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やさしい来世で待っていて



※本編ネタバレあり(アイランド設定)


七海千秋は、珍しく緊張していた。FPSでまわりを敵に囲まれたときも、STGの残機が1つだけになったときも、RPGのラスボスと対峙したときも、まったく緊張などしなかったというのに。
目の前にはテレビと、それに繋いで遊ぶゲーム機、コントローラーが2つ、そしていくつかのゲームソフト。少し古い機種だが、昔のゲームもいまと変わらないくらい良作がたくさんある。
テーブルに並べられたそれらのソフトは、千秋が特におもしろいと思ったものばかりだ。
そのなかのどれを選ぼうかと悩んでいる隣の人物を、千秋は横目でちらりと見た。彼女こそが、千秋がこんなにも緊張している一番の原因だ。

「名字さん、決まった?」

声が震えそうになるのをなんとかこらえて、彼女を呼んでみた。呼ばれたその人はゆっくり千秋の方を見て、首を横に振った。心做しか申し訳なさそうな表情で口を開く。

「ううん。ごめん、どれも楽しそうで決められないや。七海ちゃんはどれがオススメ?」

名字名前。ジャバウォック島でのこの修学旅行に参加させられた生徒の1人である彼女は、千秋の想い人である。
最初は友達として接していて恋愛感情はなかったのだが、自分とちがってコロコロ変わる名字の表情やその優しい性格に、いつの間にか惹かれていた。
修学旅行も残り一週間をきって、少しでも名字との距離を縮めたいと思った千秋は彼女をゲームに誘った。超高校級の「ゲーマー」である千秋にとっては、それが一番いい方法に思えた。
実際、コテージで一緒にゲームをしようと誘ったら名字はとても喜んでくれたし、悪い案ではなかったのだろう。
といっても、これは完全に千秋の片想いだろうし、女同士という一般的には受け入れられがたい恋だというのもあって、その想いを打ち明けることは千秋にはできなかった。
それに──

「七海ちゃん?」

不安げな声で名前を呼ばれて、はっと意識が戻るような感覚がした。考え込みすぎていたようだ。
内心慌てながら、千秋はいつもののんびりとした口調でごめん、と声を出した。

「名字さんに一番楽しんでもらえるのはどれかなーって考えてた」
「七海ちゃんが選んだやつなら、きっとどれも楽しいよ」

咄嗟に口から出た嘘を怪しむこともなく笑顔でそう答えた繰石に、安心したようにそっと息をついて、改めてテーブルの上のゲームソフトを眺める。
やがて千秋は、有名な横スクロールアクションゲームを手にとった。2人で協力してプレイすることもできるし、それほど難易度も高くない。これなら名字も楽しんでくれるはずだ。
早速ゲーム機にソフトを差し込み、電源を入れる。するとテレビ画面に少し画質の悪い懐かしげなオープニングが流れだした。
名字と並んでソファに座り、それぞれがコントローラーを持つ。準備万端だ。
やがて数十秒のオープニングが終わり、ゲームのタイトルが画面に出てきた。
そっと名字の顔を伺ってみると、思いのほかキラキラした目でテレビ画面を見ていた。ほっと胸を撫で下ろして、千秋はコントローラーを握りなおす。

「じゃあ、始めるよ」
「うん!」

タイトルの次にでてきた選択肢のうち「NEW GAME」を選んで、ゲームがスタートした。


数時間たって、コテージの外が薄暗くなってきた頃、画面に現れた「Completed!」の文字に思わず2人は快哉を叫んだ。
言い知れぬ達成感が、どっと溢れた疲労感をかき消すほど大きい。興奮冷めやらぬ様子で名字は千秋の手をとり、満面の笑みを浮かべた。

「すごい! まさか半日もかからず全クリできるなんて思わなかったよ!」

……ああ、好きだなあ。画面に流れるエンディングを笑顔で眺める名字に、千秋も自然と顔がほころぶのを感じた。
やっと緊張がとけた気がする。
その声も、笑顔も、手に触れる体温も、すべてが愛しい。でもきっと、この恋が叶うことはないのだろう。
エンドロールがおわってゲームを片付け、千秋と名字はベッドに並んで座った。ゲームをクリアした余韻が抜けきらないのか、少し顔を紅潮させながら名字が口を開く。

「あんなに長い時間ぶっ続けでゲームしたの初めてだよ。すごく楽しかった」
「私も、誰かと一緒にやるのは久しぶりだったから、楽しかったよ」
「えへへ、七海ちゃんはやっぱり笑った方がかわいいね」

