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君に攫われた、ちっぽけな初恋



桜の木が薄ピンク色の花びらをその枝に湛える季節。先日の任務で腕を負傷した私は、蝶屋敷でひとり、暇を持て余していた。
利き腕をやられたので、しばらくは刀を持つこともできないだろう。包帯でぐるぐる巻きにされた自分の腕を眺め、ため息をつく。
まったく厄介な鬼だった。すばしっこくてその上腕力もあり、目くらましのような血鬼術を操る。
きっと、私ひとりでは倒せなかっただろう。
目が見えないと何もできなくなる私と違って、一緒に戦っていた炭治郎はとても鼻が利くので、視界を奪われても動じずに鬼を倒していた。
戦闘後、私が利き腕に傷を負ったことに気づいたとき、彼はひどく沈痛な表情で謝っていた。けど、私の未熟さが原因の傷だし、そもそも炭治郎がいなければこんな傷では済まず、最悪命を落としていた可能性もある。感謝しかない。炭治郎が負い目を感じる必要はこれっぽっちもない。
……はずなんだけど、何故か炭治郎は毎日私の見舞いに来てくれる。
最初の頃は、病室でなんでもない話をするだけだったが、腕の傷以外は大したことがなく、自由に出歩いてもお咎めを受けることがないので、最近は彼に連れられて街を散策するようになった。
病室で談笑するのも、街を散歩するのも、それが一日を生きる楽しみになるほど素敵な時間に感じて、でもそれはきっと、炭治郎と一緒だからだ。
彼も私と過ごす時間を楽しく思ってくれているのだろうか。炭治郎みたいににおいでわかったら楽なのに、私にはそんな力はない。
彼は3日ほど前から任務に行っていて、その間、他に友だちがいない私はひとりぼっちだ。
たまにアオイちゃんやしのぶさんが様子を見に来てくれるし、彼女たちとお話をするのはとても楽しい。けれど、忙しく働いている彼女たちはそんなに長く一緒にいてはくれない。
こんな感情は初めてなので、なんと形容すべきかわからないけど、とにかく、早く炭治郎に会いたいと、そう思った。
炭治郎は無事だろうか。そんなに遠い場所での任務ではないから、そろそろ帰ってくるだろうか。
そう考え出すと、どんどん不安な気持ちが大きくなって、たまらなくなった私は寝台から降り、病室のドアを開けて外に出る。
すると、ドアのすぐそばにいた人に思いっきりぶつかってしまった。慌てて謝りながら視線を目の前の人に向けると、そこに立っていたのは驚いたように目を丸くしている炭治郎で、私も目を見開く。

「炭治郎、」
「……」

名前を呼んでみたが、彼は顔を赤くして口を開けたまま動かない。
体調が悪いのだろうか。それとも、任務で怪我をしたのか、鬼の血鬼術か何かをくらってしまったのか。

「炭治郎?」

心配になりながらもう一度名前を呼ぶと、はっと我に返った炭治郎が私から2、3歩距離をとった。
その反応に少しだけ傷つきながら、明らかに様子がおかしい彼の顔を見つめる。
すると炭治郎は片手を自分の顔に当てて、そのままひどく揺らいだ声をあげた。

「あのっ、名前」
「はい」

上擦った声で名前を呼ばれ、私の声も強ばってしまう。
彼は少しだけ視線を泳がせて、それからまっすぐ私の目を見た。炭治郎が手を下ろすと、真っ赤になっている顔が見えて、やはり体調が悪いのか、と身構える。

「花見に、誘おうと思って来たんだ」
「花見?」

彼の言葉に、窓の外で凛と立つ桜の木に視線を向けた。満開の桜の木から離れた花びらが、時折開けられた窓から廊下に舞い落ちていて、綺麗だ。

「でも、体調が悪いんじゃないの?」
「えっ」
「顔真っ赤だし、なんか、変だよ」

歩み寄って距離を詰めようとすると、炭治郎が慌てたように両手を前に突き出した。近寄るな、と言われたように感じて、ショックを受ける。
そんな私の気持ちがわかったのか、彼は突き出していた手を引っ込め、ものすごく目を泳がせながら口を開いた。

