有碍書の潜書に行っていた小林先生が、喪失状態で帰還した。
彼と一緒に潜書していた志賀先生からその知らせを受け、私は司書室を飛び出して補修室へと向かう。
小林先生が喪失になるのは、転生してすぐの頃に一度、まだ侵蝕者との戦いに慣れていなかった故に大怪我を負ったとき以来だ。

『生まれたときから自由と共にあるアンタには、到底わからないだろうな』

補修室のベッドで身を起こし、ひどく冷たい目で私を見据える小林先生の姿を思い出す。
見ていて痛々しいほど傷だらけの身体。何もかも信じられないとでもいうような暗い瞳。
そして彼が発したその言葉は、明らかな拒絶を孕んでいた。
喪失になった文豪は精神的に脆くなる傾向があり、彼は元から精神状態が不安定なのも相まって、きっと身体だけでなく心もボロボロだったのだろうと思う。
でも、普段の小林先生はとても優しい人だ。
今回喪失になってしまったのも、足を負傷して動けない徳田先生を庇い、敵の攻撃を受けたのが原因だと聞いている。
彼は優しくて強いから、私が心配する必要なんてないのかもしれない。
だけど、……。
考えている間に補修室の前までたどり着き、息を整えるように深呼吸してからドアを開けた。
ベッドを囲うように立てられているパーテーションの前で、バインダーの上の用紙に視線を落としている森先生が目に入り、急いで、かつ静かに歩み寄って声をかける。

「森先生、小林先生は……」
「ああ、君か。処置は無事に終わった。いまは眠っている」
「あの、様子を見ても?」
「構わない。俺は少し外すが、騒がないように」

そう言う森先生に頷いてから、囲いのなかにそろりと身を入れた。
ベッドの上で規則的な寝息を立てる小林先生を見て、少しだけ自分の気が緩んだのを感じる。
ベッド脇の椅子に腰掛け、胸に手を当てて安堵の息をはく。志賀先生の知らせを受けてからずっと、心配で仕方がなかった。本当に、無事でよかった。

「ん……、」

そのとき、小林先生が小さく声を漏らして、次いでゆっくりと目を開いた。
ぼんやりと天井を見つめていたかと思うと、彼は徐にこちらに顔を向け、「司書サン」と、存外元気そうな声で呟く。

「お見舞いに来てくれたの?」

そう言いながら身体を起こそうとした小林先生が、少しだけ顔を歪めた。ゆっくりとベッドに逆戻りして、申し訳なさそうに眉を下げる。

「傷、痛みますか?」
「……うん。せっかく来てくれたのにこんな格好で、ごめん」

目を伏せて謝罪する小林先生に、慌てて首を横に振る。
そんな私をまじまじと見て、彼はふっと破顔した。
最近よく見せてくれるようになったその笑顔が、何故かとても儚く感じて、なんとも言えない寂寥感が胸を占める。

「心配、しました」

思わず口からこぼれた言葉はか細く、震えていた。
それでも彼にはちゃんと届いたようで、一瞬目を丸くしたあと、ふわりと笑って口を開く。

「ありがとう」
「……お礼、なんて」

小林先生は、優しい人だ。
でも、その優しさを不安に思うことがある。
優しさのあまり、彼は自分を蔑ろにしているのではないだろうかと、そう思うことが多々ある。
小林先生だって、人間だ。
優しくて強い人。確かにそうだけれど、その前に、彼はただの人間なんだ。
おはぎを食べるのが大好きで、師のような存在である志賀先生と話すときは緊張したりして、泣いたり笑ったり怒ったり、もちろん呼吸だってする。
傷を受ければ痛みを感じ、血が流れる。
心配するなという方が無理なのだ。

「司書サン、」

柔らかい声が降ってきて、無意識に俯いていた顔を上げた。
ベッドに横たわる小林先生がこちらに腕を伸ばして、膝の上でぎゅっと握りしめていた私の手に触れる。

「心配かけたな」
「はい、」
「もう無茶はしないから」
「……はい」
「だから、そんな顔しないで」

次の瞬間には、小林先生はまた眠りについていた。
手に触れる暖かさが、彼が生きていることを教えてくれる。それにただ安心して、私は細く吐息を落とした。

それは甘い呼吸



- ナノ -