かわ、いい。不意打ちに少し顔が赤くなった。
そっと自分の頬を触ると、確かにいつもより口角が上がっている。そうか、いま私は、笑っていたのか。

「いつもの眠そうにぼーっとしてる顔も七海ちゃんらしいけど、笑顔の方が私は好きだな」

「好き」、と、その言葉が名字の口から発せられたことに、自分でも驚くほど胸が高鳴る。
ちがう。彼女の「好き」は、千秋の「好き」とはちがうのだ。この想いが名字に届くことは、絶対にない。あっては、ならない。
これは、この感情は、誰にも打ち明けない。そう決めたじゃないか。
すべてを知ったとき、優しい彼女はきっと泣いてしまうのだろう。
それはいやだ。笑っていてほしい。涙なんて見せないでほしい。ずっとずっと、あなたはあなたのままでいてほしい。
苦しい思いをするのは、自分だけで十分だ。


それからしばらく、いろんなことを話した。他の生徒たちのことや、採集で大変だったこと、たまに十神主催で開かれるパーティーをまたやってほしいとか、ジャバウォック島で見つけた綺麗な景色の話。
外は本格的に暗くなり、もうすぐウサミのアナウンスが流れる頃だろうか。そう思ったとき、名字が眠くなってきたのか、少しアンニュイな声音で話し出した。

「ねえ、七海ちゃんは、この島から帰ったら何したい?」
「え……」

千秋は思わず名字の顔を見る。彼女も千秋を見ていて、ばちりと視線がぶつかった。
動けなくなる。胸がきゅっと苦しくなって、何も言えない。
千秋の目を見ながら懐かしむように、思い出を一つずつ頭の中に思い浮かべながら名字はつづけた。

「最初は50日なんて長いなあって思ってたけど、みんなとすごす毎日が楽しくて、すごくすごく楽しくて、あっという間にもう一週間ぐらいしかなくなっちゃった」
「……」
「この修学旅行がおわっても、また会えるよね? みんなと、会えるよね」
「……、」
「七海ちゃん?」

名字が、驚いた顔をしている。慌てた様子で千秋に近づいて、どうしたの、と珍しく大きな声をだした。
頬を、何かが伝った。温かくて冷たいそれは、止まることなく溢れ続ける。
視界がにじんで、名字の顔がよく見えない。泣いて、いるのか、私は。

「どこか痛いの? わ、私、何か嫌なこと言っちゃった?」
「ちが、ちがうの、」

袖で涙を拭いながら、うまく喋れない口を無理矢理動かしてどうにか声をだそうとする。
名字のせいじゃない。こんなに苦しくて切なくて悲しいのは、仕方のないことなんだ。

だって、本当はいないんだよ。私は、私だけ、いないんだよ。

修学旅行と題したこのプログラム世界のなかで、みんなは確かに生きている。その肉体は、外の世界に存在している。
だけど、千秋はちがう。千秋は、データだけの存在だ。プログラムの中でしか生きられない。
みんなと一緒に目覚めることはできない。これからの希望ある未来を、歩むことはできない。
それを、みんなは知らない。名字も知らない。生徒のなかで知る者はいない。
別によかったんだ、最初は。
でも、この島でみんなとすごして、みんなとウサミの出す課題をクリアして、みんなと海辺で花火をして、みんなと遊園地ではしゃいで、みんなと肝試しをして。
そして、名字のことを、好きになって。もっと一緒にいたい。ずっと一緒にいたい。そんな気持ちが芽生えてしまった。
いやだよ。私も、みんなと一緒に生きたいよ。
それが叶わない夢だとしても、そう願わずにはいられないのだ。
声もあげずにただ涙を流す千秋の背中に触れ、優しく撫でながら、名字は口を開く。

「七海ちゃん、ここから帰ったら、また一緒にゲームしようよ。今度は、もっと。いろんな種類のゲームして、たくさん遊んで、たくさん話そう」
「……うん」
「約束だよ」

そう言って笑う名字が眩しくて、目をそらした。
ああ、また嘘をついてしまった。
自分は所詮プログラムされたゲームのキャラクターに過ぎなくて、「楽しい」も「愛しい」も「悲しい」も、ぜんぶ作りものなのだ。
なのに、それなのにどうして、こんなにも心が苦しいのか。
名字と、もっと仲良くなりたいと思った。どうせ自分はいなくなるのだとしても、それも作りものなのだとしても、最後に、「幸せ」を感じたかった。
でもダメだ。芽生え始めた欲はおさまってくれない。一緒にいたい。あなたに触れたい。あなたと、笑いあいたい。
距離を縮めたいなんて、思ってはいけなかったのだ。いつか、別れが来ると知っているから。二度と会えなくなるとわかっているから。
それでも名字と仲良くなりたいと願ってしまったのは、まちがいだったのか。この想いが、この恋が、絶対に叶うことなどないというのなら。