「違うんだ、その、」
「?」

珍しく口ごもっている炭治郎に、首を傾げる。本当にどうしたんだろうか。

「……名前が、」
「私?」

しばらく何か言いよどんでいた炭治郎が、ようやく発した言葉は私の名前だった。
色んな悪い想像が頭をよぎって、血の気が引く。それでも平静を装ってつづきを促すと、彼は依然として真っ赤な顔で話し出す。

「名前が、いつもよりすごく魅力的に見えて」
「え」
「たぶん、血鬼術の影響だと思うんだ。えっと、自分に好意を持っている人間が普段より美しく見えるっていうものらしくて、」

たどたどしく話す炭治郎の言葉を聞いて、自分の顔に熱が集まっていくのを感じた。
それって、私が炭治郎に好意を抱いているから、彼から見た私がいつもより魅力的に見えている、ということで、えっと、つまり、それは。

「鬼はもう倒したんだけど、何故か血鬼術だけまだ残っているみたいなんだ」
「……」

つまり私は炭治郎のことが好きで、そのことが当の本人に知られてしまったということで。
開いた口が塞がらない。頭のなかが爆発しそうだ。
くらくらする。ふらついた身体が壁に当たって、そのままずるずるとしゃがみこんでしまった。
炭治郎が慌てて私の前に膝をつき、顔を覗き込んでくる。やめてくれ、いまは私の顔を見ないでくれ。
あまりの羞恥に包帯の巻かれていない方の手で顔を覆うと、炭治郎が優しい手つきで私の腕を掴み、顔を隠していた手をどかしてしまった。

「名前」

名前を呼ばれ、肩が跳ねる。
どこを見ていればいいのかわからなくて、きょろきょろと視線を動かしていると、炭治郎の赤みがかった瞳と目が合った。
いつ見ても、綺麗な目だなと思う。吸い込まれるようにその目を見つめていると、炭治郎が両手で私の手を取って、ぎゅっと握った。
やけに熱いその手から彼の緊張が伝わってきて、心臓が忙しなく暴れ回る。
この鼓動が彼に聞こえていたら恥ずかしいな、と考えたけど、既に私の気持ちは彼に知られてしまっているので、早鐘のように鳴るその音が聞こえていたとしても、もうどうしようもない。

「ずっとこわくて、言えなかったことがあるんだ」

神妙な面持ちでそう言う炭治郎に、もしかして毎日私の見舞いに行くのは嫌なんだとか、私と一緒に過ごすのは楽しくないんだとか、そういうことを言われるのかと思って、心が苦しくなった。泣いてしまいそうだ。
私が炭治郎を好きだということがバレているなら、それさえも気持ち悪いと思われているのかもしれない。
彼はそんなことで人を毛嫌いしたりしないとわかってはいるものの、悪い想像はどんどん頭のなかで膨らんで、目頭が熱くなるのを感じた。
瞬きをすると涙がこぼれそうなので、目に力を入れて必死に耐える。

「この気持ちを名前に伝えて、いままで通りに接してもらえなくなるのがこわかった」
「……?」
「こんな状況で言うのはずるいかもしれないけど、でも、やっと自分の気持ちに確信が持てたから」

炭治郎の言っていることがよくわからなくて、首を捻る。そんな私を見て、彼はひどく優しい笑顔を浮かべた。

「俺は、名前のことが好きなんだ。だから、ずっと一緒にいたい」

目を合わせたままそう言われて、思わず瞬きをしてしまう。涙が頬を伝うのを感じて、慌てて目元を拭った。

「嘘、じゃない?」

そう言ってから、そういえば彼は嘘をつくのがとても下手だったなと思い出す。
じっと炭治郎を見つめ、返答を待つ。
彼は綺麗な笑みを浮かべたまま頷いて、口を開いた。

「嘘じゃない」

窓から入り込んだ春風が、桜の花びらを伴いながら吹き抜けていく。
春らしいぽかぽかとした陽気のなか、自分の初恋が実ったことを悟って、夢でも見ているみたいだ、なんて考えた。
炭治郎の肩に額を当てて、彼の鼓動を感じながら呟く。

「私も、炭治郎が好きだよ」

もうとっくに知られているだろうけど、それでも口に出さずにはいられなかった。
耳元で炭治郎が嬉しそうに笑う気配がして、顔を上げる。
とても幸せそうな顔をしている炭治郎を見て、きっと私も同じ顔をしているんだろうな、と、幸福を噛み締めるように目を閉じた。





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