世界の音が、聴こえなくなった。

突発性難聴とやらで僕の耳は全くもって音を伝えてくれなくなった。会話や喧騒、風のざわめきなども何一つ聴こえない。
まだ目は景色を捉えてくれるし身体も動く。聴力がなくなったならまだマシじゃねぇかって?そんなことねぇよ。
悪い言い方をすれば元々どんな陰口だって聞こえるくらいの地獄耳だったので、今やもう誰が何を言っているのか、相手の口や舌の動きをじっくり見ててもごく稀にわかるかどうかだ。
そんなまさか突然耳が聞こえなくなるなんて予想もつかなかったから、今必死で手話とかも覚えてるけど全然意味がわからない。
だから日々の生活は基本的にスマートフォン、そしてスケッチブックが必要不可欠となってくる。個人的にはスマートフォンで打つ画面を表示させるよりスケッチブックで適当な字で何か書く方が楽だ。美術成績3と平均的だった自分にまさかスケッチブックが、文字を書く用途として必要になってくるとは。
…と思ったけど僕の立ち位置は元々陰口を言われる程度のぼっち。今までと変わらず眉をひそめられて煙たがれて誰も話しかけてこないので基本的に校内ではスケッチブックのページが消費されることはない。お互いの書く手間もあるしね。
就職できないにしろ勉強はすきだし残りあと2年と引き換えに貰える大卒認定は欲しいので在学の我儘は両親とゼミの教授と事務局には伝えた。
あとは板書を全然してくれない教授。陰口は叩かれてても大人しく毎回出席していたので、大方突如聴力を失った生徒に対し哀れんだ目を見せる。別にそれで課題とか楽になるので口頭の知識が知れないのは悔しいがまぁ、致し方ないといったところか。

耳が聴こえなくなった最大の弊害は、好きな音楽が聴けないこと。それによって、唯一の趣味であった音楽ゲームができなくなったことか。

大人しく毎回講義に出席し、暇さえあればゲーセンに行きひたすら音楽ゲームをやっていた。製作会社によりオリジナル曲などもあり、僕はその楽曲が好きで聴きながらプレイするために一人でもゲーセンに通うようになったのだ。
だけどもう全くもって聴こえない耳では音楽ゲームをやる意味も何もない。画面で見て判定ラインぎりぎりでボタンを押せばいい話だが、楽曲のリズムが聴こえなくて把握できない。そもそも好きな楽曲が聴けない。
耳が聴こえなくなった時から僕はゲーセンに行くのをやめた。

