※主人公=男賢者


東の国での依頼を無事に終えて魔法舎に帰ってきたのは、もう少しで日付が変わるような時間だった。
依頼の内容がハードなものだったので、東の魔法使いに加えて北の魔法使いたちにも同行してもらったのだが、なんというか、いつにも増して空気がギスギスしていて、身体的にも精神的にもへとへとに疲れきってしまった。
ネロのお菓子を食べ損ねて機嫌の悪いオーエン、連日の寝不足でイライラしているミスラ、灼熱の地に飛ばされたばかりで気がたっているブラッドリー。とにかく、みんな不機嫌だったのだ。
お世辞にも素行がいいとは言えない三人組と、普段から彼らと反りが合わない様子の東の魔法使いが一緒に任務。さらにお目付け役のスノウとホワイトが不在と来れば、何も起きないはずがなく……。
ずっと爆弾を抱えながら過ごしている気分で、魔法舎に着いた途端、膝から崩れ落ちそうになったのをすんでのところで耐えたことはしばらく武勇伝にできそうだ。しないけど。
任務に同行してくれた魔法使いたちにお礼を言ってから、自分の部屋に向かう。
しかし、ふとお腹がすいていることに気づいて、引きずるように動かしていた足を止めた。
そういえば、今日はトラブル続きでゆっくり食事もできなかったんだっけ。
ああでも、こんな時間から何か食べるなんてそんな背徳的なこと、やっぱりやめよう。明日の朝まで我慢だ。
そのとき、きゅるる、とお腹が情けない音で鳴いた。
一度空腹を感じてしまうと、人はダメになってしまうようだ。気づけばキッチンに足を踏み入れていた。
勝手に道具や食材を使うのは気が引けたが、空腹には勝てない。明日ネロに白状して謝ろう……。
おじやを作って、鍋から器によそい、少し冷ましてから頬張る。
ほんのりと塩味を感じるご飯が、卵のまろやかさと合わさって、我ながらすごく美味しく作れた。からっぽだった胃があたたかいおじやで満たされていく。
少々の罪悪感と、それをはるかに上回るほどの高揚感が胸を占めて、なんとも言えない気持ちになった。
元の世界でも、深夜にカップラーメンを食べたりすると同じ気持ちになったっけな。

「誰かいるのか?」

突然背後から聞こえた声に、ワヒャアッととてつもない奇声をあげてしまった。
バクバク暴れ回る心臓もそのままに慌てて振り向くと、青みがかった黒髪が目に入る。前髪から覗く赤目をぱちくりと瞬かせて俺を見ているのは、寝間着に身を包んだシノだった。

「賢者か。こんな時間に何してる」
「あー……、小腹がすいて、その……夜食を……」

なんとなく、悪いことをしているのがバレたような心地で、まっすぐ見つめてくるシノから視線を逸らす。
シノは俺が食べているものが気になるのか、大股で近づいて鍋のなかを覗き込んだ。

「これは……」
「おじやです。シノ、食べたことありませんか?」

シノが鍋を凝視したまま無言で頷いて、もしかすると彼もお腹がすいているのかもしれないと思った俺は、器をもう1つ用意しておじやをよそう。

「よかったら、シノも食べますか?」

レンゲと一緒に差し出すと、赤い目がぱあっと輝いた。どうやら空腹に耐えかねていたのは俺だけではなかったようだ。

「ん。うまい」

熱いだろうに、レンゲいっぱいにおじやを掬ってぱくぱくと食べ進めるシノは、どこか嬉しそうに頬を緩ませる。
夜食の共犯者ができて嬉しいという言葉をなんとかのみこんで、俺もおじやを口に運んだ。

「賢者、手を出せ」

やがて綺麗におじやを完食し、洗い物も手伝ってくれたシノが俺にそう言った。差し出した俺の両手に手のひらをかざして、深呼吸。
目を閉じ、息を吸い込んで、彼が静かに呪文を呟くと、パキ、パキ、と小さな音をたてながら白いキューブ状のものが形成されていく。
できあがったそれが俺の手の上にころんと落ちて、シノが目を開けて腕を下げた。

「シュガー……?」

真っ白な立方体を指で摘んで、目の前に掲げる。満足気に笑みを浮かべるシノの顔がシュガー越しに見えた。

「おじやの礼だ。ごちそうさま」

最後に恭しくお辞儀をしてから、シノはキッチンから出ていった。それにしてもいまのお辞儀、すごく様になってたな……。アーサーか誰かに教わったんだろうか。
シノの背中を見送って、仄かに甘い香りを放つシュガーに目をやる。
この前授業を見学したときに作っていたものと比べて、それはかなり綺麗な形をしていた。
まじまじと色んな角度から見つめていると、食べてしまうのがもったいない気がしてくる。けれど、シノが俺のために作ってくれたシュガーを食べないというのは、その方がずっともったいない。
いただきます、と呟いてから、宝石のように美しいシュガーを舌に乗せた。
途端、優しい甘さが疲労を溶かすように全身を巡る。甘すぎない、ちょうどいい微糖に調整されたそれに、頬が緩むのを感じた。
シノには今度、お礼にレモンパイを作って渡そう。喜んでくれるだろうか。

それは甘い糖分



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