輩にも認められているんだろう。
常に周りを気にして、いつもビクビクしてる世長を思い出して、なんとも言えない気持ちが湧き上がった。
綺麗な顔してんだから、もっと笑えばいいのに。
稽古場で初めて世長を見たときから、俺はずっとそう思っている。



目の前のドアをノックしようと上げた手。それがドアに触れることはなく、落ち着きなくふらふらと揺れて、結局何も音を鳴らすこともないままジャージのポケットに逆戻りする。
世長の部屋の前まで来たのはいいが、普段特に会話をするわけでもない、俺みたいなモブ先輩が見舞いに来たところで迷惑なんじゃないかと考えて、なかなかドアをノックすることができずにいた。
いっその事、このまま帰ろうか。当たり前だが微動だにしないドアを恨めしげに睨みつけながらそう思ったとき、ガチャリと音が鳴って遠慮がちにドアが開かれた。
もちろん、俺が開けたのではない。なかにいる奴が開けたのだ。部屋のなかにいるのはもちろん、世長しかいないわけで。

「あれ、先輩?」

ドアを開けた途端間抜け面の俺が立っているものだから、世長はひどく驚いたような顔をして、動きを止めた。
まさか世長が出てくるなんて考えていなかったので、頭のなかが真っ白だ。やべ、何か言わないと。

「あ、あー、その、世長が風邪ひいたって立花から聞いたからさ、その、様子を見に、というか。見舞いというか……」

しどろもどろな俺を見つめながら訝しげに首を傾げていた世長が、申し訳なさそうに眉を下げる。
よく見たら顔が赤いし、少しだけ息が荒いし、汗もかいているようだ。まだ体調がよくないのだろうか。

「すみません、わざわざ……」
「わざわざじゃねえよ」

あまりにも申し訳なさげに謝られて、思わず強めの口調で返事をしてしまった。ぽかんとする世長から目を逸らし、努めて優しい声音を引っ張り出す。

「会いたくて来てんだからさ。そんな謝んなよ」

世長の視線が俺の顔に向けられているのを感じて、いま世長を見たら間違いなく目が合うと思った俺は、頭をガシガシと掻いて右手に持っていた袋を差し出した。
世長の目がそちらに向いたのを確認してから、口を開く。照れからか、どうしてもぶっきらぼうな喋り方になってしまう。

「これ、食堂のオムライス、作ってもらったから」
「あ……、」
「って、悪い。部屋から出てきたってことは、どこか行こうとしてたんだよな。タイミング悪いな俺……」

言いながら袋を持った手を引っ込めようとしたら、世長が両手で俺のその手を掴んだ。びっくりして変な声が出そうになるのをギリギリのところで耐える。

「よ、世長?」
「お腹がすいたから、何か買いに行こうと思ってたんです。だから、助かります」

ぱっ、と顔を上げた世長は、笑顔だった。
ああ本当に、綺麗に笑うやつだ、なんて思って、その笑顔を引き出したのが立花でも織巻でもなく、俺だというのが、すごく嬉しくて、ぶわっと鳥肌が立つような感覚が身体を駆け登る。

「オムライス、好きなんです。本当に嬉しい……、ありがとうございます」
「あー、そう、そうか。それならよかった」

世長がオムライスが好きだというのは立花から聞いていたのだが、ここまで喜んでもらえると俺も嬉しくなってくる。
けど、体調がよくない世長と長話するのも悪いだろ。そろそろ帰ろう。

「じゃあ、俺帰るわ。早く風邪治せよ。待ってるからな」
「はい。あ、先輩」

背中を向けかけた俺に世長が声をかけて、改めて向き直る。
俺より少し低い位置にあるその目を見つめていると、世長はどこか言いづらそうに口をもごもごさせて、それからやっと話し出した。

「今度、ダンスの稽古をつけてくれませんか」
「えっ」
「夏公演のダンス、上手くできなくて……」
「えっと、」

予想だにしていなかったその言葉に瞠目する俺を不思議そうに見上げてくる世長は、どういう気持ちで喋ってるんだろうか。

「いやその、そういうのって、フミ先輩とかに頼んだ方がいいんじゃねえか?」
「でも、先輩いつも振り付け覚えるのはやいし、普段の立ち居振る舞いも綺麗で、ダンスだって、すごく上手いですよね」

突然のお褒めラッシュに脳の処理が追いつかない。え、なに、世長、そんなに俺のこと見てたの? いやそれは自意識過剰が過ぎるか。でもフミ先輩じゃなくて俺を頼ってくれるのすげえ嬉しい。

「それに、」

と言葉を紡ぐ世長に、まだあんの!? という思いで目の前のその綺麗な顔に目をやる。
世長は赤みを帯びた顔で、少しだけ首を傾げながら微笑んだ。

「先輩ともっと話してみたいって、思ってたんです」

いや破壊力が半端ねえわ。顔のいい男の微笑み、マジでとんでもねえわ。これ絶対無自覚だからなおさらタチが悪いというかなんというか。
とかなんとか考えているうちに数秒の沈黙が生まれてしまい、不安になったのか世長が潤んだ瞳で上目に見つめてきて、もうダメだった。

「お、俺でよければ……」

絞り出したその言葉にぱあっと顔を綻ばせて、世長は「約束ですよ」と呟く。声に力がなくなってきたな。そろそろ本当にお暇した方がよさそうだ。

「とりあえず今日はそれ食ったらもう安静にしてろよ。何かあったら連絡してくれていいから」
「ありがとうございます」
「ん。それじゃ」

赤くなっているだろう顔を見られるのが恥ずかしいので、そそくさと背を向けて歩き出す。
後ろでドアが閉まる音がして、やっと俺は息を吐き出した。
世長を元気づけるつもりが、何故か俺の方が自信をつけてもらった気がする。
普段から周りをよく見ている世長にあれだけ褒められたというのは、すごく嬉しいし、力になる。
行きしとは違って、俺の足取りはとても軽やかだった。明日の稽古もがんばれそうだ。

それは甘い自信



- ナノ -