いつも同じゲーセンに通っていたため、だいたい見かける人は覚えていた。プレー中身体が揺れ動く人、ボタンを叩く音が強い女の人、等倍速縛りをしていた人、手袋をしていた人…
ゲームのリザルトなどの記録をTwitterにしていたため、何人かは交流のある人もいた。ゲームをやめてからは、全くもってその話をしていない。
『耳が聴こえなくなったんで、今日をもって音ゲーマー引退しますね!ありがとうございました\(^o^)/』
このツイートをした時の僕は、あまりにも耳が聴こえない、ということに辟易しすぎてて今見ても頭おかしい内容を投稿してると感じる。何件か返信も来ていたけど、もう返す気力もなくなった。
耳が聴こえなくなってからは、学校から最寄り駅に向かう途中にゲーセンがあるのが腹立たしく思える時さえある。うんざりした顔をして、ゲーセンの前を通り過ぎる。
少し歩くと、肩をぽんぽん、と叩かれた。振り向くと、白黒の服装の背の高い青年。
同じ機種をやっていた人だった。プレイ中も背筋がピンとしていて、黒い手袋をはめていた人。ボタンを押す際の音が立たない人だった。そしてリザルトで記録を更新すると、静かにガッツポーズをしていた人。
「 」
彼の口が動いている。だけど僕には、何を伝えたいか、伝わらない。
一向に何も返さない僕に何か思ったのだろう、端正な彼の顔が曇っていく。
このままだんまりの状態で知らんぷりして歩き去っていくことも可能だが、僕はとりあえずスケッチブックとペンを鞄から出した。
『申し訳ありません、耳が聞こえません。
何か用がありましたでしょうか?』
最初のページを相手に見せる。もうこれは見せ慣れた。彼はハッとした顔をする。
別に配慮して欲しいわけじゃないけど、聞こえないんだから仕方ない。
彼はリュックを肩から降ろし中からルーズリーフとシャープペンシルを取り出した。立った状態のまま何かを書く。
『最近来ないからどうしたんだろうと思って見かけたから声かけた
呼び止めて迷惑かけた』
綺麗なルーズリーフの状態に整った字だった。僕は首を横に振った。新しいページを取り出し書く。
『ありがとうございました
僕はもう引退したけど、あなたとは聞こえてる時に対戦してみたかったんです』
これは本心だ。ぺこりとお辞儀をする。
彼は頭を撫でてくれた。音を立てず優しくボタンに触れていた掌。大きかった。すらすらと何かを書く。
『今更だけど仲良くしたい
このあと時間ある?ごはん行こうよ』
なんという無理ゲー。首を横に振って丁重にお断りした。相手の顔が困惑したように少し曇る。
『おごる』
『いや結構です帰ります』
『君と話がしたいんだ 89m0、だっけ?
Twitterもみてた』
思わずスケッチブックを落としそうになった。え、この人僕のTwitterのアカウント知ってたの?え?
『自己紹介遅れた
サカキだ よろしく』
彼はそうルーズリーフに書き左手にルーズリーフを持ちながら右手を出してきた。
ってえ、この人がサカキさんかよ!?
目の前のイケメンのイメージが粉々に崩れ去った。
サカキさんといえば自己紹介の欄から下ネタのオンパレードで、かつ『あー今プレイしてる女の子のスカート短いし好みだから待ち列から覗きたいなぁ』だったり『今の待ち列隣が可愛い女の子だったらいいのに、なお横はおじさん』などとアホなツイートばかりしている人だった。ただしリザルト画面の記録はノーミスどころか全部優判定だったり。
苦手な譜面についてツイートしてた際に、直接の返信ではなかったけれども自分のツイートとしてさりげなくアドバイスしてくれたこともあったなぁ。それを参考にプレイしたらスコアが一気に上昇したのもいい思い出だ。
ただし彼とはお互い直接返信しあったことはないし、1度も一緒にプレイしたこともない。タイムラインでも彼のアホなツイートで占められてる時も多かったし、ゲーセンでもあーいつもいる人だなぁくらいの。
あんなアホなツイートしてたのがこの外見長身イケメンとは。なんという。
世の中って不条理だなぁ。
『水田八雲です 普通に八雲って読んでもらっていいです』
『榊原大地 八雲、よろしくな』
とめはね整った字。にこりと彼は微笑んだ。
あぁ、この人の声、聞いてみたかった。

近くのファミレスでお互い喋ることなく黙々と文字を書いている。高校生大学生が多く、皆口を動かしていてがやがやとうるさいであろう中で喋らないでお互い紙を見せ合う2人は随分と異質だったと思う。席に着いた際に榊原さんからルーズリーフを回して会話することを提案されたのでお言葉に甘えることにした。もしかしたら周りからしたら絵しりとりでもやってるかのように見えるかもしれない。
『名字が榊原だからプレイ時のネームはibaraにしてたんですね』
『あれだけな
他の機種はsakakiとかネタでebaraとか』
僕はくすりと笑った。
『八雲は89m0で統一してたよな、たしか』
『なんで知ってるんですかwww
打ちやすかったからです』
榊原さんも微笑んでくれた。僕はサイドメニューのポテトをフォークで刺しながらもぐもぐといただくことにする。
音が聴こえなくなってから音ゲーの話題を見たくなくてTwitterも普通のアカウントを作りそっちで呟いていた。だけど今、榊原さんと音ゲーの話題を教えてもらうのがすごくすごく楽しいのである。
『最近あの機種はどうですか?
聴こえなくなってから情報を敬遠してましたけど』
榊原さんがはっとしたように僕を見るが微笑み返すことで返事を促した。とにかく教えて欲しいのだ。
『新しく出た50の譜面が鬼畜すぎてもうやだ
何回もやりすぎて今まじで手痛いわ』
やりたかったなぁ、とは思うがどう足掻いても叶わない願いだ。新譜もどんな音楽を紡いでいたのだろう。聞きたかった。
『あ、手痛い中書かせてしまって申し訳ないです』
僕の返事を読んだ榊原さんの目が大きくなる。何かを急いで書き、目の前に突き出した。ほんの少しだけ、荒々しい字。
『八雲と話ができるのが嬉しいから書いてる
別に書くことが痛みにはならんし

謝ることじゃないからありがとうがいい』

こういったことを言われたのは初めてだった。少し丁寧な字で書くことにする。
『榊原さん ありがとう。』
その文字を彼は目に捉え、フォークを置いて手をぽん、と僕の頭に置いた。がしがしと頭を撫でる。
「八雲、よくできました」
笑顔の彼の口はそう動いたように見えた。

あぁ、この人の僕を呼ぶ声がきいてみたかった。

僕はそのもやもやした思いを悟られないよう、下を向きつついつの間にかきていたハンバーグを食べることにしたのだった。





「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -