耳元で折原さんの声がする。
こうやって目を閉じていれば、声だけは確かにかっこいいかもしれない。
悪すぎる性格も取ってつけたような笑顔もまったく魅力を感じないけれど、声、だけなら。
普段の意地の悪い喋り方や腹の立つ笑い方のせいで気づかなかったが、彼はこんなに心地のよい声をしていたのか。
この声の持ち主がもっと性格のいい好青年だったらよかったのに。本当に残念だ。

「ね、聞いてる?」

不満げな声でそう聞かれたので、私はそっと目を開けた。
場所はファミレス、座っているのはボックス席、目の前にあるのはテーブルの上で湯気をたてるホットコーヒー。
そして、隣に座る折原さん。
いつものように黒いインナーにフードつきのコートを羽織っている彼は、その暑苦しい格好とは裏腹に、真夏の暑さなど微塵も感じさせないような涼し気な顔をしている。
それはまさに眉目秀麗。腹のたつことに、彼はイケメンの部類に入るのである。

「ねえ、聞いてるの?」

さっきよりも不機嫌な声で同じ質問をされた。
仕方がないので、コーヒーを一口飲んでから折原さんに目を向ける。
やっとこちらを見た、とでも言いたげに口角を上げた折原さんが視界に入って、思わずため息をついた。本当に憎たらしい人だ。

「人の顔見てため息つかないでよ」
「はあ……。いま目の前にいるのが折原さんじゃなくて杏里ちゃんだったらなあ……」
「話聞いてる?」

メガネのよく似合う最高にかわいい友達を頭のなかに浮かべても、私の隣にいるのは情報屋とかいう胡散臭いにも程がある職業の折原さんだ。
ため息でもつかないとやってられない。
拗ねたような表情で首を傾げ、私を見つめる目の前の折原さんにしらっとした視線を向ける。

「聞いてますよ。コーヒーが世界経済を救うという話でしたよね」
「いやしてないよ、そんな壮大なのかそうじゃないのかよくわからない話」
「コーヒーおいしい」
「本当に話聞かないよね君って」

今度は折原さんが呆れたようにため息をついた。解せぬ。
まったく、何が悲しくてせっかくの休日に昼間から折原さんとコーヒーを飲まなければならないのか。
折原さん越しに他のテーブルに座るお客さんを見てみれば、誰も彼も楽しそうにお喋りしたり美味しそうに食事をとっていたり、羨ましいことこの上ない。
しかし、何故ボックス席なのに隣に座ってるんだろうかこの人は。普通は向かいに座るだろう。
疑問に思ったことをそのまま口にすれば、折原さんはものすごく腹のたつ笑顔で言い放った。

「だって向かい合って座ったら、テーブルが邪魔で君に触れないでしょ?」
「近い近づくな触るな」

そのまま距離を縮めようとする折原さんを腕で押し返す。そんなこったろうと思ったよ。
休日を謳歌している時にいきなり呼び出されて何事かと駆けつけてみれば、この仕打ち。いやまあ別に家でアニメ見てただけだから暇っちゃあ暇だったんだけども。
しかし、私は一刻も早く折原さんとさよならバイバイしたい。ので、早く用件を言えという意を込めて隣の折原さんを睨んだ。

「そんなに睨まないでよ、こわいなあ」
「帰っていいですか」
「ダメだよ、帰さない」
「さわんな」

なんだかイラッとしたので帰るべく立ち上がろうとしたところ、腰に手を回された。それをはたき落としながら悪態をつけば、折原さんは一瞬、ほんの一瞬だけ無表情になり、すぐにいつもの薄ら笑いに戻った。

「君どんどん口悪くなってない?誰の影響かな、まったく」

やれやれと肩を竦めた折原さんが、テーブルに頬杖をついて横目で私を見る。切れ長の赤い目が細められた。
愉快そうにも不快そうにも見えるこの角度では、折原さんの心情はわからない。わかりたくもないけれど。
沈黙が落ちる。
折原さんの目をずっと見ているのが何故かこわかったので、視線を逸らした。冷め始めたコーヒーをぼんやりと眺める。
やがて、予想よりも少し低い声が沈黙を破った。

「俺、シズちゃんのこと嫌いなんだよねえ」

だからなんだと、言葉を返せなかった。
不愉快さを表すように歪められた目に睨まれる。
折原さんが「シズちゃん」と呼ぶ平和島静雄さんとは、ひょんなことから知り合いになり、今では街中で見かければお喋りするし、たまに一緒にシェイクを飲みに行ったりもする仲になった。
だけど目の前のこの人は、それが気に入らない。私と平和島さんが仲良くしているのが気に食わない。
小学生のような思考だ。「俺はそれが嫌い。だから君もそれが嫌いじゃないといけない。そうじゃない君はおかしい」とか、そういう考え方なんだろう。

「俺、シズちゃんのことは嫌いだけど、君のことは嫌いになりたくないんだよね」
「だから、なんですか」
「やめなよ。シズちゃんと関わるの」

低い声。内緒話をするみたいに少し掠れた小さい声。
それでもはっきりとその声が聞こえるのは、彼の声が綺麗だからか、単にまわりの雑音が少ないからか。

「私は構いませんよ。折原さんに嫌われても」

つられるように、私の声も小さくなる。
折原さんが頬杖をやめて、体を起こした。コーヒーを見つめていた目をちらりと彼に向ければ、少しだけ意外そうな顔をしていて複雑な気分になる。
その顔、どういう気持ちの顔ですか。

「でも」

すっと彼から視線をはずし、私は窓の外を見た。
外を行き交う人たちを見るともなく見て、珍しく黙ったままの折原さんの視線が突き刺さるのを感じながら口を開いた。

「私は折原さんのこと、好きですよ」

この言葉に彼がどんな反応をするのか、少し楽しみで、少しこわい。

それは甘い言葉



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