「……名字さん」
「ん?」

打ち明けてはいけない。隠さなくてはいけない。この感情を、晒してはいけない。

「私、……私ね」

だけど、誰が責められる?

「名字さんのこと、好きなんだ」

たとえそれがただのエゴでも、自己満足でも、無意味なものだとしても。張り裂けそうな胸の中の感情に耐えられなかった千秋を、誰が責められる?
俯きながら発せられた予想外の言葉に、名字は目を瞬かせた。やがて、その顔がじわじわと赤く染まっていく。

「ごめんね。言うつもりなんてなかったんだけど、」
「謝らないで!」

千秋の言葉を遮るようなその声に、今度は千秋が驚きに目を見開いた。赤い顔のまま数秒言いよどんで、やがて意を決したように名字は息を吸い込む。

「わ、私も、七海ちゃんのこと、好きだよ。好きなんだよ」
「……え」

ゆっくり顔を上げて名字と目を合わせると、彼女は真っ赤な顔で泣きそうな顔をしていて、自分の涙が止まるほど驚いた。
どうして、なんで、君が泣くの。あなたの涙は、見たくなかった、のに。
ねえ、どうすればいい? どうすれば、あなたは笑ってくれる?
千秋はおずおずと腕を伸ばして、名字の頬に触れた。
すべすべとして、柔らかい。おんなのこの肌だ。自分と同じ、おんなのこ、だ。
そうだ、名字が千秋と同じ気持ちなら、同じように悩んだはずなのだ。女同士なのに恋愛感情を持つなんておかしいんじゃないか、と思ったはずなのだ。
千秋の悩みや葛藤とは方向性も大きさもちがうけれど、少なくとも、自分の心のなかの感情を打ち明けることができずに苦しんだはずなのだ。
優しくて利他的で繊細で壊れやすい彼女は、きっととても思い悩んだのだろう。
もしかしてあなたも、私があなたに望んだのと同じように、私に泣いてほしくないと思ってくれていたのだろうか。
だから、打ち明けられなかった。隠しつづけていた。そしていま、あなたは泣いている。それはひょっとすると、悲しい涙ではない、のかな。

「嬉しいんだ」

頬に触れている千秋の手に自分の手を重ねて、依然として涙を流しながら、笑顔で名字は言った。

「この想いが七海ちゃんに知られたら、気持ち悪がられるんじゃないかって思ってたから。だから、同じ気持ちだってわかって、すごく嬉しい」

あ、笑ってくれた。微笑んでくれた。いつもと変わらない優しい笑顔を、私に向けてくれた。
それだけで、十分だ。
また涙が浮かびそうになったので、千秋は名字を自分の方に引き寄せて抱きしめた。
あたたかい。私はあと何回、このぬくもりを感じられるのだろう。

「……大好きなんだ。名字さんのこと、すごくすごく好きなの」
「うん。私も、七海ちゃんが大好きだよ」

少しだけ体を離して目を合わせて、どちらともなく笑みをこぼした。
「幸せ」だ。きっと、こういうのを「幸せ」というのだろう。
作りものでもいい。無意味なものでもいい。いまが「幸せ」なら、それでいい。

「好きだよ、七海ちゃん」

ああ、眩しいなあ。
いつだってあなたは太陽みたいだった。あたたかくて、眩しくて、近寄ることはできない存在。
でも、いまは自分の腕の中にいる。
永遠なんて、本当は無理なんだ。七海千秋は消えてしまうから。私は、外の世界には行けないから。
みんなが目覚めたとき、私はいるかな。記憶のなかに、心のなかに、私はいるかな。

「この修学旅行がおわっても、ずっと一緒にいようね」

そう言って笑ってくれた名字に、千秋も笑顔を返す。でも、うまく笑えない。
どうしてか、涙がまたひとつ、頬を伝った。

「うん。……きっと、また会えるよ」

願わくば、どうか今度は、心から笑いあえるやさしい来世で。




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